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Karl Lagerfeld

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カール・ラガーフェルドの略歴 career
1950年代から現在のカール・ラガーフェルドの写真、スタインウェイのピアノ、H&Mとのコラボ、アウディ・フォーラムの写真展、VOLVO(ボルボ)の広告などはこちらから。
コラボ collaboration
マイセン×カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルド コラボのモデル
ここではCoca Cola Lightのボトル、tokidokiのミニ・カール、Steiffのカールのティディベア、フォトグラファーのカールのフィギュアが紹介されている。

Karl×Lenôtre
デザイナー× 「ブッシュ・ド・ノエル」
FENDI
インタビュー
ハーパース・バザー誌 2009年
写真家カール・ラガーフェルド

Karl×Dom Perignon
Dom Pérignon Vintage 1998
ドンペリ Rose Vintage 1996
Dom Perignon Oenotheque 1993
Moët & Chandon×Karl Lagerfeld

Numero ヌメロ
ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

写真展
2010年 Karl Lagerfeld, parcours de travail

2008年 ア・ロンブル・デュ・ソレイユ A l’ombre du soleil(太陽の陰で)

シャネル CHANEL
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Signé Chanel サイン シャネル
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シャネル 宮廷の威光と王家の儀式
CHANEL Paris Fashion Week
*シャネル・ニュース
シャネル 2011 春夏コレクション
Spring Summer 2011 Collection
*Métiers d’Art メティエダール

CHANEL 2008「パリ−モスクワ」
画家 リューボフ・ポポーワとシャネル

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スクール・カースト 松井優征 「暗殺教室」
book / SAI

暗殺教室 吊り広告


暗殺教室の吊り広告。大の大人(少年ジャンプを読まない大人)はドキンとしただろう。僕のような中の大人(少年ジャンプを読む大人)は、「やはりすごい人気なんだ」と心がうなずく。

スクールカーストを軸に暗殺のターゲットが超生物の殺せんせい。

身分が分類されたE組(エンド組)は、まさにカースト制度のシュードラ(スードラ)だろうか。学校に支配される側のE組だけど、もしかすると「壊された民」ことダリット(アウト・カースト)かもしれない。

日本は学校だけではなく、社会でもオフィス・カーストはある。パワー・ハラスメント、モラル・ハラスメントという「いじめ」がその証拠。

「暗殺教室」でのスクール・カーストは成績による差別だが、暗殺ターゲットの殺せんせいは、政府からの依頼で暗殺者としてのE組(エンド組)の生徒たちをどんどんと「心の手入れ」をしていく。


フィギュアをば 作って回して 触手なりけり on Twitpic

こんなの見っけ。
これ作った人、すごい。



主人公の渚くんなんだけど、この子の家庭環境や家庭事情が今後の展開に関係してくるのか。めちゃめちゃ気になるけど、このマンガ。ものを探り、それをつかんで引き寄せるのが超生物の殺せんせーの触手。やっぱ、蛸。人を罵るときに「この、タコ!」っていうけど、タコは高い知能を持ってる。

古代ギリシャ、ローマ時代からヨーロッパでは蛸は不吉なもの。英国では悪魔の魚(デビルフィッシュ)と呼ばれている。いくつかの宗教でも禁忌としている。叙事詩「オデュッセイア」ではスキュラと混同されているし、文豪ユゴーは「海で働く人々」(1866)で人間を襲わせる。

だけど古代ペルーでは崇拝されていたらしく、モチェには壁画やタコの文様の土器が現存している。ハワイ創世記神話では、冥界の神、海の神カナロアの化身とされている。

癒しの神とも呼ばれているカナロア。タヒチの神学では創造主。殺せんせーはカナロアかもね。

明日コミック発売だけど。。。
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グリークの劇音楽 イプセンのペール・ギュント
book / SAI

ペール・ギュントは没落した豪農の息子で、怠け者で法螺吹き、空想癖の放浪者。そんなダメ男に恋をする女たち。馬鹿じゃない?

けれど、その一人の女がイプセンの趣旨だった。

イプセンの「ペール・ギュント」はムンクはプログラム、ココシュカが作品化しているが、アーサー・ラッカムの挿絵本もある。

今日はグリークの劇音楽をYOU TUBEから紹介し、後半はあらすじをご紹介。

Christensens oppsetning på Nationaltheatret 1936 Peer Gynt

ペール・ギュントのアルフレッド・モーアスタッド
母オーセのジョアン・ディバットソム
国立劇場(ノルウェーのオスロ)1936年公演から


旧称クリスチャニアはご存知のように現在のノルウェーの首都オスロのことで、1876年にイプセンの「ペール・ギュント」がオスロの国立劇場で初演となった。

Hervé Pierre and Catherine Samie as Peer Gynt and his mother Åse. Photo: Brigitte Enguèrand

ペール・ギュントのエルヴェ・ピエール
母オーセのキャサリン・サミー
コメディ・ フランセーズ グラン・パレ 2012年5-6月公演


だからイプセンといえば国立劇場だけど、今年の5月から6月にかけて、グラン・パレで特別公演があった。あのモリエールの時代からのコメディ・フランセーズの役者たちがクリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix )の衣装ときたものだから、音楽+演劇+ファッションという豪華な公演だった。脚本や音楽、演技がどうのというより、ラクロワの舞台衣装が見ものだった・・・。


第1組曲 作品46 (1891年 編曲)

第1曲「朝」(Morgenstemning)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 1, Op. 46 - I. Morning Mood

第2曲「オーセの死」(Åses død)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 1, Op. 46 - II. Aase's Death

第3曲「アニトラの踊り」(Anitras dans)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 1, Op. 46 - III. Anitra's Dance

第4曲「山の魔王の宮殿にて」(I Dovregubbens hall)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 1, Op. 46 - IV. In the Hall of the Mountain King
Peer Gynt Suite No. 1, Op. 46, In the Hall of the Mountain King - E. Grieg


 第2組曲 作品55 (1892年 編曲、1893年 改訂)


第1曲「イングリッドの嘆き」(Bruderovet. Ingrids klage)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 2, Op. 55 - I. Ingrid's Lament

第2曲「アラビアの踊り」(Arabisk Dans)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 2, Op. 55 - II. Arabian Dance

第3曲「ペール・ギュントの帰郷」(Stormy Evening on the Sea) (Peer Gynts hjemfart (Stormfull aften på havet))
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 2, Op. 55 - III. Peer Gynt's Homecoming

第4曲「ソルヴェイグの歌」(Solveigs Sang)
Edvard Grieg - Peer Gynt - Suite No. 2, Op. 55 - IV. Solveig's Song


 オリジナル劇音楽「ペール・ギュント」全27曲
(番号付きの26曲と番号なしの1曲) by London Symphony Orchestra
Photo by Brigitte Enguèrand(ブリジット・アンゲラン)

 
第1幕

Ready for the wedding. In the middle the bride, Ingrid,- Adeline d´Hermy. Photo: Brigitte Enguèrand

コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
花嫁のイングリ(イングリッド)のヘーグスタット莊での婚禮式


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Prelude, Bridal Procession, Folk Dances
1.前奏曲 婚礼の場で(I Bryllupsgården)
※ ハルヴォルセンによる追加曲 ピアノ曲集「人々の暮らしの情景」作品19の第2曲から花嫁の行列の通過(Brudefølget drager forbi 1886)
2.ハリング舞曲(Halling)
3.跳躍舞曲(Springar)

第2幕

Hervé Pierre and Adeline d´Hermy as Peer Gynt and Ingrid. Photo: Brigitte Enguèrand

コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
花嫁イングリ(イングリッド)とペール・ギュント


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Abduction of the Bride, Ingrid's Lament, Mountain Girls
4.前奏曲 花嫁の略奪とイングリ(イングリッド)の嘆き(Bruderovet - Ingrids Klage)
5.ペール・ギュントと山羊追いの女たち(Peer Gynt og Sæterjentene)
6.ペール・ギュントと緑衣の女(Peer Gynt og den Grønnkledte)
7.ペール・ギュント「育ちのよさは馬具見りゃわかる」(Peer Gynt: 《Pa Ridestellet skal Storfolk kjendes!》)


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - In the Hall of the Mountain King
8.ドヴレ山の魔王の広間にて(I Dovregubbens Hall)

Serge Bagdassarian as The Mountain King Hervé Pierre and Florence Viala as Peer Gynt and The women in Green - daughter of the Mountain King. Photo: Brigitte Enguèrand

コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
左:魔王(セルジュ・バグダサリアン)、その娘(フロランス・ヴィアラ)


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Mountain King's Daughter, Trolls, Bøyg Scene
9.ドヴレ山の魔王の娘の踊り(Dans av Dovregbbens Datter)
10.ペール・ギュントはトロルに追い回される(Peer Gynt jages av Troll)
11.ペール・ギュントとベイグ(Peer Gynt og Bøygen)

第3幕



コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
母.オーセの葬儀


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Solveig's Song, Death of Åse
12.オーセの死(Åses døt)
無番号の1曲

第4幕

Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Morning Mood [Morgenstemning]
13.前奏曲 朝のすがすがしさ(Morgenstemning)

The four foreign Gentlemen that Peer meets in Morocco, From left Michel Favory, Éric Gènovèse, Nâzim Boudjenah, Stéphane Varupenne. Photo: Brigitte Enguèrand

コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
モロッコの4人の紳士たち


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Arabian Dance, Anitra's Dance, Serenade
14.盗賊と密売者(Tyven og Heleren)
15.アラビアの踊り(Arabisk Dans)



コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
キャスト勢ぞろい アニトラ、ボタン職人ら


16.アニトラの踊り(Anitras Dans)
17.ペール・ギュントのセレナーデ(Peer Gynts Serenade)
18.ペール・ギュントとアニトラ(Peer Gynt og Anitra)



コメディ・ フランセーズ/グラン・パレ ペール・ギュント 2012
ソルヴェイ(ソルヴェイグ)の家族 彼女の両親と妹ヘルガ


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Solveig's Song, Homecoming, Shipwreck (第5幕の23まで)
19.ソルヴェイ(ソルヴェイグ)の歌(Solveigs Sang)
20.メムノン像の前のペール・ギュント(Peer Gynt ved Memnonstøtten)

第5幕

21.ペール・ギュントの帰郷、海の嵐の夕方(Peer Gynts Hjemfart. Stormfull Aften på Havet)
22.難破(Skipsforliset)
23.小屋でソルヴェイ(ソルヴェイグ)が歌っている(Solveig synger i Hytten)

Hervé Pierre - Peer Gynt and Left Suliane Brahim as Solveig. Photo: Brigitte Enguérand

ソルヴェイ(ソルヴェイグ)のスリアン・ブライム


Grieg: Peer Gynt, Op. 23 - Night Scene, Funeral, Solveig's Lullaby
24.夜の情景(Nattscene)
25.ペンテコステの賛美歌「祝福の朝なり」(Pinsesalme: 《Velsignede Margen》)
無伴奏のユニゾンによるペンテコステ(聖霊降誕祭)の賛美歌のコラール
26.ソルヴェイ(ソルヴェイグ)の子守唄(Solveigs Vuggevise)


ペール・ギュント あらすじ キリスト教の三元徳に至る戯曲



Peer Gynt by Edvard Munch

ムンク ペール・ギュント プログラム


僕的意訳のほか1925年の世界童話大系 世界童話大系刊行會にある「ペール・ギュン」 から 楠山 正雄(1884-1950)の翻訳を参考にした。

第1幕

 
屈強の男子、20のペール・ギュントが登場。母親オーセはペールの法螺に小言を言う。

「あゝ、わたしは黒い棺に入ってしまいたい。本当に神さま、生れて参らなければよろしゅうございました。祈ろうが泣こうが、こいつの根性は直りませぬ。 ペール、お前は墮ちた。救われないぞ!」

のらりくらりと母親の小言をかわすペール。

「あゝ、お前、ペールや、せっかくの立派な娘(イングリット)をなぁ・・・、古い地主の家柄ではあるし。お前にもう少し氣の利いたところがあれば、今頃は立派な婿さんでいられるのに。」

マース・モーエンとイングリットの婚礼は明日。ペールはその気になって母親が止めるのも聞かず家を飛び出す。当日、婚礼の準備中に堅信礼を済ませたというソルウェイク(ソルヴェイグ)と出会い踊りに誘うが、ソルウェイク(ソルヴェイグ)は断る。酔いのまわった大勢の客たちがなだれ込み、母親オーセもやってきて喧々囂々のなか、マース・モーエンが叫んだ。

「あいつが俺の嫁を連れて行くぞ。熊が豚を浚うように!」

村人たちが追いかける。

第2幕

 
婚礼の翌日の早朝。ペール・ギュントはに不機嫌に足早に山道を上がる。浚われたイングリットは「これだけのことを仕出かして、私にどこに行けと言うのだろう。」とペールを引き止める。

「俺を引止めるだけのものが何かあるか。」
「ヘーグスタットの田地の他にも沢山あるわ。」

「いやいや、讚美歌の本、肩にかかる黄金色の髮、前掛けと慎ましく目を伏せる仕草、母親のドレスをそっとつかむような女かどうかだ。この5月に堅信礼を済ませたか?俺の誘いを拒むことができるか?」

