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Karl Lagerfeld

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Karl×Lenôtre
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Dom Perignon Oenotheque 1993
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Numero ヌメロ
ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

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Baroque 歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家
art / SAI

■ベラスケスの娘婿 フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ





Queen Mariana of Spain in Mourning
1666, Juan Bautista Martínez del Mazo



喪服のスペイン王妃マリアナ
フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ


ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)の娘婿のフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ(1613-1667)は、ラス・メニーナスの登場人物を活かした作品を残している。女官が水差しを渡すのは、カルロス2世だ。

2012,6月追記

Nicolas Pertusato


なんかカルロス2世の後ろにいるのが、「ラス・メニーナス」に描かれたニコラ・ ペルトサートなんだって。alei くんの記事に書いていた。もっと早く報せてよねっ!

記事 女官 イサベル・デ・ヴェラスコと矮人たち 


■ベラスケスのラス・メニーナス 水差しのシーン

 



Las Meninas 1656-57 Diego Velázquez



マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ
赤いドレスの王女マルガリータ 1659-60



マーソのベラスケスの模写

 
彼が描くのはあらかじめ自分の作品とわかるものと、ベラスケス派というべきかベラスケスの模写のような作品。



マリー・テレーズ・ドートリッシュ




マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ
青いドレスの王女マルガリータ(8歳)1659年

左がベラスケス、右がマーソの作品。この上の「赤いドレスの王女マルガリータ」はベラスケス絶筆となった9歳の王女マルガリータはベラスケス亡き後にマーソが引き継いだとされている。


 ■ベラスケスの「ラス・メニーナス」のフォロワー マーソの「画家の家族」


La familia del pintor Juan Bautista Martínez del Mazo

画家の家族 1659-1660(1660-65)
フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ
「ラス・メニーナス」のフォロワーと言われてる。



画家の家族に描かれているこの画家はマーソ?ベラスケス?
この部分はベラスケス「マルタとマリアの家のキリスト」のフォロワー


ベラスケスが亡くなる前後の作品だ。フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソはベラスケスの長女フランシスカと結婚したのが1633年。

フランシスカはベラスケスとファナとの間に1619年に誕生しているから、マーソと結婚したのは14歳のときだが、フランシスカは1658年に亡くなっている。二人の間には 7人の子供がいた。

二人目の妻はフランシスカ・デ・ラ・ヴェガだが、この作品が出来上がった年に亡くなっている。二人の間には4人の息子がいた。

娘マリア・テレーズ・マルティネス・デル・マーソ(1648-1692)がいる。当時12歳くらい。

そうすると娘マリアを含んだ左4人はベラスケスの長女フランシスカとの子となる。右の子供4人は二番目の妻の子で、一番小さな子をあやすのは二人目の妻フランシスカだろうか
。それとも三人目の妻?




マルタとマリアの家のキリスト1618年 ディエゴ・ベラスケス


マーソの「画家の家族」はベラスケスの「ラス・メニーナス」以前の「マルタとマリアの家のキリスト」(Kitchen Scene with Christ in the House of Martha and Mary, Velázquez.)から、画面のなかに別ば画面を介在させた「画中画」を試みたのではないか?

ルカ福音書第10章38から42節に書かれているマルタとマリアの家のキリストの話だ。



さて、右奥のアトリエにいる画家はベラスケス?マーソ?モデルはフェリペ4世の妃マリアナか?反対側には王子フェリペ・プロスペロかカルロス2世か、その女官と思われる人物。

だがマリアナの様子はベラスケスが描いたようなシルエットだ。

フェリペ4世は1665年に亡くなった。作中の肖像画はベラスケスが1659年に描いた「フェリペ4世」によく似ている。この制作年月日がはっきりしていれば、レクイエムなのかオマージュなのかがわかるのに。

僕がとっても気になるのは、フェリペ4世がベラスケスほど親密な関係ではないマーソの「画家の家族」に、自分の肖像画と王妃を描いてもよいという許可を与えたのか?ということだ。

たとえばそのマーソと思われる画家をベラスケスとしたなら、王は許可をしたのかもしれない。ベラスケスでさえラス・メニーナスに自画像を描きこむときにも王に許可を求めていたのだから。



ベラスケスの十字の謎


さてさて、ベラスケスのサンチャゴ騎士団の赤い十字は、ラス・メニーナス完成の時には描かれていないが、それをあとで書き込んだのは、娘婿のこのマーソじゃないの?

