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Karl Lagerfeld

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カール・ラガーフェルドの略歴 career
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コラボ collaboration
マイセン×カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルド コラボのモデル
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Karl×Lenôtre
デザイナー× 「ブッシュ・ド・ノエル」
FENDI
インタビュー
ハーパース・バザー誌 2009年
写真家カール・ラガーフェルド

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ドンペリ Rose Vintage 1996
Dom Perignon Oenotheque 1993
Moët & Chandon×Karl Lagerfeld

Numero ヌメロ
ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

写真展
2010年 Karl Lagerfeld, parcours de travail

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シャネル 2011 春夏コレクション
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クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿
art / SAI
僕の別ブログだったoriconからの移転記事(2013-05-14 16:40)。



今日、扁桃腺で休んだ。ずっと暖めていた記事(忘れていた記事)を書き足してアップした。1年もほったらかしにしたおかげで、僕がこの記事のある箇所で悩んでいたことが解消された。

The Mystic Mass of Saint Gregory with Cardinal Albrecht von Brandenburg Master from the workshop of Lucas Cranach the Elder


ルーカス・クラナッハ(父)工房作品 アルテ・ピナコテーク
The Mystic Mass of Saint Gregory
with Cardinal Albrecht von Brandenburg
Master from the workshop of Lucas Cranach the Elder

クラナッハ(父)が描いた聖ヒエロニムスのシリーズは、マルティン・ルターが天敵のブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿の肖像画だ。

アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク(Albrecht von Brandenburg 1490-1541)は、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の弟になる。

ご存知のように、贖宥状(Ablass)の販売で、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の論題」を張り出したのは、このブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿に対してである。


マインツ大司教になったアルブレヒトと教皇レオ10世を描いているんだろうか。

レオ10世はロレンツォ・デ・メディチの次男ジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de Medici 1475-1521)だ。

教皇のパトロンだったミケランジェロ、ラファエロらはサン・ピエトロ大聖堂の装飾画を描いているが、ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿がマインツ大司教の地位を獲得するために、サン・ピエトロ大聖堂への献金として贖宥状の販売許可をレオ10世(Leo X )は許可したのだ。

このアルブレヒト枢機卿が贖宥状を販売するのに説教師に任命いたのがヨハン・テッツェル(Johann Tetzel)だ。

The Mystic Mass of Saint Gregory with Cardinal Albrecht von Brandenburg


ルーカス・クラナッハ(父)工房作品 アルテ・ピナコテーク
The Mystic Mass of Saint Gregory
with Cardinal Albrecht von Brandenburg
Master from the workshop of Lucas Cranach the Elder

贖宥状で、悪名高きアルブレヒト枢機卿も功績はある。芸術擁護と「ハッレ聖遺物書」の収録にある聖遺物コレクション。

アルテ・ピナコテークに所蔵されているクラナッハ工房作品「聖グレゴリーの神秘のミサとブランデンブルクのアルブレヒト」は、アルブレヒト枢機卿の「聖遺物」を拝み、功徳を求める図にも見える。

1520年、「ハッレ聖遺物書」が印刷され、デューラーの工房で木版挿図が制作された。宿敵ルターを擁護するザクセン選帝侯の聖遺物は、すでにクラナッハにより「ヴィッテンベルク聖遺物書」が刊行されていたが、アルブレヒト枢機卿の「ハッレの聖遺物」は、そのコレクションを抜く。2枚の作品に描かれていて、立ち姿のアルブレヒト枢機卿が手に持つのは「聖遺物容器」なのかも知れない。お気に入りというか、ご自慢のね。


アルブレヒト枢機卿が羨望したザクセン選帝侯のヴィッテンベルク聖遺物書




ヴィッテンベルク聖遺物書の挿図(部分) クラナッハ(父)
フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)と弟ヨハン (ザクセン選帝侯)