「もう無茶苦茶よ。この報いはきっとくるぞ!覚えていろ!」とイングリットは叫んだ。

山中では母親オーセ、ソルウェイク(ソルヴェイグ)とその両親、妹ヘルガが二人を探す。

ソルウェイク(ソルヴェイグ)「もっとお話を聞かせてくださいな。」
母親オーゼ「倅のことを?」
ソルウェイク(ソルヴェイグ)「えぇ、残らず聞かせてくださいな。」

一方イングリットを置き去りにしたペールは、三人の牧小屋の女たちが「ヴァールフィエルドのトロンド鬼よ。カーレー鬼バール鬼よ。山の神の仲間よ。今夜はわたし逹に抱かれて寝よ。」と呼びかけているところに出会う。日没の頃、取り乱した躰で現れるペールは、空を突き抜ける城、緑の着物を着た女を見かける。

この鬼の王の娘とペールのやりとりが面白いんだ。省略するけど。

そのころ、「キリスト教徒の倅が鬼王陛下の最愛の姫君を誘惑いたしました。」と老鬼王に報せが入る。

ペールは魔王(鬼王)に「姫君とその持参金かわりに領地を頂きとうございます。」と申し出た。さて魔王、ペールに尾をつけさせ、尿を飲ませたほかに、次に左目を引っかき、右目を抉ると条件をつけた。

「これからはつまらぬ心配や苦労に目をくらまされることがなくなる。」(へぇー、なるほど)

さすがのペールも逃げ出した。トロルたちが追いかける。寸でのところで山の鐘が鳴り響き、命が助かった。

暗闇のなか、何かにぶつかった。「道をあけろ」というペールに、「声」は「道を廻れ」と答える。

「廻つて行けよ、ペール」

日の出。ペールはオーセの古小屋の前で目覚めた。そこにソルウェイク(ソルヴェイグ)を探すヘルガに出会う。ペールはソルウェイク(ソルヴェイグ)への伝言を頼んだ。

第3幕

 
新しい小屋を建てたペール。そこに手荷物をひとつ持ったソルウェイク(ソルヴェイグ)が現れた。家族と別れてペールの元に来たわけだ。現れたのはソルウェイク(ソルヴェイグ)だけではなかった。

ボロボロの緑の服を着た魔王の娘とペールとの間に誕生した子豚のような子供。

「廻つて行けよ、ペール」

あぁ、そうか。あの「声」。障壁やいろんなものを通つてここからあの女のところに行ける一本道と言うのはないのだと言うことだったのか。

悔い改めだと?生涯がかかってしまうじゃないか。

あの女を清らかに汚れなく描くために十分に近くに引き寄せたい。出來るだけここらを遠廻りをやつて、果して損もしず得もしないか試して見なければならない。

扉口でソルウェイク(ソルヴェイグ)は声をかけた。「いらっしゃるの?」

「廻っていくよ。」 ペールは林の道を降りて行った。ペールは母オーゼの元に向った。

臨終の時を迎えている母オーゼ。

オーセ
「おやペール。あのリンと鳴る音はなんだい?」
「荒々しい声の響き、ざわつき、ため息は何だろう」
「今度は遠くに光るものが見える。あの火は何だろう」

「それはソリの鈴ですよ。あれは松の木が鳴る音です。城の窓や扉口から洩れる火が光っているのです。」

おとぎ話のようなペールの受け答えがはじまる。まるで童話でも読み聞かせているような、ね。この会話が第5幕でオーセがペール、ペールがボタン職人にかわり、繰り返される。このおとぎ話のような親子の会話の本質が第5幕で理解できる。

「聖ペトロがあなたにお入りなさいと言っています。」に旅の終わりを告げる。

「君よ、もったいぶって守衞じみた樣子はやめにして、わが母オーゼを自由に入らしめ給へ。」

ペールは母オーゼを看取って旅立った。

第4幕



モロッコの南西海岸。

「どうぞ諸君召上つて下さい。そもそも人間は歓楽をつくすために生れて来たものといたしますれば、 進んで歓楽の底まで十二分に味わいつくすべきものであります。 諺に曰く、なくしたものはなくした物、過ぎたことは過ぎこと・・・といかがでございます、何かお一つ。」

ペールがすすめているのは4人の紳士。イギリス人コットン氏、フランス人バロン氏、 ドイツ人フォン・エーベルコップ氏、スウェーデン人トルムペーターストローレ氏だ。

「ギュント的自我。それは希望とか願望とかの軍勢です。 ギュント的自我、それは空想とか欲求とか主張とかの海です。 短く言へばわたしの胸を盛りあげしめるところのすべてです。 そしてそれによってわたしはわたしとして存在するのです。 けれども主が自分で世界の神となるために土を必要としたように、 わたしもまた皇帝として振舞うと言うには金が必要なのです。」

立派な中年の紳士となったペール。だがこの4人の紳士に全財産を持ち逃げされる。

まぁ、謙虚さに欠けているペールだから、やられちゃったと思うけどね。世間の人はいづれ、自分はすぐにって身勝手なんだけど。しかも「 諺に曰く、なくしたものはなくした物、過ぎたことは過ぎこと」と言っていたクセにさ。

「あの仲間の悪党めら。 (略)  父よ、わたくしのためにしばらく手をお伸し下さいまし。そういたしませんでは、 わたくしは厭でも滅びなければなりません。船の機關が止まりますように。 あの盜賊どもをお引止め下さいますように。機關の故障の出來ますように。 どうぞお聞き下さいますように。ほかの人間の為事はどうなろうとかまいません。 世間の人たちはいづれゆっくり何とかいたしましょう。」

すると一道の焔がヨットから出て空に燃え上がった。死はペールの願いを叶えちゃたんだ。

いまさらながらゆっくり読むと、ソルウェイク(ソルヴェイグ)を残して、黒人の人身売買をしていたんだ。奴隷貿易。

「わたしは黒んぼの輸出をやめました。その代りに宣教師をアジアに輸出いたします。」

わざわざ4人の紳士の国が明らかになっているのは、19世紀前半に奴隷制度を廃止している国と奴隷制のないドイツ。

そういうこと?

さてペール・ギュントも4人の紳士と同じように盗みをして、「預言者」となるんだね。盗賊の戦利品、モロッコの皇帝の着物と白い馬で。

ベドウィン族酋長の娘アニトラと少女たちが踊る。

豫言者は來ませり。豫言者は、主なる全能の神は、來ませり。
我等が中へ神は來ませり。砂の海を越えて來ませり。
豫言者は、主なる全智の神は、來ませり。
我等が中へ神は來ませり。砂の海を越えて來ませり。
笛よ鳴れ、太鼓よ轟け。豫言者は來ませり。豫言者は來ませり。

そうして、ペールの宝飾を差し出しアニトラを口説きはじめるが、嫌がるアニトラはさっさと馬に乗り去っていく。

ペールは今度はエジプトへ。

メムノンの像から歌が聞こえる。
「像は歌を唄えり。余はその響を明かに聞きたれども、歌の文句を辿るに至らざりき。 勿論すべては幻覚なりき。この外に今日は何等重大なるものを觀察せず。」 と手帳に書きつける。

スフィンクスに向い、「一体お前は何者だ」と叫ぶと、「あゝ、スフィンクス、一体お前は何者だ」という声が聞こえる。「ドイツ語にて鸚鵡返しに答う。ベルリンの訛あり。」 と手帳に書きつける。

するとベグリッフェンフェルトという男が声の主だった。彼にペールは「スフィンクスは自分自身」と言う。ベグリッフェンフェルトは喜んで、ペールを精神病院の皇帝として迎えた。

「わたしはどうしたのだろう。  (略)  こんな際には急にあなたのお名前が私には思い浮べられないのです。 おゝ、わたしをお助けにおいで下さいまし、気違いたちをお護り下さる方よ。 」

ペール・ギュントはそう言って気を失った。

「フッ。泥沼の王位についたこの男を見るがいい。自分自身を失って。」

ベグリッフェンフェルトはペールに藁の輪をはめ、「自我主義皇帝万々歳!ペール大王万歳!」と叫んだとさ。

第5幕



故郷ノルウェーに帰る船が難破した。料理長を犠牲に一人救命ボートにしがみついて帰郷。

故郷では牧師が墓の前で葬儀をとりおこなっていた。葬儀に参列していた村人たちは、ペールだとは知らずに挨拶をする。

競売をする若者。そこにはイングリットとペール・ギュントが空中を飛んで行つた眼に見えない外套やら猫の皮やら、ペールにいわくあるものが売られている。

ペールはペール・ギュントとはどんな人物かを尋ねてみた。大うそつきだ、絞殺されたという。ペールはお辞儀をして去る。
 

Peer Gynt by Arthur Rackham

アーサー・ラッカム 挿絵本より
絲鞠、萎んだ木の葉、中空の嘆き、露のしづく、折れた藁、オーセの声



聖靈降臨祭の前夜。ペールは見覚えのある小屋を荒野で見つけた。

降臨祭の祝いの支度もできました。
遠くへ出かけたいとし子よ、もうじき帰っておいでになる。
仕事に骨が折れるのか、てまどること、てまどること。
それでもむかし契ったとおり、待ってます、待ってます。

「貞節を守る女もいれば、忘れてしまった男もいる。男は人生を賭で失ったが 女はじっと待っている。おゝ、真面目さよ。それは決して帰ってこない。 おゝ、恐怖よ。ここにこそわたしの帝国があったのだ。」

そうしていよいよ「ボタン職人」が墓からやってくる。

ペール・ギュンターを鑄物柄杓に入れてすっかり溶かしてしまうという。

ボタン職人は言う。

「高い意味に於ける罪人では決してありません。 それだからこそあなたは拷問の苦痛をすつかり免ぜられ、他の人たちと同じように鑄物柄杓の中に落されるのです。」

「人間に精神のある限り、また精神あるが故に、人間というものはいつも金屬と同じような価値のあるものなのです。」

「コンクスベルク(王立造幣局)と同じ刻印が磨滅するほど永い間流通した貨幣で、 これと丁度同じことをやっていますよ。 」

ペール 
「金属になるくらいなら他のものになりますよ。」

なぜなら自分の「自我」というものを少しでも奪われたくないから。

「あの鑄物の湯柄杓で、ギュントたることをやめると言うことなどは、 わたしの奧底の魂を叛逆させずにはをきませんよ。」


Jim Lichtscheidl plays the button moulder in Guthrie Theaters Peer Gynt, translated by Robert Bly. (Photo © Michal Daniel, 2007)

ボタン職人 ジム・リヒトシャイドル 
ペール・ギュント ガスリー・シアター
 (Photo © Michal Daniel, 2007)



つまり貨幣と人間の価値を等しくすることはないけれど、イプセンは「人間の価値」をペール・ギュンターに与えていない。だからペールを貨幣価値に置き換えている気がする。

そこでボタン職人はペールに意外な返答をしている。

「ギュントさん。こんなつまらないことにそんなに力むには及びませんよ。 あなたは全然あなた自身ではなかつたのです。 ですからあなたの權利が全く消滅したところで何でもないじゃありませんか。」

「命令書にはこう書いてあります。汝はペール・ギュントを召連れざるべからず。 ペールは一生の使命をあくまで蔑視した。ほかの汚れた材料と一緒にペールを湯柄杓の中に叩き込め、とね。」

自分の好きなように生きて、自己満足してきたペールには、それが「自分自身」であったけれど、イプセンはそれを認めない。ボタン職人は親方の命令書を持っている。その親方こそイプセン自身だ。

あなた自身ではなかったというボタン職人に、自分には自我がある。それが自分自身だろうというのがペール。

ボタン職人
「自分自身たることとは自分自身を殺すことです。併しこの答はあなたには勿論よくおわかりになりますまい。 ですからこう申しましょう。親方の趣旨を掲げて見せて、随処に頑張ることですよ。」

さらに「親方の趣旨を推量しなければいけないのです。」と言う。

ペールは趣旨を推量するどころか「わたしはもう自分自身たることを述べ立てませんよ。」と言う。

自分自身を証明をするのは容易じゃない。それなら罪業の明細書を持って罪人となり牧師を見つけて、てっとりばやく懺悔をしたほうがマシだと考えるペール。

だがうまくいかない。

ペール
「梟がボウボウと鳴いている。」
ボタン職人
「朝のお祈りの鐘が鳴っているのです。」

ペール
「向こうに光っているのは何でしょう。」
ボタン職人
「小屋から射してくる灯りですよ。」

ペール
「悲しみ嘆いているような声も聞こえてくるじゃありませんか。」
ボタン職人
「女が歌を唄っているだけですよ。」

ここで第3幕のオーセの臨終の場面が繰り返された。ボタン職人によって。ペールの母オーセへの慈しみ深く感じた会話が、ここではじめて空々しく感じられる。おとぎ話のようなペールの言葉が嘯く言葉に感じられる。

そしてとうとうソルウェイク(ソルヴェイグ)の小屋へ行く。

「わたしの犯した罪を声高く叫んでおくれ。」

ソルウェイク(ソルヴェイグ)
「わたしの一生を美しい歌のようにしてくれました。それでとうとう帰ってて来てくれたことはありがたいこと。 それに聖靈降誕祭の朝にわたしたちが再会するなんて、よけいうれしいことじゃありませんか。」

ペール
「では私が私自身として、 全人格者として、真の人間として何処にいたか。 神の刻印を額につけて私が何処にいたか。」

ソルウェイク(ソルヴェイグ)
「わたしの信の中に、わたしの望の中に、そしてわたしの愛の中に。」(信仰、希望、愛)

