九月九日誕生には、ソニアリキエル、歴史家 石母田 正、十二代目片岡仁左衛門のほか、映画監督の吉村公三郎がいる。僕は、この人のことは何も知らないが、川端康成の「眠れる美女」をフレデリック・クレマンによって、先練された官能的ビジュアル本をKAFKAがアップし、久しぶりに思い出したところであった。↑エドワード・サイデンステッカーの「川端康成 眠れる美女」は、クリムトの表紙。拡大イメージはこちら。
さて、ネクロフィリア(死体性愛小説)ともいうべき作品を吉村公三郎が映像化したのが、1968年のこと。
鎌倉に住む老作家の江口は、友人の木賀と福良に“眠れる美女の館"を教えられ、時々そこを訪ねていた。老人たちは、深く眠って目を覚まさない少女と一晩を明かし、素性を知らぬまま、翌朝には、去るのだ。この眠れる美女の館というのが「娼館」であろう。
老人たちは裸体を前に、老いの絶望に駆られ、あるいはやすらぎを求め、過去の悔恨にひざまずいたりもした。
最初に福良老人が、“眠れる美女の館"で死んだ。
つづいて木賀老人もその家で頓死した翌日、死んだように眠る少女の胸に、老人たちが断末魔のあがきで残した爪跡を見て慄然とした。
やがて娘の結婚式が挙げられ、その終わったあとに、ハイスピードの一台のオートバイが・・・。
1968年の江口は、田村高廣、1995年では、原田芳雄が演じているが、1995年版では娘の名前が「菊子」に変わっている。さて、重陽には長寿を願う節句の名残りがある。七百歳まで生きた仙人の伝説に、「少年の容姿のままであった」という。“眠れる美女の館"で頓死することもないようだ。
さて、いよいよ自分の年齢を意識する日でもある。長寿を願うとは、つまり「死」を意識することに他ならないのだ。“眠れる美女の館"で、老人たちが老いの絶望に駆られるように。
最後に
花の香をけさはいかにぞ君の為 まゆひろげたる菊の上の露
by「忠見集」より
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江口はエロのアナロジーかなって。