だってベラスケスの模写や、絶筆となった王女の肖像画を完成させたのもマーソだし。


■マーソが描いた歪んだ真珠
青い血のスペイン・ハプスブルグ家 王女マルガリータ 

 

Empress Margaret of Austria

喪服の王女マルガリータ 1666年
フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ


1666年、叔父でもある11歳年上のレオポルト1世との結婚の年に父フェリペ4世が逝去した。マーソは後ろにベラスケスが「ラス・メニーナス」で描いた小人や矮人、女官たちを想像させる人物を描き喪服を着させて登場させている。



ベラスケスが描いた女官




マーソが描いた女官


手前の金髪に描かれている人物は「ラス・メニーナス」で犬に足をのせるニコラ・ ペルトサート(ニコラシート・ペルトゥサート)を想像させるが、カルロス2世ともいわれている。⇒一番右がニコラス(ニコラ・ ペルトサート)だった。

ベラスケスが亡くなってから、マルガリータも独特なドレスを着て描かれることもなく、政治もファッションもフランスに移っていったことをバロック絵画は伝えているようだ。



ベラスケスが描いていた「3歳頃の王女マルガリータ(薔薇色のドレスのマルガリータ王女)」と「4歳の王女マルガリータ」のこの肖像画は人間の子供らしくみえるが、5歳から9歳にかけての王女マルガリータはフィギュアのようだ。

ラス・メニーナスの登場人物たちも操り人形のようにみえる。


 ■王女マルガリータの結婚

自分の両親と同じように叔父・姪の結婚生活でマルガリータは案外幸福だったようだ。近親婚による一族の滅びは別として。




Margarita Teresa de España
上2枚 ヤン・トーマス作
「芝居の衣装をつけた皇后マルガリータ・テレサ」
「芝居の衣装とつけた皇帝レオポルド1世」
左下 ファン・カレーニョ・デ・ミランダ 王女マルガリータ
右下 作者不詳 (Anonymous) 王女マルガリータ ウィーン美術史美術館


なんだか魂がない人間にみえる。ベラスケスよりは人間らしくみえるけれど。ある程度ハプスブルグ家の顔つきを隠すためにだけ熱心に描いているようだ。マリー・アントワネットのように。

独特な顔つき、弱い精神、低い身体機能、知能の障害を補うために画家は必死だったのか。

Gerard Du Chateau Infantin Margarita Teresa (1651-1673), Kaiserin, Bildnis in ganzer Figur Kunsthistorisches Museum

ジェラール城の肖像画 王女マルガリータ 
作者不詳 (Anonymous) ウィーン美術史美術館


カルロス2世があまりにはっきりと血族結婚のゆがみが顕著にあらわれていて、マリー・テレーズやマルガリータ王女のように、「すこしおっとりしている」だけではすまなかった。

母親は違うが、マリー・テレーズは政治や文学に無関心だったという。知能がほぼ正常範囲であっても、話の筋を追えなかったり、読むことを持続する力がほんの少し不足していたのではないか。脳の機能に一部障害がある可能性もある。


■歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家 
マリー・テレーズ・ドートリッシュ




マリー・テレーズ・ドートリッシュ 1644-45
María Teresa (1638–1683), Infanta of Spain
by フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ




晩年のマリー・テレーズ・ドートリッシュ (作者不詳)
Marie-Thérèse d'Autriche (Anonymous)


フェリペ4世の近交係数はどうだったのか?

ルイ14世の不貞に対しても気が付くまでに非常に時間がかかったという。男にとってはありがたいが。

さらに、ショコラ(ココア)を愛飲していて歯が全くダメになったという話もあるが、歯の先天性欠如もあったのではないか。

結局マリー・テレーズは44歳で亡くなっている。カルロス2世が39歳。マルガリータは21歳だった。顕著にあらわれたカルロス2世とは異なるものの、50歳までも生きられない。

マリー・テレーズ・ドートリッシュ関連記事
記事「
スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言
記事「
ベラスケス没後350年 王妃マリー・テレーズの肖像画


歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家
皇太子 バルタサール・カルロス





左 ディエゴ・ベラスケス 皇太子バルタサール・カルロス
右 マーソ(マソ) 皇太子 バルタサール・カルロス(1629-1646)


マリー・テレーズの兄でマルガリータ王女の異母兄だった。不思議だが17歳まで生存しているが、ベラスケス作の10歳以上の肖像画がない。娘婿マーソが皇太子つきとなっていたからだ。