ボタン職人
「もう何も言いますまい。」

ソルウェイク(ソルヴェイグ)の子守唄でペール永眠。

つまり「自分自身」とは「自我」ではなく、あるがままに受け入れて、そのあるがままを求める他者の存在にこそあったのだ。

これが親方、そしてイプセンの趣旨だろうか?いや、短絡的すぎ。

最後のソルウェイク(ソルヴェイグ)の言葉の信仰、希望、愛はキリスト教の三元徳。使徒パウロと兄弟テモテからコリントの信徒へと宛てられた手紙1の13章にある言葉だ。

1 我喩ひ、人間と天使との言葉を語るとも、愛なければ鳴る鐘、響く鐃鈸の如くなりたるのみ。
2 我喩ひ、預言する事を得て、一切の奥義、一切の知識を知り、また假令山を移す程なる一切の信仰を有すとも、愛なければ何物にも非ず。
3 我喩ひ、わが財産を悉く分け与え、また我身を焼かるる為にわたすとも、愛なければいささかも我に益ある事なし。
4 愛は堪忍をし、情があり、愛は妬まず、自慢せず、驕らず
5 非礼を為さず、己の為に謀らず、怒らず、悪を負わせず
6 不義を喜ばすして真実を喜び
7 何事をも包み、何事をも信じ、何事をも希望し、何事をもこらうるなり。
8 預言は廃り、言葉は止み、知識は亡ぶべきも、愛は何時も絶ゆる事なし。
9 蓋し我等の知る事は不完全に、預言する事は不完なれども、
10 完全なるところ来たらば不完全なるところは廃らん。
11 我が小児たりし時は、語る事も小児の如く、判断する事も小児の如く、考うる事も小児の如くなりしけど、大人となりては小児の事を棄てたり。
12 今、我等の見るは鏡を以ってして朧なれども、彼の時には顔と顔とを合せ、今、我が知る所は不完全なれども、彼の時には我が知らるるが如くに知るべし。
13 今、存するものは信、望、愛、この三つなれども、なかんづく最っとも大いなるものは愛なり。

この戯曲、ペール・ギュントとソルウェイク(ソルヴェイグ)をもって、キリスト教の三元徳を知らしめることが趣旨だったと言えないだろうか。

最後に僕の発見だけれど、きっとソルウェイク(ソルヴェイグ)は生涯処女であり、聖母マリアと見ることもできるかも。



追記 バラ ペール・ギュント (TBども!)

なんか、バラの名前にペール・ギュントってあるらしい。ドイツのコルデス家が作出している。

記事 薔薇ペール・ギュント エックの歌劇ペール・ギュント

それで同じドイツにちなみ、ヴェルナー・エック(Werner Egk)の歌劇「ペール・ギュント」を、あわせて紹介している。

またまた追記

なんか、クリスチャン・ラクロワ バレエ・コスチューム展の記事のTBきた。

記事 パリ・オペラ座 La Source(泉) アングルの泉 ドガの泉 ラクロワの泉のパリ・オペラ座舞台衣装展から


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少年ジャンプ42号 HUNTER×HAUNTER
book / SAI

HUNTER×HAUNTER

なんだか死んでほしくないなって。メルエムとコムギ。

「この日のために生まれてきた。」
「この瞬間のために生まれてきたのだ。」

今際の際の二人のセリフ。HUNTER×HAUNTER が、途切れ途切れに連載を続けてきたのも、この二人のこの瞬間を描くためだったのかもしれない。

僕たちが生まれてきたのも、ほんの一瞬の出来事のためなのだと。

今際の際とは今は限り(これ限り)のこと。死に際の二人の碁。

あとは関心があったのは黒子の青峰くん。そしてめだかの安心院さんの手練手管。

以上。

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悪平等
book / SAI

悪平等とはひらたく言えば、飲む奴も飲まない奴も割り勘にすることでしょ。

つまり平等が弊害を持つってことでしょ。最近になって「めだかボックス」に「悪平等」がでてきたわけなんだけど、ちょっと期待している。

記事 
週刊少年ジャンプ 19号

とんでもない「悪平等」が、この世の中で蔓延していることを証明してほしい。さらに、その「悪平等」は、実は一般人から蔓延しているってこと。つまり善吉くんのような、ネ!

だって、能力のあるものが平等、悪平等なんて必要ないし。「球磨川 禊」こそ、その悪平等が許せないんじゃないのかな?

黒神めだかはメじゃないね。だって能力がある設定なのに、やっていることは「悪平等」だし。全然っ、主人公体質じゃないしっ!容姿が落第!だいたい、全人類を自分の家族だという思想が「悪平等」だ。

安心院が「悪平等」だというのなら、それは「フラスコ計画」で、人為的に凡才でも天才につくりあげるというところでしょ。平等な能力っていうことじゃない?

「だから7932兆1354億4152万3222個の異常性アブノーマルと、4925兆9165億2611万0643個の過負荷マイナス。合わせて、1京2858兆0519億6763万3865個のスキルを持つ僕にだって ひょっとしたら勝てるかもしれないぜ」というのは、親しみを込めてあんしんいん(安心院)さんと呼べというあじむ(安心院)。

『やれやれ、ものには限度ってものがあるだろ、安心院さん。少年ジャンプのバトル漫画も、真っ青なインフレだよ。』


こうしたやりとりのあとで、純真無垢な表情の安心院が、むかついた表情で言うことには。

「まったく どーでもいいことで いつまでモメてるつもりなんだか、僕から見れば全員平等に ただのくだらねーカスだってのに」

「光も闇も 正義も悪も 毒も薬も 勝ちも負けも 強さも弱さも 黒も白も 成功も失敗も 幸福も不幸も 本当は全部同じものだって どうしてみんな気付かないのかなあ」


いや、そんなことみんな知ってるって。だから「悪平等」が蔓延してるんでしょ。

「光も闇も 正義も悪も 毒も薬も 勝ちも負けも 強さも弱さも 黒も白も 成功も失敗も 幸福も不幸も 本当は全部同じものだってことを 常識にしたいんだって」

だから、金持ちのエリートを、自分たちと一緒って思わせたいところがあるでしょ。そのためには誹謗中傷が一番効果的。金持ちのエリートだって、ダメージ受けるし。

そもそも善吉くんがいい例で、特別な能力があるわけでもないのに、能力のある奴に勝ってるって、それって「悪平等」だよ。主人公側の人間ってだけで、悪平等に能力が与えられているって。

さーて、僕の期待する安心院さんの「ノットイコール」のスキルと展開が楽しみだ。がっかりさせないでよね。僕の仕事のストレス解消は、一生少年漫画を読んでることだから。

最初は嫌いな「めだかボックス」だったけど、いまでは言葉遊びやキャラに関心を持つようになった。せっかく言葉遊びのセンスがあるんだから、言葉遊びが生きるセリフのセンスにしてほしいな。

ルイス・キャロルみたいな長々しい翻訳にしないでさ。



はいはい、19日の本日、ようやくジャンプ読んだ。このところどの作品も、安心院いわく「色々迷走して、ダラダラと連載を引き延ばした挙句、ぐだぐだの最終回を迎える」内容ばっかりだったから。

今週19号はどれもマシになった。バクマン、トリコ、DOIS SOL、黒子、そして久々に良かったべるぜバブとBLEACH。ぬらりんひょんは僕的にはOK。REBORNはひばりと骸、スパナ、山本が好きなキャラだから、その誰かの登場シーンが多ければ満足。

動物園は今回で終わったけど、僕的な読み物ではなかったが、なんかイイ感じで終わった。そういえば僕的読み物ではなかったひとつに、ずいぶん前のムヒョ。あれが終わった時は、もったいないと思ったよ。そういえば「賢い犬リリエンタール」は僕的になんか好きだった・・・。

めだかボックスは、球磨川くんの「モブキャラ」に、はまったよ。だってめだかボックスの主要キャラにも「モブキャラ」っぽい奴多くない?ウケタね。わざわざ毎週登場させなくてもいい奴いるでしょ。

Ǝnígmǝ エニグマは、安心院いわく少年ジャンプ的な内容だった。友情、努力、勝利だもね。

黒子に登場した赤司くん。なんか「めだかボックス」的なキャラじゃない?あっ、そうそう「いぬまるだしっ」も悪平等的な割り勘が良かったよ。

7かそこらの作品が良ければ一応〇って感じ。NARUTOだけは18号までは面白かったけど、全然っ!育っていない主人公キャラに、今回はうざかった。

あれっ?alei くんも?→ 記事 少年ジャンプ


 
僕がダークなキャラが好きだと書いているが、そうなの?

寺沢武一の「コブラ」は僕も好きさ。D.Gray-manはラビとブック・マン、神田ユウ。BLEACHは市丸ギン、ウルキオラ・シファー、コヨーテ・スターク、平子真子に最近は月島と銀城。

HUNTER×HUNTERはヒソカとカイトとクロロ=ルシルフル(幻影旅団団長)、フェイタン。DEATH NOTE はやっぱ「L」でしょう。めだかボックスは球磨川 禊と安心院。

NARUTOはカカシとシカマル。黒子は「キセキの世代」かな。バクマン。は、新妻と福田。ちなみにべるぜバブはやっぱり古市と夏目くん。
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美しき姫君 レオナルド・ダ・ヴィンチ
book / SAI

Bella principessa

Ritratto di una Sforza Bella principessa


英題では「ルネサンスのドレスを着た少女の横顔」(Young Girl in Profile in Renaissance Dress)だけれど、イタリアでは「美しき姫君」(Bella principessa)と呼ばれる。

正直、レオナルドの左手によるシェーディングがみられたとか、指紋があったとか、科学的分析による解析なんかは別に素人の鑑賞者の僕には関係ない。

まるで、それを知っていることによって鑑賞力は高まるのか?誰が描いたかではなく、この作品はどうなのかってことじゃないの?レオナルドの真作というのはニュースだ。そのニュースを美術評論家が解説をするのならわかるけど、作品の解説とは違うでしょ。



日比谷公園ダ・ヴィンチミュージアム 2010年
特別展 ダ・ヴィンチ〜モナリザ25の秘密〜
パスカル・コット(Pascal Cotte)氏がデジタル処理をしたもの?


レオナルドが描いていなかったのなら、この女性のプロフィールは本のネタ、研究論文のネタにもならなかったのだろうか。そのへんが知りたいなぁ。

宮廷詩人ベルナルド・ベリンチオーニ(Bernardo Bellincioni 1452–1492)による「美しき姫君」(Bella principessa)のモデル ビアンカ(1482-1496)へのソネットを書いている。

絶世の美女ビアンカはまもなく卵からかえり 世界へ羽ばたくだろう (一文を抜粋)


この当時はビアンカは10歳だったらしい。ニッコロ・ダ・コレッジオ(Niccolo da Correggio)の詩では・・・。

ミラノ公の息女ビアンカは 二度のルストロを通過し 三度目の半ば過ぎまできたところで ガレアッツォとの結婚で幸せを花開かせた (略) 苦しみに見舞われたビアンカは 魂の列に加わった (要約)


Galeazzo da Sanseverino. Gemälde von Leonardo da Vinci)

Galeazzo da Sanseverino
「音楽家の肖像 Ritoratto di musico」
 (Leonardo da Vinci) レオナルド・ダ・ヴィンチ


ともかく彼女が婚礼から数ヵ月後に亡くなっていることがわかる。ガレアッツォ・サンセヴェリーノ(Galeazzo Sanseverino)との婚礼からね。

Ritratto di una Sforza Leonardo da Vinci? Collezione privata

ビアンカ・スフォルツァ(Bianca Sforza)の肖像画
(Il Ritratto di una Sforza "Bella principessa")
「美しき姫君」 1495年頃 個人所蔵


あの「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」でも紹介した、ルドヴィーコとベルナルディーナ・デ・コラデスの間に生まれたビアンカ・スフォルツァ。

Bianca Sforza

ビアンカ・スフォルツァ  Bianca Sforza
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ(Giovanni Antonio Boltraffio)
「若い女性の肖像画 Portrait of a Young Woman」(ca. 1490.)
注:ビアンカ・マリーアと混同しないでください


記事 ロレンツォ・メディチとスフォルツァ家

今日、本屋で見かけた「美しき姫君  発見されたダ・ヴィンチの真作」の表紙だった。立ち読みしたかったけど、また昼休みが延長になったら困るので、手にとらず退散。

左側に三箇所の穴があるらしく、詩集かなにかの口絵だったのではないかという話があるんだって?

この続きはまた今度にしよ。

で、今度になった。

ルドヴィーコ(ルドヴィコ)は、爵位も継げず、彼の父親がヴィスコンティス家に仕えたのが幸運で、フィリッポ・ヴィスコンティスが亡くなってミラノ公爵を名乗ったわけで、本来のミラノ公の直系じゃない。

レオナルドの手を借りたのが、スフォルツァ家と名家との婚姻の演出だ。そして「最後の晩餐」や「岩窟の聖母」、「巨大騎馬像」なんかを依頼した。

Portrait of Gian Galeazzo Maria Sforza by Leonardo da Vinci in 1483

Portrait of Gian Galeazzo Maria Sforza 
Leonardo da Vinci in 1483 レオナルド・ダ・ヴィンチ


婚姻の演出とはジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ(Gian Galeazzo Sforza)とイザベラ・ダラゴーナ(Isabella d'Aragona)によるものだ。1490年6月のこと。

父ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが暗殺されたのは6歳の頃で、7歳でミラノ公となり、叔父のルドヴィーコが実権を握る。

この頃から素性の知れない書記官チッコ・シモネッタがガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの私室に移り住んだ。あり得ないことじゃない?

