「人は二度死ぬといわれている。一度目は実際に死ぬときであり、2度目は写真が発見され、それが誰であるか知る人が1人もいない時だ」というボルタンスキーの言葉。僕が一番恐れているのが「MORT」なのだ。それは、まだ壁を越えていないからである。肉親をつれさる「La Mort」が来ないからだ。つまり「The Death」を指す。死者と死神だ。
クリスチャン・ボルタンスキー(作品が見れます)のモニュメントは、嫌でも死と向き合わなければならない。古代エジプト人のように、死者の死後の生に備えるための彫刻であり霊廟をつくるからだ。たとえば死者の遺品、写真、古着、闇とロウソクと影のモニュメント。生と死をテーマにした彼のキャリアの一つ。こういった彼の独特な概念は、今回の高松宮殿下記念世界文化賞 彫刻部門 の受賞にもいたる。
記憶に新しいのが、夏の終わりにTVで観た、越後妻有アートトリエンナーレ。クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンは、廃校の旧東川小学校に「最後の教室」を製作した。人間の不在がテーマである。終わった子供時代への葬儀なのか、思い出としての記憶を蘇がえる祭壇か。回転翼で薄暗い灯りが点滅する暗闇の廊下。草いきれの体育館は、ベンチのうえに扇風機がおかれ、光をまわす。鼓動するたびランプも明滅する闇の理科室。軋みもない静寂な音楽室。そして光が宿る棺。
僕は白い布に置かれた透明な棺に宿る光が消えたとき、誰かが消えるかもしれないと考える。次、この棺に入るのは、誰なのだろうかと考える。1と0の狭間のようだ。「不在」、「存在」にこだわるボルタンスキーだ。
地球上の全員の名前を読み上げたいと思ったことがあるそうだ。休みなく読み上げて約4年。僕には、長すぎるのか短すぎるのかがわからない。
1980年代から死のイメージが濃厚になったのではないか。全作品は知らないが。
1983年の「騎士的なコンポジション」、1931年に存在したユダヤ人高等学校の記念写真を、ナチスの大量虐殺を死者側から再構築する「モニュメント」を製作したのは1985年のことだ。それから「暗闇のレッスン」、「ろうそく」、「影」、そして1990年には「聖遺物」と続く。「死んだスイス人の資料」には、写真、ビスケット缶、電球、電線など。
1993年のヴェネツッア・ビエンナーレでは、第二次世界大戦勃発直前の記録写真「1938年のヴェネツッア・ビエンナーレ・アーカイヴ」を作品化し、1993-94年にかけて、ケルン市の数箇所、ルートヴィヒ美術館に、行方不明の子供の写真を使用した「この子らは両親を探している」を展示した。これはMORT(死・死者)のモニュメントになるだろう。1990年代の作品にみられるのは世界大戦、ホロコーストの主題である。今回の高松宮殿下記念世界文化賞受賞者は、数名がユダヤ人のルーツであり、また、ユダヤ人ではなくとも、「暴虐性に軽やかさで対抗する」という社会的理念を持たせている受賞者がいる。
受賞者のスティーブ・ライヒは、米国のユダヤ人であり、マイヤ・プリセツカヤはロシアのユダヤ人である。ドイツ生まれのフライ・オットーが、暴虐性に軽やかさで対抗する理念の持ち主なのだ。リンクのライヒから、ニュルンベルクやホロコーストの記事をあわせて読んでいただきたい。そして日本初の女性受賞者 草間 彌生さんはこちら。クリスチャン・ボルタンスキーの作品
Christian Boltanski Online
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それは、たぶん私達と同世代の方や、若い世代の方でも、早くお身内を亡くされた方は、「恐れ」というものを知っているのだと思います。
だんだんと死というものが希薄になってきている時代といいますが、ドイツなどでは、集合住宅のエレベーターは、もとから棺が入るよう、もう一枚の扉があると聞いています。
最後の教室は松ノ山(←間違えてたらごめんなさい)でしたか。中年、熟年、高齢者が多い地域ですよね。
それぞれの境遇によって、生の回顧になるのか、死への恐れとなるのかわかりませんが、たいへん意義深い作品だと思っています。
小さい頃、廊下、階段、2階の部屋、電気が消えた部屋、御トイレなど、恐怖がありました。その恐怖は、まだ「死」というものがよく解らない幼少の頃ですが、「恐れ」というものは、あったようです。怖くない、怖くないと、何度も一人で行く訓練をしたような記憶。(笑)