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Karl Lagerfeld

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プリマヴェーラ La Primavera
ボッティチェッリ Sandro Botticelli / SAI

いろんな諸説があるなかで、ジュリアーノ・デ・メディチが依頼したと仮定した説から、プリマヴェーラを鑑賞していく。独断と偏見です。


史実にそわないダンコーナー説 
ジュリアーノ殺害 ロレンツォの兄弟殺し


1992年にミレッラ・レーヴィ・ダンコーナーが新解釈を発表した。ひとつはジュリアーノを殺害したのはロレンツォだということ。

この解釈から20年くらい経たけれど、日本で諸説のひとつにならないのは、やはりあまり受け入れられない内容だからだろうか。

またこれまでのロレンツォとジュリアーノの関係が歴史的な事実と変わってくることがあげられるかもしれない。

Sandro Botticelli Giuliano de Medici


もしロレンツォが仮にジュリアーノを殺害したとしたら考えられるのは、プリマヴェーラで描かれた「目隠しをしたエロス」に象徴された「罪に結びついた瞬間」が理解できる。

だが史実を忠実に見極めれば、この説は否定される。だがこの説から、意外な真実を見つけることもできる。

なぜ、ダンコーナーがそういう新解釈をしたのかだ。それはロレンツォではなく、ジュリアーノの罪。


ジュリアーノのプリマヴェーラ(春)

ボッティチェッリに依頼したのはジュリアーノという説が、この兄弟殺しに関係してくる。

ジュリアーノがボッティチェッリに依頼したのは、1478年の5月に誕生するジュリオ(のちのクレメンス7世)のためだという説。

楓の記事で、「ジュリアーノの妻フィオレッタ・ゴリーニ(Fioretta Gorini)」という名が上がっているが、1478年に亡くなっている。アントニオ・ゴリーニ(Antonio Gorini)の娘だという。

Sandro Botticelli オレッタ・パッツイ(フィオレッタ・ゴリーニ)Clarice Orsini or Fioretta Gorin


この肖像画はボッティチェッリによる「フィオレッタ・ゴリーニあるはクラリーチェ・オルシーニ(ロレンツォの妻)」。フィオレッタという女性がオレッタと呼ばれる女性だとしたら。パッツイ家のオレッタ(Oretta Pazzi)だとしたらどうだろう。

ジュリオの誕生後に名を変えたとしたら。(名を変えざる得ないでしょうが)

そうすると、花の女神フローラはオレッタかもしれなかった。クロリスがフローラと呼ばれるように。

記事花の女神フローラ フロラリア祭 Floralia


パッツイ家の陰謀

ロレンツォの二人の姉妹のうち、ビアンカはグリエルモ・パッツィに嫁いでいる。ジュリアーノ暗殺後、グリエルモは追放になった。

過去記事にも書いたが、カテリーナ・スフォルツァの結婚で、ロレンツォが手にする予定だったイモラは、カテリーナの花婿のジローラモにわたる。シクストゥス四世の甥だ。

こうして黒幕シクストゥス四世によって、パッツィ家はロレンツォ暗殺の陰謀を企てた。

このときフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロはシクストゥス四世側につく。いわゆるフィレンツェ、ミラノ、ヴェネチア対教皇側による戦線にだ。

だが、そうだろうか?パッツイ家の陰謀がモンテフェルトロの陰謀だったとしたら。

「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫

こうした事実に基づくと、ロレンツォの兄弟殺しの可能性はない。まったくない。ロレンツォのパッツイ家に対する報復も凄まじかった。


ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistos)


「ヘルメス文書」で知られているけれど、一応簡単に。

新プラトン主義やグノーシス主義などの影響を受けた古代思想の文献である「ヘルメス文書」。

ヘルメス神とトート神が同一視されて、歴史の伝説的な3人のヘルメスから「三人の賢者」を示す神人であり、歴史的な人物をさすヘルメス・トリスメギストス(3つの偉大な者)。