ビアンカが嫁いだガレアッツォ・サンセヴェリーノの父ロベルト・ダ・サンセヴェリーノは憤慨した。

この卑しいチッコ・シモネッタは、のちにフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ、そしてあのロレンツォ・デ・メディチに関わっていく。

プリマヴェーラ
僕の仮説「クロリスがフィオレッタ。そして花の女神フローラになりそこねたフィオレッタにかわり、メディチの分家に嫁ぐセミラミーデ・アッピアーノに変身させて、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに「結婚の祝い」として、今度はロレンツォ・デ・メディチが依頼したのではないだろうか。」

マルチェロ・シモネッタの説「システィーナ礼拝堂という舞台たての深遠な意味とメディチ家の結婚式の絵との関係を知るという名状しがたい喜びは、さぞ爽快なものだったに違いない。」

さて、女傑カテリーナ・スフォルツァが腹違いの姉になる。つまり彼女はガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの庶子になるわけだ。

raffaello isabella daragona

Portrait d'Isabelle d'Aragon (as Mona Lisa)
by Raffaello Sanzio ラファエロ


美しき姫君ことビアンカのソネットをつくったベルナルド・ベリンチオーニ(Bernardo Bellincioni)が、「天国」でミラノのスフォルツァ城で行われたレオナルドによる演出の二人の婚礼を伝えている。

この続きはまた今度にしよ。

で、今度になった。書籍「美しき姫君」の話を・・・(三度目の更新)

4月になって平積みされていたこの本がなくなって、1冊だけ残っていたので買ったみた。前半はマーティン・ケンプによる作風からモデル、後半がパスカル・コットの物理的・科学的検証になっていた。

マーティン・ケンプは、「美しき姫君」の候補者として、ルドヴィーコの妻ベアトリーチェ、そして「モナリザ」のモデルとも言われたイザベラ・ダラゴーナ、姪のビアンカ・マリア、アンナ、ルドヴィーコが嫡出子と認めたビアンカだ。

マーティン・ケンプは、アルフォンオ・デステと結婚したルドヴィーコの姪アンナもこの作品のモデルとしての可能性もあげつつ、ビアンカが本当のモデルだと思えてならないとしている。

Uomo vitruviano

神聖比例論 ウィトルウィウス的人体図 (部分)
レオナルド・ダ・ヴィンチ


ガレアッツォ・サンセヴェリーノ(Galeazzo Sanseverino)とレオナルドは近しい 間柄で、ルカ・パチオリ(Luca Pacioli 1445-1514)の「神聖比例論(De Devina Proportione)」(1509年)を献上されたとあった。

ご存知のとおりウィトルウィウス的人体図が挿絵になっている本。

Ritratto di Frà Luca Pacioli, 1495

Ritratto di Luca Pacioli e Guidobaldo da Montefe
ルカ・パチオリとグイドバルド・ダ・モンテフェルトロ 
1495年 by Jacopo de' Barbari (ヤコポ・デ・バルバリ)


フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
の息子グイドバルド・ダ・モンテフェルトロがいっしょにえがかれている。

その
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロで紹介したピエロ・デラ・フランチェスカの「モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ祭壇画)」で描かれている殉教者聖ペトルスにちょっと似ている。

本筋からそれるけど、ルカ・パチオリとレオナルドはチェスの本も出版している。

さてさて本に戻る。「美しき姫君」では、マーティン・ケンプが真作「美しき姫君」の発見で、何が証明されたかを述べている。

画法、歴史的背景、科学分析によってレオナルド・ダ・ヴィンチの研究に充実を遂げさせ、彼の新たな人物像と知られていなかった側面を伝えてくれるという。

僕もそうだと思う。新たな人物像と知られていなかった側面なんだよ、知りたいことはさ!

マーティン・ケンプ パスカル・コット
コメント:今日の昼休み(2011年2月3日 12:30)に偶然本屋で発見した。まだ読んでいないけれど、ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人との子ビアンカ・スフォルツァが描かれたこの肖像画を、真作とタイトルにつけているので、非常に興味がわいた。

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サド侯爵 マルキ・ド・サド
book / SAI
ボードレールが「悪を明らかにしようと思ったら常にサドを、ということはつまり自然人にたちもどらなければならない」と述べている。

この当時のジャン・ジャック・ルソーによる「自然状態、自然人」を「自然に帰れ」と、サドはを誇示し、それを捩る。

ルソーとサドの「自然に帰れ(ルソーは提唱していない)」と一般的に言われている言葉は、実際の「自然状態、自然人」だが、僕的な解釈で伝えると、ルソーを善であり道徳的であるとすれば、サドのそれは悪であり、不道徳だ。

けれど人間には善と悪、道徳と不道徳がある。

サド(1740-1814)は残酷で、負荷で、いわゆるアブノーマル。18世紀のフランスで、サドが書いたものは禁書で、19世紀の世紀末から20世紀のジャン・コクトーや、アポリネール、ボードレールが彼の禁書を読んだ。「サドは、エゴイズムと不正と不幸の時を、どん底まで生きた。」とボーヴォワールは言う。

LŒuvre du marquis de Sade, Guillaume Appolinaire

ギョーム・アポリネール「サド侯爵の作品」から
「サド侯爵、王政復古の幻想画」1909年


アポリネールは「サド侯爵の作品」(1909年)で「サドの粗相の多くは当時の人々を驚かしショックを与えたが、それは今でも新しい。19世紀には全然その価値を認められなかったが、この人は20世紀を支配するだろう。」と述べている。

何の知識も教養もない僕が、彼の小説を通して発見する彼や彼の作品は、「シュール」だ。

自己愛、偏屈、他人を顧みない自己中毒者。性の倒錯者。

僕にとってのサドは不愉快な人物で、その作品も不愉快だ。けれど、無知な好奇心での読書歴がある。

美徳が決して幸せを運んでくるのではない。悪徳こそ、幸せを運んでくるんだ!というサドの大義名分が作品になったんだ。

だから彼の作品を、いまの日本人が読んでも、「心が折れる」わけじゃない。

だって、サドがしてきた性倒錯は、小説の話ではなく、現代ではお金を出して性の娯楽として存在し続けているし、ポルノグラフティーが溢れているでしょ。サディズムの語源も知らない人もいない。

だが、それはサドからはじまった性倒錯ではなく、サドが生きていた時代、ルイ15世からフランス革命時代の性の華やかさと人の残虐な死を知っているからだ。残虐な死、そして性はあまりにも原始的な時代から変わらない。

ジル・ド・レイ(Gilles de Rais)、シャルル・ド・ブルボン=コンデ(シャロレー伯)などの命を犠牲にした趣味は多くある。

その当時の人間の汚れと穢れ、残虐性に比べれば、どうってことないとサドは思ったろう。そしてフランスの国自体が腐敗していたし。

Leonore retiree de son faux cercueil

サド 「アリーヌとヴァルクールあるいは哲学小説」


集団の残虐性の時代だ。

しかも生活も進歩していない時代。MAKI さんの言葉を借りれば、フランスは不衛生で室内に排泄物があるのが当たり前でヴェルサイユでさえ排他施設がなく、入浴の習慣もなく、ノミやシラミを身につけ、垢や汗にまみれた悪臭を放っていた。

記事
マリー・アントワネットの子ども達 18世紀の子供達

金のある貴族や王族は、そんな身体に鬘や髪粉、香水に、豪華な服を着込み誤魔化していた。

この当時、清潔に入浴していたのは
マリー・アントワネットくらいだろうか。薬湯はマラーだね。

そんな暮らしの中からの民衆が広場で切られた首に歓声をあげる姿や、その処刑台の下の首を切られた死体が積み重なる光景をみれば、それこそ「人かと見紛う衝撃」を受けるだろう。サドも革命下でこの光景を見て、集団サディズムを学んだのだ。

僕はサドの「ジュリエット物語 あるいは悪徳の栄え」で、いきり立った男性性器を切り落とす場面に衝撃を受けている。大学生の頃だが、その場面は二度と読んではいない。あー、恐ろしい。

ジュリエットの犠牲となる貧しい幼児たちは、18世紀のフランスでは、奴隷商人に売られ、運がよければ奴隷として使用人、あるいは見世物小屋、あるいは陵辱の対象、あるいは儀式の生贄となった。

運良く奴隷商人の元へ送られなかった子ども達は、男子は戦争へ駆り立てられ、女子は娼婦となる。

そうした幼い娼婦と交わることができるのは、金を持っている身分のものだ。

Initiation de Juliette au couvent de Panthemont

サド ジュリエット物語 悪徳の栄え
パンテモン女子修道院の挿絵


さらに聖職者同士の交わりや、告解にくる女性達との交わり。

何もサドの小説が、ことさらアブノーマルではなく、誰でもこっそりと隠していた趣味や、死罪になるであろう行為を、神に対しては後ろめたさを感じていた。それをマルキ・ド・サドは堂々と罪を暴かれ、それを正当化し、神に対してその神を殺したいと思っていた。

つまり彼のアブノーマルな点は、「神を殺す」という信念だ。

同じことをしている貴族達からの獄中への支援もないサドの性倒錯の罪に、サドは憤慨するのが当たり前なのだ。

サドのプロヴァンスの居城で、15歳の未成熟な少女たちの「性のバッカス祭」がおこなわれた。このとき司直の手にわたった「ジュスティーヌ」と呼ばれた少女は、サドを崇拝していたらしい。

1768年の4月、アルクイユのスキャンダル(ケレル事件、あるいはアルクイユ事件)は、サドの妾宅でおこなわれた。引き裂かれた服を着たローズ・ケレルは、侯爵に数回、鞭で打たれたという。殺されると思ったこのローズ・ケレルは告解をすませたいと哀願したが、サド侯爵はそれは自分が受けてやると言ったそうだ。

サドは5つの妾宅で、娼婦達を鞭打っていた。ローズ・ケレルは娼婦の習慣を知らなかった。当たり前だけど。そうして告訴したのである。

ポンパドゥール夫人が牛耳ったという鹿の園に手引きされた女達と放蕩三昧のルイ15世も、このサドの鞭打ち事件には怒りをあらわした。なんといっても復活祭の日曜日の出来事だ。

モーリス・エーヌによれば「近代の娼家の拷問室ではこの記録にあるような(当時の公式記述書のこと)光景は日常見られるもので、告訴などを考えない。」と指摘している。

サドはソーミュールの城に拘留、ピエール・アンシーズ要塞からパリのコンシェルジェリー、ピエール・アンシーズ要塞と転々し、事件から半年後に釈放。


Anne-Prospère de Launey, chanoinesse séculière chez les bénédictines, jeune belle-sœur de dix-neuf ans du marquis de Sade avec lequel elle aura une liaison violente et passionnée


ルネの妹 修道院当時のアンヌ、サドの愛人



1771年からラ・コストの居城で過ごす。ここでは、贅沢な食事、祝宴、舞踏会、芝居、妻ルネの妹アンヌとの恋愛と優雅な絹服で、謳歌していた。マリー・アントワネットとルイ16世の結婚式の翌年だ。

この官能の饗宴の日々の浪費が重なり、金の都合をつけるため、サドは翌年の1772年にマルセイユに行く。

ここでマルセイユ事件が起きた。

4人の娼婦に九尾の猫鞭。さらにサド自身が打たれる。そして水晶の器から班猫を取り出した。性欲の媚薬だ。サドと従僕のソドミーがはじまる。死罪になる男色行為。娼婦らはヴァユーズとしてそれを観る。

この性欲の媚薬を取りすぎた娼婦が衰弱し、医者を呼ぶハメになった。これが毒殺未遂と扱われる。そしてソドミーの一件も明るみになる。

さて逃亡したサドが不在のまま、死刑判決が言い渡される。義母モントルイユ夫人によってサルディニア王に交渉。サドはここでミオラン要塞に送られた。

1773年に脱獄し、ラ・コストに戻り、1775年にあの性のバッカス祭、「少女のスキャンダル」を起こしたわけだ。ちょうどルイ16世の即位した年になる。

義理妹アンヌとの逃避行はイタリアだった。W.レニッヒ著、飯塚信雄訳 「サド」では、この逃避行が当時のイタリアの地理、風俗、そして美術品がよく描かれているというのが、「ジュリエット物語」だという。

紀行文学の形式のように、イタリア諸国のスキャンダルや犯罪もこの作品に織り込まれている。

さて、三島由紀夫の作品にもなったサド侯爵夫人。アンヌの姉ルネはどういう女だったのだろう。→ 記事 「
サド侯爵夫人ルネ・ペラジー

Manuscrit original des 120 journées de Sodome de Sade

サド 「ソドム百二十日」のオリジナル原稿 (C)wiki


バスティーユ監獄に投獄されたサド。サドはどの監獄でも優雅だったにちがいない。バスティーユでも、みな、その地位に応じた待遇を受ける。

絹のタペストリー、上等のベッド、飾られる装飾品に家具。贅沢な食事に2400リーヴル(¥240,000→¥24,000,000ほど)の支給金。屋上の散歩つきの待遇。(1 リーブルについての換算は¥1000説、¥10,000説、¥12,000とあり)