初版 ヴィッテンベルク聖遺物書の挿図 クラナッハ(父)
ヴィッテンベルク聖遺物書(Wittenberger Heiltumsbuch)1509 
ヘルツォーク・アウグスト図書館



クラナッハ(父)の挿図による聖遺物書(第2版?) Reliquary book 1510
シカゴ美術館所蔵(Clarence Buckingham Collection)


アルブレヒト枢機卿のハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)




聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い 
1520-24  マティアス・グリューネヴァルト アルテ・ピナコテーク所蔵



マティアス・グリューネヴァルトのこの作品は、アルブレヒト枢機卿のハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)が刊行された年からの制作になる。

ロンギヌスの槍を与えられた紀元前のローマ、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスの子孫が3世紀頃の人物マウリティウス。キリスト教徒の反乱軍鎮圧を拒否し、殉教。

ガイウス・カッシウス・ロンギヌスは、槍でイエスの処刑を果たした。そのため聖槍は「ロンギヌスの槍」と呼ばれるよね。このロンギヌスの槍(聖槍)は、子孫マウリティウスに伝えられるものの9世紀にはオットー大帝(1世)、オットー3世へと伝わり、11世紀にはハインリッヒ4世に、マウリティウスの聖旗とともに伝わり、ドイツ王に選出されたフリードリヒ2世(フェデリーコ2世)にわたっている。



枢機卿アルブレヒトのコレクション マウリティウスの聖遺物容器
グリューネヴァルトの作品と同じ冠のハッレ聖遺物書の挿図(Halle Heiltumsbuch)




枢機卿アルブレヒトのミトラ (司教冠)
右 ハッレ聖遺物書の挿図に似ているミトラ (司教冠)
左 ハンス・プロック(Hans Plock)による刺繍 ドレスデン美術館所蔵


アルブレヒト枢機卿が野望を抱いていた16世紀の時代の所有者は不明でしょ?マウリティウスの聖遺物容器をコレクションしていた枢機卿アルブレヒトを作品中で聖マウリティウスと対面させたのは、なんらかの逸話があるのかも。

そして聖エラスムスといえば枢機卿アルブレヒトを示す聖人だったらしい。そこにもなんらかの逸話があるのかも。



枢機卿アルブレヒトの祭壇飾り 1522 
ハンス・プロック ネラホゼヴェス城(Nelahozeves)
Hassentstein Altarpiece , Hans Plock,1522


枢機卿アルブレヒトの真珠刺繍職人だったハンス・プロックは祭壇飾りの刺繍も命じられていた。中央はキリストのエルサレム入城っぽい。受胎告知の右翼、左翼の下段にも聖人が施されている。聖マウリティウス、聖バルバラ、そして聖エラスムス。端の聖人は右手に矢なら聖ウルスラ、剣なら聖カタリナ。

マインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクには、「イーゼンハイム祭壇画」でも有名なマティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)が宮廷画家として仕えていたが、ルター派に転じたために、「聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い」を完成させた年に解雇された。

同じく宮廷の主任刺繍職人ハンス・プロックは、グリューネヴァルトのスケッチをコレクションしていた。しかし、ハンス・プロックもグリューネヴァルト同様にルター派だったかもしれない。数年前のベルリン美術館で、「ルター聖書」が遺品で展示されていた。グリューネヴァルトの形見だったのかな?



アンティオキアのマルガリタの神殿(棺) 
シュティフト教会(アシャッフェンブルク)


ハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)には、枢機卿アルブレヒトの前任者エルンスト・フォン・ヴェッティンのコレクションも含まれていて、数年前にこの二人の聖遺物展が開かれていた



アンティオキアのマルガリタの神殿(棺) 
ハッレ聖遺物書の挿図(Halle Heiltumsbuch)


シュティフト教会(アシャッフェンブルク)には枢機卿アルブレヒトの聖遺物コレクションで、ハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)に含まれているアンティオキアのマルガリタ(聖マルガリータ)の棺がある。


ハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)にある聖マウリティウスの等身大の聖遺物像。枢機卿アルブレヒトの聖遺物コレクションに基づいたクラナッハ(父)と工房によるマルクト教会祭壇画の左翼の聖マウリティウス。はいはい、聖マウリティウスっていえばエル・グレコ。

記事 エル・エスコリアル修道院 フェリペ2世の夢


ハレ、マルクト教会祭壇画(三種の変わり祭壇) ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿



クラーナハ工房(クラナッハ工房)によるハレ(ハッレ)のマルクト教会主祭壇画は、3通りに変わる「変わり祭壇」で、1529年にマティアス・グリューネヴァルトが設計したらしい。

記事 マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画

この1520-25年頃に制作された三連祭壇画に描かれているのは、中央の祭壇画には聖母子と祈り跪く枢機卿アルブレヒト、左翼に聖マウリティウスと聖アレクサンダーが描かれている。

聖マウリティウスの甲冑は1520年、カール5世が戴冠式で着たものらしい。聖アレクサンダーの甲冑も見たことある。たしかヨーロッパで甲冑を着た肖像画と現存している甲冑の展覧会があって、下半身、特に僕たちの大切な部分を防護する不思議な形の草摺があって、ついつい目がいったから記憶していた。

二つ目のクラナッハ工房によるハレ(ハッレ)のマルクト教会祭壇画は、マグダラのマリア、ヨハネ、アウグスティヌス、聖カタリナ。これはよくこのマルクト教会で頻繁に変わっている。
三つ目はキリスト降誕を知らせる天使ガブリエルとその両翼にはアルブレヒト枢機卿扮した聖ウルスラ(Heilige Ursula)とエラスムス(Heilige Erasmus)。はぁー?! 何、それっ!全然っ、知らないんだけど!DJG(独日協会)のHPに載っていてびっくりした。


 



Kardinal Albrecht von Brandenburg als heiliger Martin , 1524
Heiliger Ursula Simon Franck, Zwei Altarflügel, 1524

by Simon Franck (workshop of Lucas Cranach the Elder)
Aschaffenburg, Stiftsmuseum der Stadt Katalog




悔しくって探してみた。アシャッフェンブルク市立博物館に「祭壇の左翼、右翼」として、クラーナハ工房(クラナッハ工房)の一人、シモン・フランク(Simon Franck)の作品がある。ところが「聖マルティヌスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク」で、聖エラスムスではなかった。聖マルティヌス(Heiliger Martinus)と聖ウルスラ(Heilige Ursula)の二枚。

シモン・フランクの描いた聖マルティヌスはトゥールのマルティヌス。洗礼を受けていない兵士の頃に、半裸の物乞い(キリスト)にマントを分け与えたとして命日11月11日が祝祭。兵士マルティヌスは、トゥールの司教となるが、マインツ大司教までになったアルブレヒトを重ねているのか、揶揄なのか。

いつからかは知らないが、プロテスタントは聖マルティヌスの祝祭を、マルティン・ルター(11月10日生まれ)を祝う日だ。宿敵ルターと枢機卿アルブレヒトは、ともに聖マルティヌスとして描かれているということだ。

どちらにしてもアルブレヒト枢機卿扮した聖エラスムスは見つからない。そして中央の作品がわからない。はキリスト降誕を知らせる天使ガブリエルというのは「受胎告知」のことなんだろうか?。
変わらないのは下段に描かれている、キリスト聖母子と14人の救護聖人。


冒頭の「1年もほったらかしにしたおかげで、僕がこの記事のある箇所で悩んでいたことが解消された。」というのはこのこと。推理も正しかった。


クラーナハ工房(クラナッハ工房)によるハレ(ハッレ)のマルクト教会主祭壇画
(3通りに変わる「変わり祭壇」) 1529

なんか、とっても嬉しい。やっぱり思いは遂げられるってことだ。



グリューネヴァルトの聖エラスムス、聖マウリティウス
シモン・フランクの聖マルティヌス
クラナッハ(父)あるいは工房作品 聖マウリティウス


僕がもっとも不思議に思ったのは、この三人三様の聖人だ。シモン・フランクの描いた聖マルティヌスは、1524年に完成し、解雇されたグリューネヴァルトの聖エラスムスにそっくりで、クラナッハ(父)の描いた聖マウリティウスペンダントに似た宝飾を胸に描いている。