「ヘルメス・トリスメギスト」の最初の歴史的人物はアダムの子孫だと伝えられている。

ボッティチェッリがプラトン・アカデミーに参加していた頃、マルシリオ・フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドラなどが、キリスト教を予見した異教徒の偉大な預言者としての見解を持って翻訳をしていたという。

偉大な聖職者・哲学者・王を兼ねていたという意味のほか、錬金術・占星術・秘術の三分野も示す。錬金術は「ヘルメスの学」(ヘルメティカ)いわれてきた。

ヘルメスのカドゥケウスは錬金術の過程を象徴的に上昇、下降させ錬金術の過程を象徴的に表したもの。

Hermes Trismegistus, floor mosaic in the Cathedral of Siena


まずはメディチ家のコジモの言いつけでフィチーノは「ヘルメス文書」の翻訳をした。フィチーノのその後は「ヘルメス主義的精気魔術」を提唱する。

人間のスピリットは宇宙のスピリットを引き寄せることができる。「地上にあるべきではない物質が天に帰ろうとしている」という解釈の意をもつ「エーテル」と同じものだという。

「オリンポスを諸方遊行する7つの星は、常に永遠が訪れる。月(メーネー)、土星(クロノス)、太陽(へリオス)、金星(パピエ、アフロディーテ)、アレース(火星)、ヘルメス(水星)、ゼウス(木星)の惑星。憂鬱な土星をのぞく星の力を引き寄せれば人間の体内の精気を養い精製することが出来る。」

どうやって!
「葡萄酒や芳香のある果実をとり、香気を漂わせまた美しい空気に満たされ、美しい音楽(ピタゴラス派)を聞くことだ。」

もちろん、これだけを主張しているのではない。簡単にプリマヴェーラに結びつくような提唱をトピックしている。

ボッティチェッリのプリマヴェーラでのメリクリウスは「エーテル」を「カドゥケウス」で「上昇と下降」をさえているのではないか。


 新プラトン的主義の寓意画である役割


「愛(エロス)」と「不死(永遠なるもの)」の象徴と「キリスト教グノーシス」(ヘルメス文書によるルネサンスのキリスト教)を象徴するものを描いていとする。

三美神を三元徳とみなすことにより新プラトン主義的キリスト教神学を象徴できないか。

三元徳のロンドは「美しい音楽」を象徴しているのはないか。

ヘルメスは「ヘルメスの学」を象徴しているのではないか。

エロスは盲目的なクピドを象徴した「愛欲」の象徴ではないか。

ヴィーナスは「美に対するプラントン的愛」の象徴ではないか。

花の女神フローラとクロリスは「世俗の愛」の象徴ではないか。

そして西風ゼピュロスはなんだろ。

そうすると、プリマヴェーラのダンテ 「神曲」説もハズレではない。アリ。

だけれどボッティチェッリの描いたヘルメス(メリクリウス)は少々間抜けな印象だ。


 目隠ししたエロス

盲目のクピド、盲目のエロスともいわれるイコノロジー。

新プラトン主義でもパンデモス(低俗な)エロス、ウラニオス(天上の)エロスという解釈があったが、アウグスティヌスもカリタス(聖愛)とクピディタス(愛欲)の二つをあげている。

この目隠しは愛欲の象徴で、メルクリウス(ヘルメス)の踵あたりにその矢があたりそうな気配だ。

三元徳(三美神)にあたるとするものもあるが、ボッティチェッリはそのような矢の向け方を描くだろうか。

矢はジュリアーノ(ヘルメス)に的を絞ったのだと思う。愛欲の象徴である「子」を誕生させるのだから。

クピド(エロス)


愛の神としてのクピド、異教の擬人像とされたクピドという説もあるが、プリマヴェーラのエロスの矢は「出産の印」ではないだろうか。

過去記事 「プラトン 「饗宴」 アプロディーテーの裏話

余談だがこのクピド(エロス)もプシュケに恋をし、そして子を誕生させている。そういう意味では目隠しされたクピドそのものを「愛欲の象徴」、「世俗(低俗)の象徴」として描きこまれているのかもしれない。