サドともあろう者が孤独を感じていたという。それは性倒錯の相手がいないからだろうか。それが妄想になり、「ジュスティーヌ」、「アリーヌとヴァルクール」、「閨房の哲学」、「司祭と臨終者の哲学」、「ソドムの百二十日、または放蕩者の学校」を書いた。

その著作が彼にとって幸福感を与えた。喜びと陶酔。

彼はバスティーユ襲撃の10日前にシャラントン精神病院に移されている。

このシャントラン精神病院には、後年にナポレオンにも「狂人」とされて、もう一度押し込まれることになる。

「ジュスティーヌ、または美徳の不幸」では、ことごとく善行のたび罠に落ちる、ジュリエットの妹ジュスティーヌ。

恐ろしい犯罪を犯そうとする医者を思いとどまらせようとすれば、逆に泥棒女の烙印を押され、秘蹟を受ければ司祭に処女を奪われ、何かを恵もうとすれば盗まれる。

なんとも不運な美徳をつむ女の話だ。

このジュスティーヌの敬虔な部分を、自分の妻ルネでも思い描いていたのではないか。その絶対的愛情をサドに注いだ献身的な妻ルネは、バスティーユ襲撃で釈放されたサドに離婚を告げる。侯爵の財産はできるだけ自分の私財にしておいたのだった。

Retrato do Marqués de Sade por Charles-Amédée-Philippe vão Loo (c. 1761)

ドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド
(Donatien Alphonse François de Sade)
チャールズ・アメデ・フィリップ・ヴァンロー


小説のなかでサド侯爵は、ヴォルテールの友人でもあった伯父ジャック・フランソワ・ポール・アルドンス(Jacques-Francois-Paul-Aldonse,1705〜1778)と5歳から5年間をともに暮らす。

放蕩と文学。この伯父の血が禍したのか、ヴォルテールの影響が強かったのか。

楓の読んでいた小説にでてくるジャック・フランソワ・ポール・アルドンスのサドの幼児期の回想では、「昆虫採集に興味を持ち、針で昆虫を刺す前に自分の手首を指していたのを何度も見た。書斎に飾っている奴隷女を鞭打つ絵を恍惚と見ていた。そして私は愛人と暮らしていたのだ。」とあったそうだ。

アベ・ド・サドといったほうがわかりやすい。実際の彼はやはり放蕩家で、イタリアの詩人、「フランチェスコ・ペトラルカの生涯」の著作がある。

小説には母親のこともあったという。望まない結婚で、ドナスィヤン(サド)が生まれたばかりに離婚ができないと嘆くところを、幼かったサドに聞かれたというストーリー。

実際にサドはフランスの一般的な家庭で育っている。つまり生んだら、また父親も母親も自分の人生を優先するということだ。

とくに王族や上流家庭では、乳母から親族、あるいは修道院などに送りこまれ、そこで育てられ教育を受けるのだ。サドは、巨大なコンデ家の城で、ルイ=ジョゼフ・ド・ブルボン、コンデ公(1736−1818年)と育てられた。(このコンデ公は、マリー・アントワネットがプロセイン国に懇願したところから「ブラウンシュヴァイクの宣言」(パリ民衆への威嚇)が発せられたが、この内容には、コンデ公も関わっている→記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月

「私は有名な王子の館に生まれ、そこに住み、その王子の家柄に私の母が属するという名誉を持っていた。」

手元に置くというのは、手元で育てるのではなく、乳母や家庭教師に育てられるのだ。だから、現代の家族関係とはまったく違う時代だということも考えなければならない。

サドは両親とほとんど会うことなく、またサドが不名誉な時期には我関せずで、妻ルネの母モントルイユ夫人が介入することになる。

Les mains libres 1937 Paul Éluard (1895-1952)  Man Ray (1890-1976)

詩画集 自由な手(Les Mains libres)のサド
ポール・エリュアール(Paul Éluard)、マン・レイ(Man Ray)共著


僕はまったくサドの趣味は理解できない。性的倒錯には個人の趣味があるので一概に僕の見解を披露するのは憚るが、それも受付ない。

サドの作品の正当な評価とはなんだろう。これを正当に評価する必要があるのだろうか。

高い評価とするならば、博学と文章力だけではないか。こうした作品をわざわざ知的な好奇心に値するという押し付けが嫌いだ。その人並みはずれた偉大さは認めるが。

彼の作品は、歴史や政治に宗教、そして当時の腐敗した趣味や、様々な伝承を知っているなら、さらに面白く読める作品だ。

澁澤龍彦の訳は、かなり自己流で、要約している。佐藤晴夫氏が全訳しているので、今度はそっちを読んでみたい。

サドはナポレオンの退位とルイ18世の即位の年に亡くなった。

恋愛の相手は数多く、ルネに三行半をたたきつけられたサドは、ケネーと暮らす。現代の中高年離婚の先駆者だったんだ、ルネ。最後の愛人マドレーヌとケネー、サドの3人で新家庭を営むことを夢見ていたという。

サディズムのわりにはロマンチストだ。

遺言には「私の死体が解剖されることを禁ずる。」とある。「神を殺す」というこのサディストは、教会と和解し、司祭も呼んだ。人間なんてこんなもん。そして、半世紀後には、サドの遺骸から頭蓋骨は転々する。遺書のなかでの望みも叶わなかった。

今回僕がこの記事を書くにあたっては、W.レニッヒ著、飯塚信雄訳 「サド」を参考にした。


僕の不思議  フランス革命とサド侯爵

 
1790年、国王一家が、昨年の10月行進で、ヴェルサイユからチュイルリー宮殿に移っている頃に、サド侯爵は釈放された。

8月と9月にコメディー・フランセーズで朗読と「ゾフィーとデフラン」が上演されたが、それっきり。1791年に「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」を初出版している。

さて貴族たちはフランス革命が起こると亡命をはじめた。ブルボン家の血筋を引くものも。

サドの母親の家系がブルボン家の血をひくため、ルイ=ジョゼフ・ド・ブルボン、コンデ公(1736−1818年)と幼い時代に過ごしたが、このルイ5世ジョゼフ (コンデ公)は1789年に亡命した。

サドは釈放されたばかりだけれど、十分に逮捕される理由がある。ブルボンの血をひく貴族だから。

でも、1792年にジャコバン派に戯曲「誘惑者」を中止させられた。この年の9月虐殺では、サドのラ・コストの城も略奪される。

9月虐殺は
記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王
記事 フランス革命 革命裁判所 検察官 フーキエ=タンヴィル

それから、なぜかピック地区の委員なんかをやるようになる。恐怖政治がピークになる1973年だ。

その年の12月に逮捕された。理由はピック地区への請願書だった。

それはロベスピエールが創り出そうとしている偶像。「徳(美徳)の礼拝」への一件らしい。翌年、ロベスピエールは最高存在の礼拝を準備し「最高存在の祭典(Etre Supreme)」を開催する。

サドは反革命派か革命派かと問うなら、革命の結果、サドの無神論が自由に表現できるわけだったから当然革命派。

だが、ロベスピエールは、無神論を貴族主義とみなして断罪する。その神にかわるものが美徳としたわけだ。アホらしい。

だからこそ、サドは革命を支持する必要がなくなった。

ここで不思議なのは、ブルボン家の血をひいて、数々のスキャンダルで騒がせたサド侯爵が、翌年の7月まで死刑が行われなかったことだ。せいぜい3〜4ヶ月。あるいは即効処刑でしょ。

マドロネット修道院に監禁だ。この時期、「レ・マドロネット監獄」は一般法の囚人用にあけられ、被拘禁者(反革命派)の一部はポール=リーブル監獄に移送された。

記事 フランス革命下の囚人たち
レ・マドロネットの囚人たちも記事にしています。

サドは悪辣な監獄には入れられなかった。ここレ・マドロネットは、王党派の俳優や作家、貴族が投獄されていた。だがすでに処刑、移送されている。

ということはサドは反革命ではなく一般法の囚人として投獄されたのだろうか。これが不思議なことである。

1794年1月レ・カルム僧院、サン・ラザール監獄と移送され、3月には療養のためピクピュス療養所に移送。裁判のやりとりがわからないが7月26日の死刑判決は病気のため延期になった。

どうして、この人死刑からは免れるのだろう。2度目の死刑宣告なのに。しかもロベスピエールの礼拝に物申したわけだから。

そのロベスピエールが先に処刑され、命拾いしたわけだ。

ルソーの思想となにかと結びつけるロベスピエール、ルソーの思想を自由自在に引用するサド侯爵。

この二人比べたら、サド侯爵のほうがいいかも。


 中傷と迫害

フランス革命時の人物伝には「中傷と迫害」はつきものである。

現実の侯爵が残忍な怪物でありえなかったことが理解される。とあるが、過度な悪ふざけを何度か演じただけで済まされるのかな?

サドの中傷はこうである。

女を丸焼きにさせて打ち興じる。・・・つまり豚の丸焼きを鞭打ちするっていうようなこと。こんな中傷を現代に再び持ち出すのが専門家や歴史家、小説家だ。

まるで新しい発見のように、実はそうではないと。

だが、アルクセイユ事件、マルセイユ事件は事実であり真実である。その事件がそうでなかった、濡れ衣だというなら新しい発見で、本当の意味での中傷と迫害となり、贖罪の山羊といえるだろう。

この時代にわざわざ誰もがデマだと思うようなことから、人物評価を研究するなんて、よっぽどネタがないのではないか。

マリー・アントワネットと比較をすると、サド侯爵は不愉快だろうと思うけど、彼女もそうした一人。決して「本来の罪」の中傷回復ではないのだ。

「オーストリアへの戦争回避における賠償金による財政圧迫」、「国王の拒否権行使と逃亡」、「諸外国の干渉による王政の復活」、「亡命貴族との共謀」、「牢獄での脱出計画」は決して消えない事実である。

王妃の中傷回復も、サドのような突拍子のないデマや、母子相姦などである。「王妃の本来の罪」は濡れ衣でも中傷でもない。そのことが全くのつくり話なら納得するけど。

ちなみに同時代のルソーの中傷は別の記事にまとめた。

記事 ルソーの妄想・空想・瞑想

上の記事では、サドの「悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル(ウジェニー・ド・フランヴァル)」もルソーと比較している。

それではサドは怪物か。

人間に決まってるじゃない。何度も言うけど、貴族的な趣味が高じて事件が発覚した。つまり被害者が告訴したからだ。内容が内容だもん、告訴するよ、普通。

もし現代にサドの起こした事件が起こったら、無実にはならないでしょ。


 迫害される美徳 フランス文学史より引用、要約

「司祭と臨終の男との対話」、「ソドム120日」、「アリーヌとヴァルクール」、「恋の罪」、「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」、は何よりも孤独によって肥大させられた想像力の結実である。

サドと「異常性欲のニュートン」(G・ピコーン)としてのみ捉えるのは適当ではない。

彼は体系的思想の持ち主ではないが、百科全書派の無神論と唯物論を徹底させる異議申し立て者、狂暴な論争家である。サドは神の存在と自然の善性という2つの原理を激しく攻撃する。

「わたしのもっとも不快とするところは、現実に神が存在しないということ、それゆえにいっそう積極的に神を侮辱する楽しみを、私が奪われているということです。」(ジュリエット物語悪徳の栄え)

こうしてサドは18世紀の作家のお気に入りの美徳と幸福の結合という主題に対して、悪徳の勝利を対置させる。

「恋の罪」や「アリーヌとヴァルクール」は作家サドに並ならぬ文学的野心があったことを物語っている。彼は挑発的仕方で、人間の心に隠された地獄をあばく。

人間の尊厳を傷つけ、人間の偉大さの陰に隠れた深部をあらわにすることによって、彼はわれわれを恐怖させる。

サドは、否定の精神を支えとするモラリストであったといえなくもない。

僕がサドの小説の内容や人物像にはこれっぽちも興味はない。

サドが偉大な詩人ぺトラルカに絶賛された美女ラウラ・デ・ノヴェスの血をひくことも関心はない。

ただ、引用した「人間の尊厳を傷つけ、人間の偉大さの陰に隠れた深部をあらわにすることによって、彼はわれわれを恐怖させる。」というサドが好きなのだ。
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クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王
book / SAI

Louis XVI jurant fidélité à la Constitution sur lautel de la patrie tableau (détail) de Nicolas-Guy Brenet réalisé vers 1790, exposé au Musée des Beaux-Arts de Quimper

祖国の祭壇上で憲法への忠誠を誓うルイ16世 1790


また楓がマリー・アントワネット関連の記事をアップした。またなんだと思いつつ記事を読む。

マリー・アントワネットの娘マリー・テレーズが書いた「マリー・テレーズ王女の回想記録」の話しだ。

アングレーム公爵夫人となったマリー・テレーズは、その原稿を父の従僕だったクレリーを通して取り戻し、写しをつくってスーシー夫人に預けますが・・・

へぇ、クレリー(Hanet dit Cléry)が。

じゃ、僕はクレリーの残した日記を記事にしよ!

小説家は美談を書く。小説家は史実を裏かえしに書くことがある。

Hanet dit Cléry par le peintre Henri-Pierre Danloux.