皇太子バルタサール・カルロス
Retrato del príncipe Baltasar Carlos
by マーソ (Martínez del Mazo)


スペイン・ハプスブルグ家の期待を一身に集めて養育されたが、マリアナ・デ・アウストリアとの結婚を前に17歳で急死。マリアナはカルロスの父フェリペ4世に嫁ぐことになった。


 ■歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家 カルロス2世




左 カルロス2世 ファン・カレーニョ・デ・ミランダ(Juan Carreño de Miranda)
右 カルロス2世 (スペイン王) ファン・カレーニョ・デ・ミランダ


異形の、と形容がつくが、奇形だったのではないかと思う。最初の妻はルイ14世の弟王の長女でマリー・ルイーズ・ドルレアン。

記事「
ルイ14世 御伽の国から夜伽の国へ」で紹介されている、ジャン・ノクレの「ルイ14世とその一族」(寓意画)から、マリー・ルイーズ・ドルレアンの幼少時代の姿が描かれている。

マリー・ルイーズ・ドルレアンの骨を掘り出したりという逸話がある。


■歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家
王子フェリペ・プロスペロ



Margarita Teresa de Austria


左はさきに紹介したベラスケスの描いたマルガリータ王女だが、左はまったく同じポーズで、ベラスケスが描いた「王子フェリペ・プロスペロ」だ。



王子フェリペ・プロスペロ
ベラスケス(Diego Velázquez)


ほとんど天逝した子たちは肖像画もかけないうちに亡くなったが、この王子は皇太子バルタサール・カルロスが急死したあとマリアナが産んだ。カルロス2世の誕生前。

皇太子急死のあとの世継ぎとして、魔よけの鈴にお守りで身を包む。だが4歳で没した。


 ■フェリペ4世 最初の王妃イサベル・デ・ボルボーン



フェリペ4世(Felipe IV)、
王妃イサベル・デ・ボルボーン(1602–1644 Isabella von Bourbon)
by ベラスケス(Diego Velázquez)

子供たち
マリア・マルガリータ(1621)
マルガリータ・マリア・カタリナ(1623)
マリア・エウヘニア(1625 - 1627)
イサベル・マリア・テレサ(1627)
バルタサール・カルロス(1629 - 1646)
フランシスコ・フェルナンド(1634)
マリア・アナ・アントニア(1636)
マリア・テレサ(1638 - 1683)




all ベラスケス(Diego Velázquez)


上 狩猟服姿のフェリペ4世(1636)
   狩猟服姿の皇太子バルタザール・カルロス(1635-36)
下 王妃イサベル・デ・ボルボーン(1630)
   マリア・テレサ(マリー・テレーズ)の肖像画

なんだか浮いてないか、マリー・テレーズ・ドートリッシュの肖像画。このスタイルの肖像画はやっぱり操り人形か紙芝居を見ているようだ。だがベラスケスの描くフェリペ4世はやっぱり絶品だ。

僕はベラスケスのなかで、聖女(無原罪の御宿り)と修道女の2点だけが好きだった。そこには人間らしさがあったからだ。だからほかのベラスケスには興味がなかった。技法を駆使したラス・メニーナスさえも。

ところがルーベンスのフェリペ4世を鑑賞してからは・・・


 ■ルーベンス フェリペ四世




Phillip IV. 1628-1629
ルーベンス Peter Paul Rubens


なんともいい難いベラスケスのフェリペ4世が素晴らしく思えてきた。唯一、彼が尊敬したルーベンスを勝ったのは、フェリペ4世なんだ。

ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)は偉大な画家で外交官だ。

マリー・テレーズ・ドートリッシュの母イサベル・デ・ボルボーンはフランス王アンリ4世と皇太后マリー・ド・メディシスの娘である。

ルーベンスはフィレンツェのメディチ家出身のマリー・ド・メディシスの生涯を大作でも描いており、マントヴァ公の宮廷画家として外交にも手腕を発揮した。そして1603年にスペインのフェリペ3世のもとに派遣される。