そしてその矢は「愛欲の罪の瞬間」として、メルクリウス(ヘルメス)に射るのだろう。

その罪はパッツイ家との因縁だ。1476年、教皇はメディチ家ではなくパッツイ家との契約を結んだ。そのさなかにオレッタとの愛欲を成就させたのだから。


ボッティチェッリ ダンテ「神曲」説

フィレンツェでは5月1日に花祭カレンが開かれるが、カレンディマッジョとは5月1日のこと。春を祝う祭りである。春、プリマヴェーラ。

これがフロラリア祭の一環なのかわからない。オウィディウス「祭暦」によると、5月2日のフロラとゼピュロスの結婚の祭事までフロラリア祭は続いているらしい。

記事4月の寓意 オウィディウス「祭暦」 から
記事花の女神フローラ 祝祭フロラリア
記事花の女神フローラ フロラリア祭 Floralia

1274年の花祭カレンでダンテがベアトリーチェ(9歳だけどね)を見初める。

ダンテ「神曲」では、このベアトリーチェが地獄に迷い込んだダンテを、ウェルギリウスにダンテを導いてくれるよう願いでる。

ダンテの神曲 地獄編トピック
このダンテとベアトリーチェは、新プラトン主義での「プラトニック・ラブ」の象徴のひとつでもある。美に対するプラトン的な愛によって神の領域に近づくことができる人間をダンテが演じたわけだ。

そしてベアトリーチェはなにより「永遠の、久遠の淑女」の象徴だ。

かりに、ジュリアーノとシモネッタがダンテとベアトリーチェのように、精神的な愛であったなら美に対するプラントン的愛を象徴することになり、そうするとシモネッタかもしれない。一説にはロレンツォの妻クラリーチェとなっている。

三美神をギリシャ以来の四元徳(知恵、勇気、節制、正義)のうえにたつ「三元徳」に譬えることは新プラトン主義のひとつだ。

ボッティチェリ La Primavera 「プリマヴェーラ(春)」  ダンテの神曲の楽園説

アダムの子孫といわれる最初のヘルメスを投影させて「アダム」として描き、花の女神で豊饒と性愛の女神ともいわれるフローラを「イヴ」として、ジュリアーノとオレッタの子の出産の祝い、結婚への結びつきを描いたのだろう。

西風ゼピュロスとフローラの結婚、ダンテの出会った花祭カレンを、ジュリアーノとオレッタの祝いとして最初は描いたのだろう。

そしてジュリアーノが暗殺されたあとに、アダムとイヴを象徴するように、アダムの子孫といわれた最初のヘルメスが投影されて、あとになって描かれたのではないだろうか。

そしてもっともこのダンテ説を支持するなら、メディチ家と同じく、ダンテは教皇側と対立していた人間だということだ。


暗殺後のプリマヴェーラの行方

依頼主をジュリアーノと仮定して話しをすすめているが、暗殺されたあとに、ロレンツォがオレッタのことを知ったのだ。

ジュリアーノはこの完成された「プリマヴェーラ」は見ていない。

たぶんフローラはオレッタだったのだろう。女神フローラが「いまではフローラとよばれているかつての私の名はクロリス」というように、オレッタはフィオレッタと呼ばれた。

クロリスがフィオレッタ。そして花の女神フローラになりそこねたフィオレッタにかわり、メディチの分家に嫁ぐセミラミーデ・アッピアーノに変身させて、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに「結婚の祝い」として、今度はロレンツォ・デ・メディチが依頼したのではないだろうか。


肖像画はセミラミーデ・アッピアーノ。フローラの顔はシモネッタじゃないでしょ。どうみても。

記事「シモネッタ・ヴェスプッチ

wiki
1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟のジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノの資産が記録されており、以前には「プリマヴェーラ」がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室へ飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。
ヴィラ・カステッロのことだ。1499年といえばすでにカテリーナ・スフォルツァがピエルフランチェスコの息子ジョヴァンニ・デ・メディチ(イル・ポポラーノ)に嫁ぎ、ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレを生んでいる。