クラナッハ(父)と工房作品 祭壇画左翼 1520-25 マルクト教会
クラナッハ(父)と工房作品 聖マウリティウス 1522−25 メトロポリタン美術館


シモン・フランク(Simon Franck 1490 - 1546)は、クラナッハ(父)の弟子で、この当時は独立していたのか、クラナッハ工房の一人だったのかは知らないけれど、クラナッハ(父)と工房による作品の模倣が多く残されている。


クラナッハ(父) 聖ヒエロニムスのブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿




左 ブランデンブルクのアルブレヒトの肖像 
右 ヒエロニムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク

クラナッハ(父) 州立博物館(マインツ)


このクラナッハの枢機卿アルブレヒトの肖像画は聖ヒエロニムスに扮した作品で、権威的・象徴的肖像画になるけれど、クラナッハ(父)は、ルターの宿敵として揶揄しながら描いているよう。

下記作品のアルテ・ピナコテーク所蔵の「磔刑のキリストの前で祈りを捧げるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク」では、僧衣の下に大蛇のような尻尾と頭が描きこまれている。



クラナッハ(父) 左 アルテ・ピナコテーク 右 ベルリン国立美術館絵画館
左 磔刑のキリストの前で祈りを捧げるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク 
右 緑の中のヒエロニムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク 1527




書斎の聖ヒエロニムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク クラナッハ(父)
左 1525 ヘッセン州立博物館 右 1526 ジョン&マーブル リングリング美術館


聖ヒエロニムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの肖像画は他にも工房作品を含めると多数ある。次の作品は、クラナッハ(父)の「聖ヒエロニムス」。



懺悔する聖ヒエロニムス クラナッハ(父)
左 1502 ウィーン美術史美術館 右 1517



僕がもっとも好きなのは、この部分が描かれている「砂漠の聖ヒエロニムス」だ。鳥の姿に人間の顔。このオスとメスは「不似合いなカップル」を思い浮かばせた。

このクラナッハ(父)の「風景のなかの聖ヒエロニムス」に共通して描かれているのは、伝説の聖ヒエロニムスの守護するライオンのほか、雉、ビーバー?。他には鶴や小鳥、亀なんかも描かれている。



砂漠の聖ヒエロニムス 1525 クラナッハ(父) チロル州立博物館
© Tiroler Landesmuseum Ferdinandeum


先に紹介した「聖マルティヌスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク」(1524)の対翼になる「聖ウルスラ」は、アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの愛人だとも言われている。どうも「砂漠の聖ヒエロニムス」に描かれている「不似合いな♂と♀」は、この二人を揶揄しているようにも思える。

「不似合いなカップル」は、もしかするとアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと愛人を示しているのかも。



アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの肖像画 1526 
クラナッハ(父) エルミタージュ美術館


どうしてクラナッハ(父)は、アルブレヒト枢機卿をヒエロニムスとして描いたのか。たぶん、ヒエロニムスが七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)を底本のひとつとして聖書翻訳をしていたためである。

マルティン・ルターは「聖書に書いていていないものはは認めない。」と断言。プロテスタントは故に「七十人訳にのみ含まれる文書を旧約外典と呼び、聖書に含まれない文書」と見なしている。
そういうわけ、と僕は解釈した。


アルブレヒト・デューラーとブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿




聖ヒエロニムスとしてのアルブレヒト・デューラーの自画像 
ベルリン絵画館


デューラーは自身を投影させた「キリスト」、「悲しみの人としてのキリスト」のほかに、「聖ヒエロニムス」がある。

デューラーのこうした作品からわかるように、権威的・象徴的肖像画の自画像を描いているが、ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿の肖像画に関しては、クラナッハ(父)とは違い、彼の履歴を伝える通常の肖像画。
まずはデューラーの「聖ヒエロニムス」をいくつか紹介。



