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Karl Lagerfeld

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カール・ラガーフェルドの略歴 career
1950年代から現在のカール・ラガーフェルドの写真、スタインウェイのピアノ、H&Mとのコラボ、アウディ・フォーラムの写真展、VOLVO(ボルボ)の広告などはこちらから。
コラボ collaboration
マイセン×カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルド コラボのモデル
ここではCoca Cola Lightのボトル、tokidokiのミニ・カール、Steiffのカールのティディベア、フォトグラファーのカールのフィギュアが紹介されている。

Karl×Lenôtre
デザイナー× 「ブッシュ・ド・ノエル」
FENDI
インタビュー
ハーパース・バザー誌 2009年
写真家カール・ラガーフェルド

Karl×Dom Perignon
Dom Pérignon Vintage 1998
ドンペリ Rose Vintage 1996
Dom Perignon Oenotheque 1993
Moët & Chandon×Karl Lagerfeld

Numero ヌメロ
ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

写真展
2010年 Karl Lagerfeld, parcours de travail

2008年 ア・ロンブル・デュ・ソレイユ A l’ombre du soleil(太陽の陰で)

シャネル CHANEL
DVD
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シャネル 宮廷の威光と王家の儀式
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シャネル 2011 春夏コレクション
Spring Summer 2011 Collection
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CHANEL 2008「パリ−モスクワ」
画家 リューボフ・ポポーワとシャネル

CHANEL 2009「パリ−上海」
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ココ・シャネル
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ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫
作家 / SAI


ポール・スカロン
1638年以前のポール・スカロン


マントノン夫人は賢いとされているが、僕にとっては計算高い女性の一人だ。

最初の夫ポール・スカロン(1610-1660)。風刺の効いたスカロネスク様式を確立したといわれている。

ポールとの結婚は耐え難い貧しさのためとされている結婚だが、その前にひとつ縁談話があった。

老公爵との結婚話。これにはそっぽを向いたと言う。

ところが、風采があがらないが名声のある喜劇作家ポール・スカロンに求婚され、結婚に至る。風采があがらないとうよりも、本人自身が滑稽な顔立ちとその体格。

だが実際に会って二人は結婚した。



マントノン夫人フランソワーズ・ドービニェ
1651年-1660年の間 ポール・スカロンの妻だった。


ポール・スカロンは、すでに地位も名声も手に入れていた。なぜに監獄で生まれた女を妻に娶りたかったのだろうか?

15歳という若さか。それとも美しさか。プロテスタント作家だった祖父アグリッパ・ドービニェに興味が惹かれたのか。

それとも普通の結婚ができない互いの境遇を認めたからか。

当時スカロンの文学サロンには、信仰や宗教的戒律に従うことを拒否して自由に振舞う精神を標榜するリベラルタンが集まっていた。

ここの風潮が写実主義や俗悪さをめざしたピュルレスク(バーレスク burlesque)と呼ばれるものである。

艶笑と俗悪な風俗。そして道化芝居と同性愛者たち。


Mme. de Bouvillon Tempts Fate by Asking Ragotin to Search for a Flea


たぶん滑稽旅役者物語(ロマン・コミック)
マダム・ド・ブヴィヨンと主要人物ラゴタンのシーン
ちなみにBouvillon(ブヴィヨン)とは去勢された牛
by ジャン・バティスト・パテール(Jean-Baptiste Joseph Pater)


これに対するサロンには趣味の洗練をめざす才子女らは、経済力と血筋、ファッションと作法、そして会話から世俗的なものとの差別化として、プレシオジテ(Préciosité インテリ、気取り)に集まる。



17世紀フランスの銅版画家アブラハム・ボッス(アブラハム・ボス)
作品「プレシオジテの集まるサロン」


ポール・スカロンの父は同じ名で、高等法院の一人。法服貴族だったのだろう。一方息子のポールはパリで学業を終え、19歳のときに聖職に就くも、誓願を立てず、世俗的生活を送っていた。つまり根っからのリベラルタンだ。

1633年にル・マンの司教シャルル・デ・ボーマノアールに仕え、彼が亡くなったあとの後任を期待したが、突然結核性リウマチにかかり、司教職をあきらめた。

逸話には、二月の春のカーニバルで鶏をむしった羽を裸のまま身体中につけて、馬鹿騒ぎをした報いだともいわれている。



発病後のポール・スカロン 作者不詳
顔や身体が奇形し、ねじれるような痛みと戦う人


この頃、リシュリューによって、高等法院議員職を解かれた彼の父は、ほとんどポールに遺す財産はなかった。継母が財産を押さえているから。

そうした経済的状況とポールの身体の腫れや痛み、そして身体の奇形はおさまらない。

それでも生活の糧は稼がなくてはならない。思い違いでなければ、ギネという本屋で働いた経歴があるようだ。

そこではギネ侯爵と自分を呼んだという。のちに作品になったのだろうか。


LE VIRGILE TRAVESTY


ポール・スカロンの傑作といわれる戯作ウェルギリウス
あるいは「仮装のウェルギリウス」とも


さて自分との戦いがはじまる。

滑稽で気味の悪いポール・スカロンに興味が湧くのは、絶望の時にこそ、ユーモアを忘れず、ウィットに富んだ洒脱な人だからだ。

ル・マンでのポールは耐えることと考えることが多くなる。そしてある時ひらめきを感じたのだ。

ここでは運良くマリー・デ・オートフォー嬢(ルイ13世のお気に入り)というパトロンが見つかり、1640年にパリにもどる。ピュルレスク詩人スカロンの洒脱で洗練された作家として名声をあげることができた。


Peinture de larrivée des comédiens au Mans, daprès le roman de Scarron: Le Roman Comique. La peinture fut entamé en 1712 et achevée en 1716. Ce nest que la plus connue dune série de plusieurs autres, faites pour célébrer le plus célèbr