 カテリーナ・スフォルツァ

ロレンツォとスフォルツァ家の関わりは、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの妹との交流だ。イッポーリタ・マリーア・スフォルツァはのちにナポリ王アルフォンソ2世と結婚することになる。

記事 美しき姫君 レオナルド・ダ・ヴィンチ

通称イル・モーロとよばれたルドヴィーコ・スフォルツァは甥にあたる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの妻はイル・モーロの従兄妹にあたる。

「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫

このガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの庶子にカテリーナ・スフォルツァがいる。ルクレーツィア・ランドリアーニとの子だ。

Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ
カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)の謎

カテリーナ・スフォルツァ


一度フィレンツェのメディチ家を訪問した幼少のカテリーナは、のちにロレンツォを苦しめる結婚をし、そしてその後にメディチ家に嫁ぐ、数奇な縁のある女性だ。

このカテリーナの結婚によって、のちのパッツイ事件、そしてナポリ王との訪問での難関が待ち受けることになる。

だがロレンツォとの同盟者ともいわれたイッポリータとのヒューマニズムな交流は、たぶんナポリ王との訪問にもよすがとなったはずだ。

さてカテリーナ・スフォルツァ、どう考えてもなぜ「三元徳(三美神)」にボッティチェッリが描いたのかが不思議だ。

ボッティチェリ La Primavera 「プリマヴェーラ(春)」  ダンテの神曲の楽園説


ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ
(通称ロレンツィーノ)


コジモ系はロレンツォ・イル・マニーフィコの家系で本家、ロレンツォ系はピエロフランチェスコの分家となる。

ボッティチェリのプリマヴェーラ、ヴィーナスの誕生は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの従兄妹ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(ロレンツィーノ)のヴィラ・カステッロにあった。


ボッティチェッリの聖母子やプリマヴェーラに描かれているというカテリーナ・スフォルツァはパッツイ家の陰謀の首謀者ともいわれたジローラモの妻。

このカテリーナがピエルフランチェスコの息子に嫁いでくるのは、ロレンツォ・イル・マニーフィコが亡くなって5年後。

サヴォナローラ派で反ロレンツォだったロレンツィーノは、ロレンツォにずいぶん遺産を横取りされたらしい。

ボッティチェッリが細々と年金をもらっていたというメディチ家は本家ではなく、このピエロフランチェスコの分家のほうだ。

ロレンツォが月桂樹を示す言葉ならロレンツィーノも近いんじゃないか。1499年に財産目録に加えられたというのはなぜだろう。1492年にロレンツォは亡くなっている。

ということは、この絵はフィオレッタが持っていたのだろうか?子のジュリオだろうか?


プラトン・アカデミー

フィチーノに関しては、ヘルメスで書いたので省略する。

ルイジ・プルチ
ルイジ・プルチは1473年頃、ルクレツィア・デリ・アルビッツィと結婚している。なぜ最初に彼の結婚を持ち出したかというと、生涯独身が多かったメンバーとも違い、彼は結婚をしているから。

アルビッツィ家は旧財閥貴族で、もともとはメディチ家の前のフィレンツェの権力者。

彼はプラトン・アカデミー主義とは違い、いまでいうパロディ的なユーモアを含んだ作品が多い。

ロレンツォ・イル・マニーフィコは彼を外交使節として扱った。ルイジ・プルチは派遣された旅先で病死したと記憶があるが、たしか異端者として死後に冒涜されたという話しがある。

ポリッィアーノ
たしかにアンジェロ・アンブロジーニこと通称ポリツィアーノ(1454-1494)の詩の情景を思わせるようなボッテチェッリの「プリマヴェーラ」だ。

記事 
ボッティチェリ 至福の花々 (サンドロ・ボッティチェッリ)