ジャン=バプティスト・クレリー


小説の主人公は読者に愛されるか、もしくは涙を誘わなければならない。その本が売れるために。

そして、日記や書簡集も実はアテにならない場合がある。手を加えられることがあるからね。そして側近の日記。

それは仕える王への愛情。ほらほら、身内びいきってある。事実と真実は違う。事実は美化されたり、あるいはゆがめられたり。だから真実を探すことが好きなんだ。

ルイ16世。彼は無能な王だった。それ、アタリ。だって国民に処刑されたんですから。

国王や王妃に求められるものは、国民を、そして国を永遠に存続できる義務と責任を負えるか負えないかだ。

Louis XVI at the Tour du Temple Jean Francois Garneray

テンプル塔のルイ16世 (C)wiki


ルイ16世は有罪で当たり前。これまでの資料や文献でも確認されていることだ。(小説脳、漫画脳じゃないからね、僕)

この件に関して、彼の日記を編纂したジャック・ブロス(Jacques Brosse)も「序」で語っている。

国王(ルイ16世)は敵と通じていた。プロシャ(プロセイン)、オーストリアのどちらに国防に関する資料を渡そうか。両国の軍隊を呼び、侵入してくる。

楓の記事の「マリー・テレーズ王女の回想記録」にも、この話しが出てくる。ただ楓はこのくだりをとばしている。女の人って、こういうところはトピックしないんだな。

Madame Royale at about the age of twelve

マダム・ロワイヤル(Madame Royale)
マリー・テレーズ

役人のマチューが父にいひどい言葉を浴びせた。「非常呼集の太鼓が鳴り、早鐘が鳴り、警砲が打たれた。亡命貴族どもがヴェルダンにいる。もしやつらが来たら、俺達は一人残らずくたばるだろう。だが、まっさきにくたばるのはあんただ。」 父はこうした侮辱を、希望からくる落ち着いた態度できいていた。・・・(略)・・・役人たちもたしかにプロシャ王は進撃しており、ルイと署名のある指令に従いフランス人を皆殺しにしている。彼らのでっちあげる中傷ほど馬鹿馬鹿しく、信じがたい話しはなかった。

引用・要約 「マリー・テレーズ王女の回想記録」から

マリー・テレーズは父がそんなことをするわけがないと思い込んでいる回想録。あてにならないでしょ。

さて、マリー・テレーズ同様に身内びいきのクレリーの日記が無能王ルイ16世をどういう人物像に仕立て上げたのか。

ルイ18世に彼がその日記を献じたとき、「多くの真実が危険と共に明らかにされた。」という銘文を授けられたもの。

そう、ルイ16世従僕クレリーの日記は出版されて、彼にいくらかのゆとりをもたらすものとなった。


Jean-Baptiste Cléry, Journal de ce qui s'est passé à la tour du Temple pendant la captivité de Louis XVI, Londres, 1798

 
1792年の8月10日、民衆によるテュイルリー宮殿襲撃からはじまるクレリーの日記。フランス国王ルイ16世は監禁された。

その当時は王太子殿下に仕えていた。その日、パリ県の検事総長レドレルは、ランバル公妃と養育係のトゥーールゼル夫人だけをお供にさせて、議会に非難させた。

取り残された私は、フイヤン修道院のテラスに槍にささった生首を4つ見た。それが王宮襲撃の合図だった。

宮殿は死骸でうまり、王妃のテラスから飛び降りた。スイス兵は無残に殺され、女たちはズタズタに死体を切り裂き、意気揚々としている。

面識のないリュドリュー氏が危険が去るまでかくまってくれた。そこに王太子殿下の侍女ランボー夫人も避難してきた。

その主人の息子たちが帰ってくると、陛下の権限停止と監禁の話を聞く。タンプル塔に幽閉された6日後に、王家に仕えていた女官達が逮捕されたことを知り、パリ市長ペティヨンに頼み、王太子殿下の従僕として8月26日にタンプル塔に入った。

引用・要約 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳


アントワネットの娘マリー・テレーズの回想録を読むと、マリー・テレーズはクレリーに好印象を持っていなかったようだ。11月2日のこと。、クレリーが知り合いの歩哨と握手したことが原因で、邪推されたクレリーが逮捕された。戻ってきたクレリーはルイ16世にこれまでの振る舞いを詫びたと記している。

マリー・テレーズから見て、この当時に何か不審な点があったのだろうか。まさか、テュイルリー宮殿襲撃の日に、さっさと逃げたのではないかという僕の邪推。

9月3日、昼食の最中に太鼓の音、次に人民の叫びが聞こえた。窓の向こうに槍の先にささった人の頭が現れた。・・・(略)・・・ランバル公妃の首だった。血だらけだが顔はくずれていない。髪にはまだカールがかかっていた。

陛下のところに行くと役人が二人いた。市民が窓際に姿を見せろと要求しているのを役人は告げていた。王妃様への罵声が激しくなる。そこにまた数人の男達が入ってきた。国民衛兵の服を着た男が王妃に向かって「ランバルの首を見せたがっているんだよ。」と王妃さまに言った。

王妃様は気を失って倒れた。

陛下は毅然として言った。「私たちはどんな覚悟もできています、ムッシュー。でもそんな恐ろしい話を王妃の耳に入れないでおいてもらいたかったですね。」

ご家族はエリザベート様の部屋へ入られた。私はしばらく王妃様の部屋にいた。窓からランバル公妃の首が見えた。別な男は不運な公妃の血だらけの心臓を剣の先に刺して掲げていった。

引用・要約 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳


マリー・テレーズとクレリーの矛盾。

マリー・テレーズはこのときの父ルイ16世が、逆に男に詫びている様子を書いている。その様子は下記記事から。

楓 記事 「マリー・アントワネットの娘 マリー・テレーズ王女の回想記録 1

どちらが本当のルイ16世の態度だったのだろう。そしてマリー・アントワネット。クレリーは失神したとあるが、マリー・テレーズは立ったままと書いている。

クレリーは塔の中、そして彼らの一日の様子も日記に書いている。

小塔と大塔は背中合わせで中はつながってはいない。小さな円塔が二つあり、一方は階段、一方の円塔は小部屋で各階とつながっている。

主屋は一階の控えの間、食堂、円塔の中の小部屋は図書室。二階の一番大きな部屋は王妃と王太子。小さな控えの間を隔て、王女様とエリザベート様。その部屋を通り、小部屋は共同の衣裳部屋。陛下は三階。円塔の中の小部屋は書斎。四階は封印されている。

陛下は6時に目覚め、身支度を整えた数分祈る。9時まで読書。9時からご家族で陛下の部屋で朝食。10時には王妃の部屋に集まり、一日を過ごす。

陛下は王太子さまにコルネイユ、ラシーヌを暗誦させる。フランスの新しい地理。傍らで王妃は王女様の教育にあたる。それがすむと、お昼まで縫い物、編み物、つづれ織り。正午に三人のご夫人は部屋着を着替える。天気がよければ庭へ散歩。二時に塔に戻り、昼食。

Louis XVI  Tour du Temple

タンプル塔の国王一家


国民衛兵隊総司令官サンテールと副官二人が巡視にくる。昼食後は陛下と王妃はゲームをする。四時、陛下はお休みになる。お目覚めになると王太子様の手習いがはじまる。モンテスキューや著名な作家の著作集から書き写す。そのあとエリザベートさまの部屋で鞠投げや羽根突きをする。

日が暮れる頃、王妃様は歴史や選りすぐりの本を読み聞かせする。しかし思いがけずご一家の境遇とよく似た話が出てくることもあり、皆様はふさぎこんでしまわれる。その次にエリザベートさまが午後8時まで朗読。

そして夕食。陛下は図書室のメルキュール・ド・フランス誌から謎々をお出しになる。夕食のあとお祈りをする。9時、陛下は夕食をとる。陛下は真夜中まで読書をなさる。こうした生活が9月30日まで続いた。

引用・要約 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳


クレリーによると王妃やエリザベートが選りすぐりの本を読み聞かせし、思いがけず境遇が似ている話にふさぎこむ。

清教徒革命とか名誉革命とか?

不思議だが、まさか朗読するまで本の内容を知らないわけがないと思うのだが。タイトルなんかみても・・・。

仮に僕なら自分の置かれた立場からすると、朗読の本は選定するだろう。

だが・・・、清教徒革命(ピューリタン革命)では三十年戦争が尾をひき、海外の干渉をほとんど受けずに革命は進展した。



The Free Sanction by Louis the XVIth: “Que fais-tu là, beau-frère ? Je sanctionne.” 1842 Augustin Challamel, Histoire-musée de la république Française, depuis lassemblée des notables, Paris, Delloye 

「義弟よ、署名するのか?」
レオポルド2世がルイ16世に問う場面



ルイ16世は海外の干渉を受けなかった清教徒革命から、プロシャ(プロセイン)、オーストリアに侵入させる手段を考えたのではないか。
 
ルイ16世の地位を保証がないなら、フランスと戦争をするというピルニッツ宣言。海外からの干渉を得ることで地位を守ろうとしたのか?

1791年のピルニッツ宣言は、マリー・アントワネットの兄、レオポルト2世(神聖ローマ皇帝)とフリードリヒ・ヴィルヘルム2世(プロセイン王)の共同宣言で、アリー・アントワネットは兄レオポルド2世にフランス軍の情報を提供したとある。

マリー・テレーズが父がそんなことをするわけがないと書いているプロシャの侵入。

クレリーは次のように書いている。

マニュエルが9月中にきて、プロシャ王がシャンパーニュに侵入したころ、陛下にプロシャ王宛ての手紙を書かせた、といううわさが流れたことがある。

はっきり言えることだが、私が塔にいた間、マニュエルが姿を見せたのは、9月3日と10月7日の二回だけである。

二回とも大勢の役人と一緒だったし、陛下と個人的に言葉を交じわすこともなかった。

引用・要約 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳


たったこれだけだ。

クレリーは、ルイの遺書をこの日記に書き残しているが、ルイ16世は二通用意した。その一通なのか、あるいはクレリーが写したのかわからないが、クレリーに遺書の中身を見せるほど信頼されている。

そのクレリーがルイ16世の醜聞を書くわけがない。クレリーの目的はルイ16世の美談なのだ。

そしてもうひとつ歴史からルイ16世が学んだのは名誉革命だろう。王を処刑せず、その亡命を認めている。処刑すれば殉教者として扱われるからだ。

これだよ。

ルイ16世はこの二つの革命を知っていた。だからはじめにフェルゼンと共に逃亡したんだ。きっと殉教者として扱うことに難色を示すと思って。

ところが失敗した。もう彼らの名誉は殉教者になる以外ない。




Lxvitest Saint Agnes day, is the dies natalis of the Roi-Martyr,



ジャック・ブロスはあたかも断頭台の下でフィルモン神父(Henry Edgeworth de Firmont)が与えたその名文句で、ルイ16世は信仰篤い殉教の王(roi martyr)として、キリストの殉教のように当てはめられたかのように語っている。

だが、僕はもっと以前から殉教の王(roi martyr)としての伝説つくりをしていたと思う。タンプル塔の図書室で。

さて日本では、処刑された殉教者としてのルイ16世、アントワネットの伝説はあまりひろまらなかったようだ。

クレリーの日記には、1792年に書かれたルイ16世の遺書の内容が載っている。

記事 クレリーの日記 ルイ16世の遺書

無能王あるいは啓蒙思想の王、そして可愛いアントワネットのお話ばかりで、伝説の美談になったこの「殉教」が抜けてしまっている。

ルイ16世の処刑は、三銃士、王妃の首飾りで有名なアレクサンドル・デュマ(大デュマ)が、その様子を伝えている。ルイがフィルモン神父から与えられた名文句だ。

太鼓の音がその声を閉ざす。とあるが、大デュマには聞こえていたらしい。

Labbe Edgeworth de Firmont

エジウォルト・ド・フィルモン神父


手記「ルイ16世の最期」は国王の贖罪司祭エジウォルト・ド・フィルモン神父が書いているが、結構、マリー・テレーズ、クレリー、フィルモン神父は同じことを綴っても、みんなそれぞれ違うことがある。

とくに、フィルモン神父はあとになって書いているようだから、記憶が定かでないと思われるところもある。

ただし、ルイ16世の名文句は一字一句間違いないだろう。大デュマに聞こえていたとおりだから。

国王陛下の運命がまだ決まらない頃、マルゼルブ様から第三者の家で会いたいとの申し出があった。

委員会が開かれているテュイルリー宮に来てみると、至宝大臣ガラから「ルイ・カペー(ルイ16世の平民としての呼び名)が臨終のときにあなたに立ち会ってもらいたいと言っています。」と言う。