ジャン・ドゥ クーロム(ジャン・バティスト・クーロム)の作品
ロマン・コミック登場の旅芸人一座を描いている。
たぶん右上の女性がレトワル(星の意)ではないか。


「ビュルレスク詩集」(1643)、「戯曲 ジョーデレ(ジョドレ、または主人になった下男)」、「ラ・マザリナード」(1651)、「ロマン・コミック」(1651、これは未完で終わっている)、「アルメニアのドン・ジャフェ」(1653)などなど。

ちなみに、日本では「ロマン・コミック(滑稽役者物語)」は翻訳もされて人気もあるが、「戯作ウェルギリウス(Le Virgile travesti)」(1648年−52年)が一番有名だともいう。

このポールをオートフォー嬢はルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュに引き合わせたのだ。このときマザラン枢機卿からも年金を賜っている。




王妃アンヌ・ドートリッシュ
by ピーテル・パウル・ルーベンス


いよいよ、フランソワーズ・ドービニェ(1635-1719)が彼のサロンにあらわれた。きっと子供だと勘違いをしたかもしれない。ポールの成長が止まった身体を見るなら。

一生尼僧で暮らすのが嫌で、なんとか修道院から逃げ出したい。しかし持参金もない。だが今回はそっぽを向かなかった。

二人の間で文通がはじまる。

1651年に彼との結婚を受け入れ、スカロン夫人となる。 ポールが亡くなるまでの9年間、彼の妻であり、看護師であり、彼の社会的なパイプとなった。

新婚当時はロンドの乱の頃。

フロンドの乱(1648-1653)ではポール・スカロンはフロンド側にいたと思う。結婚の年はルイ14世(1638-1715)は13歳。フランソワーズは16歳。ポールは41歳。


JulesMazarinNanteuil


ジュール・マザランの肖像画 1659年
by ロベール・ナントゥイユ(Robert Nanteuil)

パリに派遣されたときにリシュリューの信任を得て、ルイ13世により
枢機卿就任。ルイ13世の死後に、秘密結婚の噂がある王妃アンヌ
の相談役。フロンドの乱を鎮圧し、コルベールを登用。王権を強化。



この1651年にポールが出版したのは、「ラ・マザリナード」だ。

たしかギリシャ神話のテュポン(テューポーン)とフロンドの乱を鎮圧するマザラン枢機卿を揶揄したものだったと思う。

マザランへの風刺と戯れ歌や詩はポールだけではなく、シラノ・ド・ベルジュラックの「レ・マザリナード」をはじめ、当時の作家たちは書いたものだ。

小物の政治家よ リシュリューにさえ及ばない 
取りえはなんと色事、遊興 偉大な詩人を蔑んで 徳などなくて 獣並み

四肢も臓器も八つ裂きで 敷石は血に溢れ
首のかわりに睾丸を 槍の先にくくりつけ 戯れ歌がちまたに流行るだろう

(ポール・スカロンのラ・マザリナードより抜粋した意訳と要約)

きっとポールは年金をさっさと受け取ったあとに書きあげたに違いない。



ルイ14世 1648年
フロンドの乱がはじまった年のルイ14世 10歳の頃

ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王
ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻
ルイ14世 芸術への愉楽
ルイ14世 コルベールの重商主義芸術政策
ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言

このフロンドの乱で、ポールはフロンド側の疑いを持たれたわけだが、パトロンにあたる女王やニコラ・フーケだったために、難を逃れたはずだ。

僕は読んではいないが、「コルセール王子」、「自分自身の番人」というものも書いているらしい。このコルセール王子とは血のプリンス (prince du sang)と呼ばれた「コンデ大公(反コンデ)」を書いているのだろうか。

黄色いサロンとよばれたポール・スカロンのサロンには、実にさまざまな人物が出入りしている。ルイ14世の公妾マリー・マンチーニ、ダルブレ元帥など格式よりも自由を満喫するものたち。そこには自分のサロンをもつニノン・ド・ランクロ(Ninon de l'Enclos)も友人としてきていた。

クルチザンヌ(高級娼婦)のニノンは、リベラルタンの風潮にもあっているかもしれない。

ニノンのサロンにはボワロー、ラ・フォンテーヌ、リュリ、ヴォルテール、モリエールらが出入りし、ここにポール・スカロンとフランソワーズも招かれていた。

ここではじめてお忍びのスウェーデン王女クリスティーヌと出会う。のちに家臣のモナルジテを無残にも暗殺した孤独な女王だ。



「ポール・スカロン 1660年」
アントワーヌ・ポワゾの1736年の作品


詩、劇、小説などさまざまな分野で活躍した時代の寵児ポール・スカロン。 

その才能は社交にも及ぶ。麻痺した身体で帽子をとるためつくった滑車。帽子を手にとり挨拶がわりにしたという。

肉体も容貌も苦痛で歪んだ。この時代、痛みをとるには阿片を相当使用したことだろう。

日本茶は、貴重品扱いだったコーヒーやココアより高く、シナ茶は70フラン、日本茶は140フランするほどだったが、この日本茶を愛飲したのはポール・スカロン。きっとリウマチに効くと聞いたからに違いない。

だが、1660年10月にポール・スカロンは全ての苦痛から解放された。

奇形の身体とその苦痛と並ならぬ才能は、子どものような小さな棺に収められる。


いままさに眠ろうとする男は これまで人を羨むより以上に人を憐れんだ。
またこの男は生命を失う前に 千度も死の苦しみを嘗めた。
どうぞ道行く人よ、ここでは物音を立てないでくれ。
哀れなスカロンが眠る 最初の夜が来たのだから。

by ポール・スカロン

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