19歳のポリツィアーノの詩からボッティチェッリは想像したのかもしれない。

このポリツィアーノは詩人だけではなく、ロレンツォ・イル・マニーフィコ (ロレンツォ・デ・メディチ)の片腕だったに違いない。

ロレンツォの重要な取引、交渉のための手紙、秘密文章を手掛けてきた可能性もある。

パッツィの陰謀に関するポリツィアーノの記録がある。翻訳はされていないはずだが、僕はまだ読んでいない。

ピコ

ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494)、彼もポリツィアーノ同様にロレンツォ・イル・マニーフィコ に近い人物で、僕はどちらかというと、ピコ・デラ・ミランドラのほうに関心がある。

人文主義のうえ、サヴォナローラと親交をもち、そのうえロレンツォの側近だ。

このピコはフィチーノ同様に「ヘルメス文書」から、「キリスト教的カバラ」をつくりあげた。ルネサンスの特にプラトン・アカデミーの精神を取り入れたようなものらしい。

人は考え方しだいで、神にでも獣にでもなれるという「人間の尊厳」も有名だが、カバラを極め、そしてのちに占星術に対しては異を唱えた。

二人の毒殺

1494年、サヴォナローラによってメディチ家が追放された年。その2年前に43歳でロレンツォ・イル・マニーフィコ は亡くなっている。病死だ。

あとを追うように、
ポリツィアーノ40歳、ピコ31歳で亡くなったが、二人は同じ1494年に亡くなっている。3年前に二人が毒殺されたことが解明された。500年も経て。

このポリツィアーノは一般的にパッツイ家の陰謀のときにロレンツォを庇ったといわれている。


メディチ家、メディチ派が描かれた集団肖像画

サンドロ・ボッティチェリ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 「東方三博士の礼拝」の謎

こちらには、フィチーノ、ポリツィアーノ、ピコ、プルチの集団肖像画。

サンタ・マリア・ノヴェッラ トルナブオーニ礼拝堂

サンタ・マリア・ノヴェッラの トルナブオーニ礼拝堂はギルランダイオがトルナブオーニ家とメディチ家の面々を描いたものだが、フェデリーコ・サセッティ、アンドレア・メディチ、ジャンフランチェスコ・リドルフィがメディチ銀行のメンバーを描いている。

ここに登場するリドルフィ家はご存知のようにメディチ家と婚姻関係を結んでいる。ピエロ・ディ・ニッコロ・リドルフィ(1467-1525)は、ニッコロ・リドルフィ(1444-1497)の息子で、イル・マニーフィコの娘コンテッシナ・デ・メディチと結婚し、枢機卿ニッコロ・ディ・ピエロ・リドルフィ(1501-1555)を誕生させた。

銀行家サセッティ家の礼拝堂はトルオブナーニ家と同じくドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画で描かれ、サンタ・トリニータ教会にある。このフレスコ画にはプッチ家、サセッティ家、そしてロレンツォ・イル・マニーフィコとはっきりわかるメディチ家を象徴した肖像画が描きこまれている。



追記 
「ロレンツォ・デ・メディチ暗殺」 マルチェロ・シモネッタ 



ジュリアーノの復活より 要約

フィレンツェに戻るとボッティチェッリは未完の仕事を片付けなければならなかった。メディチ家の結婚を祝う絵。式は1482年の5月から7月の金曜日に延期。ヴェネルディ(金曜日)なので中央にヴィーナスがふさわしい。愛の女神は物悲しそうに描くことになる。なぜならこの絵は多くの死と破壊のあとの生を祝うものだったからだ。


ジュリアーノ・デ・メディチは1478年4月26日に暗殺された。

さて、マルチェロ・シモネッタはこの作品のヴィーナスの上にあるオレンジの実をメディチ家の紋章とし、足元にあるヘレボルス(クリスマスローズ)をパッツイ家としている。イタリア語でパッツイーアはヘレボレスを言う。

ボッティチェリ La Primavera 「プリマヴェーラ(春)」  ダンテの神曲の楽園説

この楓の記事では足元にあるヘレボルス(クリスマスローズ)ほか、描かれている花もトピックいている。

先に引用したwiki

長い間、この作品はロレンツォ・デ・メディチの又従兄弟であるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ (en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici) のために描かれたとされていた。画家、建築家のジョルジョ・ヴァザーリが1551年に、「春の訪れ」(「春」はイタリア語で Primavera)と呼ばれる絵画がメディチ家のペトライア邸 (villa de Petraia) の近くの、同じくメディチ家のカステッロ別邸に存在すると書いている。