左 柳の側の聖ヒエロニムス
(枝を切られた柳の傍らの聖ヒエロニムス)1512 メトロポリタン美術館
中央 たぶんデューラー 棘を抜く聖ヒエロニムス 1492
右  洞窟の聖ヒエロニムス メトロポリタン美術館とか




左 書斎の聖ヒエロニムス 1514 メトロポリタン美術館とか
右 書斎の聖ヒエロニムス 1514 ベルリン国立版画館とか国立西洋美術館等



左 荒野の聖ヒエロニムス 1495 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
右 聖ヒエロニムス 1521 リスボン国立美術館


このデューラーも、クラナッハ(父)と同様にフリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)の庇護に預かった画家。つまりプロテスタントを擁護する側の画家だったわけで、ルターの「95ヶ条の論題」のあとに、カトリックのブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿から依頼を受けたわけだ。

天敵の親友クラナッハ(父)、ルターを擁護するザクセン選帝侯の庇護を受けるデューラーに肖像画を描かせたのは、芸術愛好のためなのか。それとも・・・。

グリューネヴァルトだけが憂き目を味わった。





Mass of Cardinal Albrecht of Brandenburg in the Abbey Church Hall
by Albrecht Durer
アビー教会のホールの枢機卿ブランデンブルク・フォン・アルブレヒトのミサ 
アルブレヒト・デューラー




Cardinal Albrecht of Brandenburg Albrecht Dürer
左 俗称 小枢機卿 1519 右 俗称 大枢機卿 制作年不明 メトロポリタン所蔵より


マルクト教会は1541年にプロテスタントとなった。宗教改革により枢機卿アルブレヒトは退去。



Copy of Albrecht Dürer Christ as the Man of Sorrows
デューラーの現存しない「悲しみの人としてのキリスト」の模写


このポンマースフェルデン城にある「悲しみの人としてのキリスト」は、デューラーがブランデンブルク・フォン・アルブレヒト枢機卿に贈ったとされる作品だ。

その忠実な模写も複数あるので、これがポンマースフェルデン城のデューラーの模写かどうかはわからない。

バーデン州立博物館にあるデューラー(真作がどうかは不明)の「悲しみの人としてのキリスト」と比べ、とってもデューラーに自画像が投影されているように見える。

ポンマースフェルデン城にある「悲しみの人としてのキリスト」は、1493年頃の作品のようで、模写の制作年なのかオリジナルの制作年なのかはわからない。

ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿は、もともとあった聖ペテロ教会を1520年から改装し、1523年にハレ大聖堂を教区の参事会教会として献堂、装飾はクラナッハの工房、グリューネヴァルト、ハンス・バルドゥング・グリーン、デューラーらに任せて、聖遺物の収集をここに置いた。

ルターの宗教改革で、1541年にここを去るときには聖遺物とか、ハレ大聖堂の装飾した画家たちの作品を持って移動したのか。ハレ退去に伴って、マインツに亡命する途中で立ち寄ったアシャッフェンブルクに持参しヨハニスブルク城に残っている。

ハレ大聖堂にあったクラナッハの工房作品や他の画家たちの作品などはアルテ・ピナコテークにも所蔵されている.


ヘラ−祭壇画 デューラーの中央、左翼、右翼とグリューネヴァルトの外翼

 

フランクフルト歴史博物館
マクシミリアン1世購入後 オリジナルの焼失(1792)



グリューネヴァルト ヘラ−祭壇画の翼パネル(1509-11)(グリザイユ)
聖キュリアクス、聖ラウレンティウス(シュテーデル美術館)
聖エリザベス、不明だが聖ルチア?(カールスルーエ州立美術館))



こんなカンジ?



 
僕の別ブログだったoriconからの移転記事。

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