「陛下が望まれ、私を指名なさったのなら、陛下のおそばにまいるのが私の義務です。」と応えた。

タンプル塔に着くと、陛下は「神父様、今はあの最も重要な用件についてお話しなければなりません。」といって封を切られた。

遺書だった。

陛下にお会いして、ある思いがますます強くなった。それはいかなる犠牲を払っても聖体を拝受していただくことだった。

さっそく陛下の了解を得て、明日処刑場に向かう8時の前に行うことになった。

・・・(略)・・・

陛下はしっかりしたお声で「出かけよう」と言われた。

陛下は馬車に押し込められ、ルイ15世広場についた。三人の処刑人が、お召し物を脱がせようとした。陛下は毅然と押し止め、ご自分で処刑の身支度をなさった。

処刑人は陛下の両手を縛ろうとした。陛下はそれを憤然と断ったが力ずくで縛ろうとしているように見えた。

「陛下、この最期の侮辱においても陛下と神とは相通ずる点がございます。それこそ神が陛下にお与えになる償いとなるのです。」

陛下は処刑人に「好きにするがいい。苦い杯を最後まで飲み干そう」

それから二十ばかりの太鼓に一瞥をくれて静かにするようお命じになり、あの永遠に忘れられない言葉を仰せになった。

「私は無実の罪をきせられて死ぬのだ。私を死に追いやった人たちを許し、こう神に祈ろう。これから流される血が二度とフランスを血で染めぬようにと」

 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳


この最期のルイ16世の言葉。彼は罪人ではなく殉教者として処刑されたことになる。

Louis XVI  Death Mask by Madame Tussuad

ルイ16世 デス・マスク マダム・タッソー


なぜならジャック・ブロン曰く「信仰篤き王の言葉であり、キリスト教徒の言葉である。」と。

「しかし同時に国王としての言葉でもあった。その言葉はフランス全体が罰を受けるべきだと前提しているからである。」

そしてジャック・ブロンは語る。

「国民公会は凡庸な男を殉教者に変えてしまった」と。

引用・要約
Journal de ce qui s'est passé à la tour du Temple
 「国王の従僕クレリーの日記」 クレリー著、ジャック・ブロス編 吉田晴美 訳

さて死刑執行人シャルル=アンリ・サンソン。彼からのルイ16世に対する感服の言葉は残っていない。長い間ためらったとある。

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チョーサー 女子修道院長の物語(カンタベリー物語)  修道女の肖像画
book / SAI

Prioress Tale

モリスのケルムスコット版チョーサー著作集
カンタベリー物語 (1896)より (部分)
「女子修道院長の物語」 by エドワード・バーン=ジョーンズ


エドワード・バーン=ジョーンズの「女子修道院長の物語」には、ご存知のとおりチョーサーの「カンタベリー物語」。美徳を示すような英国人中心のような気がするのは僕だけだろうか。とくにこの「女子修道院長の物語」にも見受けられる。

1896年にウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズは「チョーサー著作集」を出版したが、その以前からバーン=ジョーンズはこの「女子修道院長の物語」を描いている。


チョーサーのカンタベリー物語から

もともとバーン=ジョーンズがチョーサーのカンタベリーにでてくる「女子修道院長の物語」をデコレートしたのがワードロープ。そうして1865年以降に取り掛かって1898年に出品されたものが、よくバーン=ジョーンズの記事に引用されている作品画像だ。

これはウィリアム・モリスの結婚祝いとして贈られたワードロープ。扉のなかにはモリスが絵を描いている。

このカンタベリー物語の「女子修道院長の物語」では一体何が語られているのかというと・・・。(あらすじではなく)

まずはカンタベリー物語の総序の歌で、主人公が「尼僧院長(女子修道院長)」をつぎのように歌っている。

Cabinet decorated with scenes from The Prioresss Tale_Ashmolean Museum

Prioress's Tale (1858-9)
エドワード・バーン=ジョーンズ「女子修道院長の物語」


※たいへん長いので僕的に要約

楚々とした微笑としとやかさ 尼僧院長のマダム・エグレーン
鼻にかかった聖歌の歌いぶりは まことに人柄がうかがえる
宮廷風のエチケットを堂々と真似て 人の尊敬を集めている
彼女のやさしい心根は・・・略・・・
優美なマントに珊瑚の数珠 
花文字のイニシャルAの金のブローチは
「愛はすべてを征服す」と彫られていた。

というような尼僧院長。この気取った彼女が語った話とは

「キリスト教の歌を歌った少年は、ユダヤ人に喉を切られ
聖母マリアが穀物を与えると 美しい声で歌いだす
こうして幼い命はもえ尽きて 殉教者として葬った」


血の中傷  ユダヤ人迫害の物語 ?  「女子修道院長の物語」

なんだかユダヤ人に対する憎悪を煽っているようにも思われる。

古代からユダヤ人の儀式「血の中傷」(wiki)というつくりあげられた迷信が、この時代も続いている。

ユダヤ人が過越しの生贄としてキリスト教徒の子供達を犠牲にするという儀式。それをこの女子修道院長の物語で語らせている。

Geoffrey Chaucer The Prioress Tale

モリスのケルムスコット版チョーサー著作集
カンタベリー物語 (1896)より
「女子修道院長の物語」 by エドワード・バーン=ジョーンズ
キリスト教の歌を歌っている少年


「ユダヤ人に喉を切られた少年」というところ。つまり「血の中傷」の犠牲となった少年ということを暗示させている。

この儀式「血の中傷」を、チョーサーはなんらかの事例をこの物語に引用したのかもしれない。(追記:wikiに引用していたとあった)。シェイクスピアでも金貸しだったがユダヤ人が登場する「ヴェニスの商人」だが、悪徳の役目を押し付けられるユダヤ人。

wikiより引用  1255年、イギリスのリンカン
1255年、イギリスのリンカンで子供が行方不明になり、ユダヤ人が疑われた。彼は馬の尾に結び付けられて市内を引き回された挙句、その他17名のユダヤ人と共に処刑された。それから二百年後の時代の詩人ジェフリー・チョーサーは著書「カンタベリー物語」の逸話、「女子修道院長の話」のなかで、リンカンでの血の中傷を取り上げている。

 バーン=ジョーンズ 「女子修道院長の物語」  デラウェア美術館

「チョーサー著作集」では、バーン=ジョーンズは気に入った物語の挿絵のみだという。「眠り姫(いばら姫)」もそうだけど、同じ場面を繰り返しながら何枚ものバージョンを描いている。

聖ゲオルギウス」なんかもシリーズのほかに家具の扉絵にまで描いている。「運命の女神の車輪」も少なくとも7枚だって。

この題材もよほどのお気に入りだったのだろう。モリス共々。

The Prioress Tale, 1865-98


これが展覧会に出品した バーン=ジョーンズの デラウェア美術館蔵 「女子修道院長の物語」(1865-98)だ。

ここにはっきりと5種類の花が描かれているが、ミレイのオフィーリアのように花言葉を強調しているんだろうか?

この作品を記事にしている方々の画像をみて、すごく違和感があった。ようやくそれがわかったが、皆さん下を少しカットしているんだよね。この扉の縁にこそ、「E B J」ってサインが入っているのに、どうして?


 レヴィ=デュルメルの修道女

レヴィ=デュルメルはフランス世紀末文学者ジョルジュ・ロデンバックの作品から絵画化しているが、彼の作品化には女優マルグリット・モレノの肖像画を重ねている。

Actress Marguerite Moreno in Georges Rodenbachs play The veil,1896

ベール 1896年 レヴィ=デュルメル
個人所蔵


レヴィ=デュルメルはフランスの象徴主義画家の一人で、アール・ヌーヴォーを象徴する装飾も手がけている。英国のラファエル前派に関心をもちバーン=ジョーンズのオマージュを作品化した。

記事 レヴィ=デュルメル Lucien Lévy-Dhurmer


実際にいた修道女


アッシジのサンタ・キアラ聖堂だったと思う。 英語よみではクレア(Clare)、またはクララ(Clara)というが、アッシジといえば聖フランチェスコ。聖クララ(キアラ)は1226年にフランチェスコが亡くなるまで、世話をしたという人。



アビラの聖テレサ(イエズスのテレジア)
ピーテル・パウル・ルーベンス


そのサンタ・キアラ聖堂に、ディエゴ・ベラスケスが描いた修道女に由来する人物が描かれていた。アビラの聖テレサ、イエズスのテレジア(Teresa de Jesús)だ。

アビラにあるカルメル会にいた人だが、僕は仏教だからキリスト教には疎い。聖フランチェスコVS聖ドミニカの戦いくらいは知っているけど。この二人はルーテル教会の聖人という共通したものがある




聖クララ(アッシジのクララ)1194-1253
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画
by シモーネ・マルティーニ(1284ー1344)


この人の名の教会に飾られているイエズスのテレジアは、スペインのローマ・カトリック教会の神秘家で、カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人となっているらしい。この人については厳格な禁欲者で、カルメル会の修道院に入ったことだけ。あのルイ14世の愛妾だったルイーズ・ド・ラヴァリエールもこのカルメル会だ。



修道女ヘロニマ・デ・ラ・フェンテ 1620年
ディエゴ・ベラスケス


修道女ヘロニマ・デ・ラ・フェンテ(1555年- 1630年)は二人の聖人と違って、人間の修道女として描かれている。この勇ましい表情。

過去記事 「ディエゴ・ベラスケス 二人の聖女

聖クララを描いた、ウフィツィ美術館にある「受胎告知」が有名なシモーネ・マルティーニ(Simone Martini)の聖人とは違う。アビラの聖テレサ(1515-1582)と出会い修道女となったヘロニマ・デ・ラ・フェンテ。




アビラの聖テレサ(イエズスのテレジア) 1615年
ピーテル・パウル・ルーベンス


ルーベンスが「アビラの聖テレサ」を人間の修道女として描いたような作品。たぶん伝説や聖人としてではなく、一人の修道女として描いたのだろうか。

ベラスケスが修道女をありのままに描いたのは、このルーベンスの聖テレサが手本だったのかもしれない。

聖堂に飾られたり、伝説を描きこむような作品よりずっといい。ベラスケスはフェリペ4世と修道女の肖像画だけはルーベンスに勝ったかもね。


Agustín García Zorro de Useche. Éxtasis de Santa Teresa de Jesús

イエズスのテレジア サンタ・キアラ聖堂
アグスティン・ガルシア・ゾロ・デ・Useche



ヨハネと聖母 サンタ・キアラ聖堂
バルタサール・デ・フィゲロア



作者不詳 聖ぺテロとイエズスのテレジア
サンタ・キアラ聖堂

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アーサー・ラッカム シェクスピアの挿画
book / SAI


アーサー・ラッカム(1867-1939)は不思議の国のアリスの挿画でも有名。ドジソン(ルイス・キャロル 1832-1898))は11人兄弟だったが、この人は12人兄弟。ドジソンこそ11人兄弟のわりにオックスフォードの出身だが、アーサー・ラッカムは18歳で働き始め、ランバス美術学校の夜間に通い、寄稿を繰り返しながら、1892年頃にウェストミンスター・ヴァジェットで挿絵画家としてスタートした。

自ら人生を切り開いていくタイプのようだ。

最近アーサー・ラッカムが手がけたシェークスピアの「夏の夜の夢」が出回っている。



この「夏の夜の夢」もオリジナル。
ダブルデイ,ペイジ カンパニー出版 1908年
40 colour plates, 34 line


1863年、アンソニー・ホープ(Anthony Hope)のデビュー作 「ドリー」、そして1894年のゼンタ城の虜(The Prisoner of Zenda)と、アーサー・ラッカムの挿画の依頼が続いた。

1907年のインゴルズビー伝奇集(伝説)、グリム兄弟の妖精物、ルイス・キャロルの不思議の国の物語、そしてスウィフトのガリバー旅行記、1908年には、この「夏の夜の夢」、1909年に「ウンディーネ」など名作ばかりだ。

ピーターパンもあったけどね。

それがラッカムの挿絵画家のキャリアを位置づけた。でも古書はルイス・キャロルは高いけど、アーサー・ラッカムは比較的安い。

それで何点か「夏の夜の夢」からご紹介しようと思う。




Act 1, SCENE I. Athens. The palace of THESEUS


「美しい妻を持っているこそ、それは地獄だ。」

エピソードが繰り広げられる第1幕。その最初の挿絵。
ハーミアとライサンダーは恋仲。だが結婚を許されない。シェークスピアによくあるパターン。

挿絵の場面と訳 第1幕第1場面
Enter THESEUS, HIPPOLYTA,
PHILOSTRATE, and Attendants
(テーセウスの宮殿内)
テーセウス、ヒッポリュテー、フィロストレイト、そして侍従

THESEUS
Now, fair Hippolyta, our nuptial hour
Draws on apace; four happy days bring in
Another moon: but, O, methinks, how slow
This old moon wanes! she lingers my desires,
Like to a step-dame or a dowager
Long withering out a young man revenue.

ーセウス
「さて、美しいヒッポリュテー
我々の婚儀も間近に迫った。
新月の宵の訪れも四日にひかえ、
なんと幸せなことか。
それにしても虧けていく月の歩みの遅いことよ。
はやる心をじらせるものだ。
未亡人ひとしく、
朽ち果てる老体で生きながらえる者のため
財産を手にできないようなものだ。」

テーセウスとヒッポリュテーは、ギリシャ神話に登場する。アテネの王子テーセウスはミノタウルス退治に向かう。このテーセウスが娶ったアマゾン族の女王はヒッポリュテーという説がある。

本記事は福田恆存氏の文体を参考に僕的意訳。なお、福田氏はテーセウスはシーシアス、ヒッポリュテーはヒポリタとしている。
よく難しく退屈だというけれど、登場人物の階級や時代を考察すると、福田氏の訳も適切だと思っているので。

さて、このテーセウスの宮殿にイジアスが娘ハーミアを引き立てて、親のすすめる縁談を承知せぬとなれば法により娘に死刑を処すと訴えてきた。

さて場面を第2幕第1場に。

「人の嫉妬とは緑の眼の化物のごとく」

もう一組のカップルは、取り替え子(妖精と人間の子を取り替えた子)をめぐって仲たがいをする妖精王オーベロンと女王タイターニア。

この女王タイターニアは、リチャード・ダッド画のものがある。
興味のある方は ェアリー・フェラーの神技から「眠るティターニア」
妖精パックは いの画家
リチャード・ダッドに興味のある方は 伽の樵の入神の一撃




Act 2, Scene 1


挿絵の場面と訳

OBERON
Well, go thy way: thou shalt not from this grove
Till I torment thee for this injury.
My gentle Puck, come hither. Thou rememberest
Since once I sat upon a promontory,
And heard a mermaid on a dolphin's back
Uttering such dulcet and harmonious breath
That the rude sea grew civil at her song
And certain stars shot madly from their spheres,
To hear the sea-maid's music.