この別邸は1477年にロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコが購入した土地に建てられたもので、そのためこの絵画は、当時別邸を購入した14歳のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコのために描かれたと考えられていたのである。

しかしながら、1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟のジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノの資産が記録されており、以前には『プリマヴェーラ』がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。

その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室への待合室に飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。


だが、マルチェロ・シモネッタは、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチと、ジュリアーノ・デ・メディチが暗殺される直前に婚約していた女性セミラーミデ・アッピアーニ(Semiramide d'Appiani)との結婚のお祝いだと述べている。

この二人が結ばれたのは1481年8月。ボッティチェッリがフィレンツェに行く数週間前。

この作品は初期キリスト教の「文献学とメルクリウスの結婚」だという説だ。マルティアヌス・カペッラは、西暦410年のローマ略奪のあとに書いたという。

この「文献学とメルクリウスの結婚」からは、プリマヴェーラに描かれた人物が書かれているらいい。左がメリクリウスで、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ。セミラーミデ・アッピアー二が描かれている三美神、愛の女神ヴィーナス、花の女神フローラ、そしてフィロロジー(文献学)はジュリアーノの最後の愛人で子を身ごもっていたフィオレッタ・ゴリーニ、ゼピュロスとされていたのが不滅の化身アナタシアとなるそうだ。

システィーナ礼拝堂という舞台たての深遠な意味とメディチ家の結婚式の絵との関係を知るという名状しがたい喜びは、さぞ爽快なものだったに違いない。


なるほどね。先に僕が述べた「クロリスがフィオレッタ。そして花の女神フローラになりそこねたフィオレッタにかわり、メディチの分家に嫁ぐセミラミーデ・アッピアーノに変身させて、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに「結婚の祝い」として、今度はロレンツォ・デ・メディチが依頼したのではないだろうか。」といのも悪くないでしょ。

4年前にXAIで「サンドロ・ボッティチェリ ヴィラ・レンミ」という記事を書いた。

ヴィラ・レンミ荘のボッティチェリのフラスコ画だけれど、「自由七学芸へ導かれる若者」と「ヴィーナスと三美神から贈り物を受け取る令嬢」なんだけれど。

ボッティチェリは、修辞学者 マルティアヌス・カペラ(Martianus Capella)の「マーキュリー(ヘルメス)と文献学識の結婚 (De nuptiis philologiae et Mercurii de grammatical. Ed: Franciscus Vitalis Bodianus)」やサン・ヴィクトールのフーゴーの「ディダスカリコン」を読んでいたのではないか・・・、そう思ったんだ。


と書いた。

これがまた、結婚のお祝いの絵なんだよね。1484-86年だから、「春 プリマべーラ La Primavera」のあと。

マーキュリー(ヘルメス)って書いたけどメリクリウスだとわかるでしょ。このマルティアヌス・カペラの物語はフィロロジー(文献学)とメリクリウスの婚約と結婚の話で、自由七学芸(自由七科)がフィロロギアのお供として現れ、それぞれが告白する内容。

なんか納得。

Martianus Capella and the Seven Liberal ArtsMartianus Capella and the Seven Liberal Arts: The Marriage of Philology and Mercury by William Harris Stahl

ウィリアム・ハリス・スタール編
マルティアヌス・カペラと自由七学芸 :文献学とメルクリウスの結婚

 

William Harris Stahl,Richard Johnson
Columbia Univ Pr
コメント:サンドロ・ボッティチェリがヴィラ・レンミ(別荘レンミ)に描いたフラスコ画がこのマルティアヌス・カペラの「文献学とメルクリウスの結婚」だが、あの「春 プリマベーラ」もこの説がある。そう考えると一度読み直した一冊。

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