ーベロン
「承知した。勝手になさるがよい。
だが、森からは一歩たりとも出てはならぬ、
この無礼の見舞いがすむまでは。

紳士なるパック、さぁ、ここに。

覚えていような。いつかのことを。
岬の先に腰を下ろし、人魚が海豚の背で歌うのを聴いていたときのことを。

心地よい声の音に、荒海さえも凪静まり、
その調べに天の星は気が狂うばかりに奮えていたものだ。」




SCENE I. A wood near Athens
レヴィアタン Leviathan (リヴァイアサン)


挿絵の場面と訳 海豚と人魚の続き

OBERON
That very time I saw, but thou couldst not,
Flying between the cold moon and the earth,
Cupid all arm'd: a certain aim he took
At a fair vestal throned by the west,
And loosed his love-shaft smartly from his bow,
As it should pierce a hundred thousand hearts;
But I might see young Cupid's fiery shaft
Quench'd in the chaste beams of the watery moon,
And the imperial votaress passed on,
In maiden meditation, fancy-free.
Yet mark'd I where the bolt of Cupid fell:
It fell upon a little western flower,
Before milk-white, now purple with love's wound,
And maidens call it love-in-idleness.
Fetch me that flower; the herb I shew'd thee once:
The juice of it on sleeping eye-lids laid
Will make or man or woman madly dote
Upon the next live creature that it sees.
Fetch me this herb; and be thou here again
Ere the leviathan can swim a league.

PUCK
I'll put a girdle round about the earth
In forty minutes

ーベロン
「そのときのことだ。おまえは果たして気が付いていたものか。
あのクピド(キューピッド)が、弓に矢をたずさえ
冷たい月と地球の間を飛び交いながら 狙いをつけていた。
それは西に玉座をもつ処女王ベスタ。
クピドはゆるりと引くと、勢い愛の矢を放ち、
それは千万の心を射抜くようにみえた。

だが火のように燃えさかるその鏃は、月の雨水によって消され
処女王は恋を知らずに瞑想の世界に残された。
しかし、矢が落ちたそこは、小さな花があった。
その乳白の花がたちまち紫の花にる。
その花は「恋わずらいの花」と娘たちは呼んでいる。

その紫の花を摘んできてはくれまいか。

見たことがあるだろう。
花のハーブの滴を眠れる瞼に落とすと
男も女も恋心にとりつかれ
目が覚めて最初に見る者に夢中になるのだ。
その花をここに。
すぐに戻るのだぞ。
海の魔物レヴィアタン(リヴァイアサン)の泳ぎと競うが如く。」

ック(妖精)
「地球一巡りが、このパックはたった40分」
(一瞬で消え去る)




SCENE II. Another part of the wood


この挿画がされているのは、女王タイターニアが眠っているところに、オーベロンが登場。タイターニアの妖精たちは、眠りについた女王の側をはなれるところ。

Fairy
Hence, away! now all is well:
One aloof stand sentinel.


さぁ、あちらへ参りましょう。一人は歩哨に残しましょう。

Exeunt Fairies. TITANIA sleeps
妖精は退場。タイターニアは眠りのなか。


Enter OBERON and squeezes the flower on TITANIA's eyelids
オーベロン登場。タイターニアの瞼に花の滴を落とす。


OBERON

What thou seest when thou dost wake,
Do it for thy true-love take,
Love and languish for his sake:
Be it ounce, or cat, or bear,
Pard, or boar with bristled hair,
In thy eye that shall appear
When thou wakest, it is thy dear:
Wake when some vile thing is near.

ーベロン
「目覚めて何を見ようとも
まことの愛を手にするがいい。
愛し、焦がれて、苦しむことよ。
猫でも熊でも遠慮なく。
毛が逆立つ雄豚であっても
その目に現れたものと。
汝よ起き上がれ、それが親愛なる者だ。
忌まわしきものにこそ目覚めるがよい。」

Exit
(消え去る)

Enter LYSANDER and HERMIA
(ライサンダーとハーミア登場)

さて、この妖精王オーベロンの台詞に韻を踏んでいる。

wake / take / sake
bear /  hair / appear / dear / near
韻を踏むことだけに重点を置いたようで翻訳は韻を踏まない。

ルイス・キャロルの読み物と違って、そのために日本的な表現を用いなければストーリーに支障をきたすものではない。

このシェークスピアの「夏の夜の夢」は、テーセウスの結婚の話、恋する男女の話、オーベロンとタイターニアの話、ピラマス職人たちの芝居「ピラマスとシスピー」を演じる話が軸になっている。

こうした400年ちかく前の作品に、アーサー・ラッカムの挿画は違和感もない。

ハーミアとライサンダーをとりまくもう一組の男女、そして妖精王オーベロンがその恋が成就するようにペックに任せたものの、あの紫の花の媚薬を不注意に滴を落としたがために恋仲が変わってしまう。それが元の鞘に納まる喜劇だが、それは次の機会にでも。

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ヴォルテールの哲学辞典
book / SAI

前記事ではヴォルテールの哲学辞典から「」をご紹介したが、ヴォルテールがその愛に続いて書き上げたのが「食人者 ANTHROPOPHAGES」だ。

「嘗めあう人(愛の章)から食べあう人々へうつるのはつらい。」とあるが。

1725年、ミシシッピーから4人の未開人がフォンテーヌブローに連れてこられた際に、ヴォルテールは会って話しをしたらしい。(未開人が連れてこられたというのは、植民地化されたフランス領ルイジアナからの人間戦利品か?)

その中の女性にヴォルテールは問う。「人間を食べたことがあるか?」と。どちらもデリカシーのない人だ。

死んだ敵を野獣にむさぼらせるより、勝者の優先権として食べるほうがよいと人間を食べたことを素直に認めていたそうだ。

ヴォルテールは戦争で隣国の人間を殺害する行いが、鳥獣や虫の餌をつくることに働いていると述べている。



ヴォルテールの肖像画
by ジャン・ミシェル・モロー(Jean-Michel Moreau )
通称モロー・ル・ジュンヌ Moreau le Jeune


われわれは生者よりも死者を尊敬する。だが両者とも尊敬すべきであろう。」

続いて、「レビ記」の第27章をを紹介している。

「少女や少年を食べた例よりも、有名な国民のほとんどすべてが、少年や少女を犠牲にしている。・・・(略)・・・呪詛と称する本当の犠牲であった。”レビ記”の第27章には神に捧げた人間を生かしてはならないと命じられているが、それを食べろとはどこにも書いていない。」

(呪詛での生贄は、ヴォルテールのフランスの歴史に登場する、人の子を喰う鬼カトリーヌ・ド・メディシスルイ14世の公妾モンテスパン侯爵夫人の黒ミサも有名だ。)

さらに

「私がクロムウェル時代の英国史の中で読んだ奇談だが、ダブリンの女蝋燭屋がイギリス人の脂肪でつくった蝋燭を売っていたそうである。ある一人の客が、蝋燭がよくなかったと文句をつけたときに、彼女は”イギリス人が不足していたからですよ”。私は尋ねたい。イギリス人を殺した連中とその脂肪で蝋燭をつくった女と、いずれが罪深いか、と。」

これが邦訳での「食人者」だ。

あるとき原文を見る機会があり、フランス語を理解できない僕でも「食人者」はセクション1〜3に分けられていることを知った。

セクション1で語っているのは、古代ローマのユウェナリスが見たタンチラ人の人を食らう場面を引き合いに出し、ガスコーニャ人やサゴント人も同胞の肉を食べたことを指摘している。そしてミシシッピーの女性の話にうつる。戦争のためその土地に重なる死体、迷信のための生贄で殺された人を食らうことに、どちらが罪があるのかと問う。そしてレビ記からモーゼの言葉にいたる。僕の記事の80%の部分がセクション1だ。

僕が読んだ邦訳にはなかったセクション2はセクション1の倍以上の長さ。僕は哲学辞典のすべてを読んでいない。「世界の名著」にあるのは30ほど。邦訳には完全訳されたものもあるのかもしれないが、僕はこのセクション2の邦訳されたものを読んでいない。簡単に僕的解釈で筋を紹介すると、飢饉や敵への復讐で人を食らう話から、マルコ・ポーロ、アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニが引き合いに出されていた。




マリー・ド・メディシスとコンチーノ・コンチーニ 1880年


マルコ・ポーロのジパングの東方見聞録のことではない。アンクル元帥(アンクル侯爵)は、王妃マルゴのあとにアンリ4世の后となったマリー・ド・メディシスの寵臣。ルイ13世によって暗殺され、その死体はパリ中を引き回され冒涜された人物。この元帥の妻は魔女として火あぶり。

ヴォルテールは「冒涜された」とは書いていないし、はっきりと「食べられた」とも書かれていないが(僕が読み取れなかったのかも)、アンクル元帥は墓から掘り返されて死体を引きづりまわされてバラバラにされ焼かれたと言われているので、市民が元帥の死体を食べたという話がフランスには伝わっているのかもしれない。そういう話を前提に、ヴォルテールは引き合いに出したではないかと考えている。

マルコ・ポーロによる「はタタール人の聖職者らは有罪と判決された罪人の肉を食べる権利があった」ことに触れている。ヴォルテールの時代のタタール人は啓蒙宣専制君主のエカチェリーナ2世(エカテリーナ2世)にイスラム信仰を保護されて、マルコ・ポーロの時代とは少々違うようだ。

セクション2ではセクション1でユウェナリスの「風刺詩集 (Satvrae)」の第15編83行を引き合いに出し、ガスコーニュ人とスペイン人がこの野蛮性を犯したことを書いている。

ほかには北アメリカで布教したイエズス会士(ジェズイット)のシャルルボア(フランスの宣教師)などの話を引き合いに出し食人者が稀ではなかったことを述べている。

さてつぎは聖書からヴォルテールは人食の話を続けていく。

« Sauve-moi, seigneur roi; » il lui répondit: « Ton Dieu ne te sauvera pas, comment pourrais-je te sauver? serait-ce de l’aire ou du pressoir? » Et le roi ajouta: « Que veux-tu? » et elle répondit: « O roi! voici une femme qui m’a dit: « Donnez-moi votre fils, nous le mangerons aujourd’hui, et demain nous mangerons le mien. » Nous avons donc fait cuire mon fils, et nous l’avons mangé; je lui ai dit aujourd’hui: « Donnez-moi votre fils afin que nous le mangions, et elle a caché son fils. »

これは、創世記出エジプト記レビ記民数記申命記26章29節を言わんとしている。戒めを守らないものへの最終的な罰に、「我が子を食べる」ということだ。


我が子を食らうサトゥルヌス
1636 by ルーベンス
Saturn, Jupiter's father,
devours one of his sons, Poseidon
by Peter Paul Rubens


列王記で語られている話をヴォルテールは引用した。王ベン・ハダドは全軍でイスラエルのサマリアを包囲する。サマリアは大飢饉に陥り、「我が子を食べた」母親がイスラエルの王に訴える。「昨日はわたしの子、今日は彼女の子、それなのに彼女は自分の子を隠した」と。

ヴォルテールは、王がその訴えに叫びをあげ預言者エリシャを責めるところまでは書いていない。だが「我が子を食らう」ことは申命記で予言されたことになる。

エルサレムを破壊したバビロニアの王ナビュコドノゾール(残念ながらシャンパーニュではなく)にも同様に預言者エゼキエルは予言することが書かれていた。

ヴォルテールは延々と引き合いの事例をあげていく。そしてマルコ・ポーロ時代のタタール人に話しが戻る。ここでは中国領に住むタタール人だけを指しているわけではない。マルコ・ポーロの見聞録からの引き合いにヴォルテールは中国人としている。

とにかくヴォルテールはこの人食者からモンテーニュのエセーにある「人食い人種について」でセクション2を終える。ヴォルテールはまたモンテーニュをおちょくりたかったわけ?

セクション3 これはセクション1同様に短い。

ここでは各国の国が登場し、そして最後があのダブリンの蝋燭の話で終わる。つまり僕が読んだ翻訳の哲学辞典の「食人者」は、セクション1とセクション3のダブリンの蝋燭の話に要約されていたのである。

さて、ヴォルテールが書いたのは「人食い人種」ではない。人食い人種はカニバリズム(Cannibalisme)だ。戦争や飢饉による飢えからではない。

ヴォルテールはアントロポファジー(ANTHROPOPHAGES)とわざわざ「食人者」としたのは罪深きもののほうを揶揄したかったのだと思っている。

シェークスピアの「イタス・アンドロニカス」、紂王と文王はもっとも罪深い「食人者」の関係だ。

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