フェリペ4世の叔母イサベル・クララ・エウヘニアは、ネーデルランドの統治者でもあり、マントヴァ公が破産したあと、ルーベンスのパトロンになる。


 ■ベラスケス フェリペ四世




Phillip IV. 1623-1627
ベラスケス Velázquez, Diego Rodríguez de Silva


1628年、スペインを外交訪問していたルーベンス(51歳)は、若いベラスケス(29歳)に目をかけ、イタリア行きをすすめる。

このとき「多くの交渉ごとをとりしきり、多忙な宮廷生活をおくりながらも多くの絵画を制作できるのは、驚異的なことだ」とベラスケスの義父パチェーコは書き残している。

フェリペ4世は1634年頃までに25点、このあとから1640年までに82点の作品をルーベンスに注文している。

ベラスケスは「夜間に旅し,昼間働くという日々の連続に疲れて」という手紙を、ずっとあとに残しているが、王の廷臣という職務に翻弄されるところは、城までも購入したルーベンスとは処遇が違うのだ。

1624年、47歳のルーベンスはフェリペ4世から貴族の位を賜る。ベラスケス25歳の頃だ。1629年にルーベンスはケンブリッジ大学から名誉学位を贈られた。1630年にはイギリスのナイトの称号、1631年、54歳でルーベンスはフェリペ4世から騎士の位を賜る。ベラスケス32歳の頃だ。

ベラスケスはルーベンスをみて尊敬し、ルーベンスのように地位を賜る宮廷画家を理想とするのは当たり前のことだったかもしれない。


 ■ベラスケスとルーベンス




画家で、学者で貴族で騎士で城主で、外交官のルーベンス。画家で、廷臣であったベラスケスとは待遇が違うのは当たり前だ。

下級貴族というベラスケスだが24歳でマドリードを旅行中に国王付きの画家となり、28歳(1627年)に私室取次係となるが、末席。1633年に宮内警備職、翌年に国王付き装飾係り、1642年の43歳でなんとか二十五位の席次だ。

1643年、ベラスケスは44歳で王室侍従代に任命され、公式に任命されたのが1646年のことだ。45歳のときにフェリペ4世から私室の鍵を渡され、王室配室長、56歳で王宮付属宝物館に住居を与えられ、マリア・テレーサ王女(マリー・テレーズ)とルイ14世の結婚準備の任命まで、いろいろ任命を受けていた。

喉から手が出るくらい望んでいたサンディエゴ騎士団の審査では貴族性が決定できなかったものの、ルーベンスの前例で、死の前年にようやく称号を受けられた。

国王と親密な画家ベラスケスは、ルーベンスのようなエリートではなく、宮仕えが資格試験に合格しながらひとつづつ昇進しているサラリーマン的廷臣だった。

それでもフェリペ4世の推薦もあったのだけれどね。


■マーソ サラゴサの訪問




サラゴサの訪問 (部分) 1647年
フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ


さて娘婿フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソは、ベラスケスのレールに沿って主席宮廷画家にはなったものの、ベラスケスのようにフェリペ4世の肖像画を残していない。

肖像画も残せないマーソが、「画家の家族」で国王の肖像画を画中画にしていることが不思議だ。そしてこの「サラゴサの訪問」でも描いている。

1646年,国王は皇太子バルタサール・カルロスを伴ってこの地を訪れた様子が描かれている。たぶん、フェリペ4世と馬に乗るのが皇太子だと思う。

サラゴサはスペイン・ハプスブルク家の洗礼式や婚礼,葬礼の儀式の「聖なる地」だ。

この年、皇太子は天然痘で亡くなった。


 ■フェリペ四世 二番目の王妃リアナ・デ・アウストリア




フェリペ4世 Philip IV of Spain 1656年
王妃マリアナ・デ・アウストリア  1655-57年
Retrato de Mariana de Austria, reina de España
by ベラスケス(Diego Velázquez)

子供
マルガリータ・マリア・テレサ(1651 - 1673)
マリア・アンブロシア(1655)
フェリペ・プロスペロ(1657 - 1661)
トマス・カルロス(1658 - 59)
カルロス(カルロス2世 1661 - 1700)



白いドレスの王女マルガリータ(3歳)
ベラスケス(Diego Velázquez)



王子フェリペ・プロスペロ
ベラスケス(Diego Velázquez)



カルロス2世 
ファン・カレーニョ・デ・ミランダ


ベラスケスの娘婿のマーソからファン・カレーニョ・デ・ミランダがカルロス2世に重宝された画家らしい。

まさにバロック時代にふさわしい寵児カルロス2世の「ゆがんだ真珠」が、なにか「神聖なおぞましさ」にもみえるところが不思議だ。

「青い血」の正統な世継ぎは王妃から誕生した王子だけだ。


 ■フェリペ四世 庶子 フアン・ホセ・デ・アウストリア

多数の私生児を生ませたフェリペ4世は、唯一王子と認め宮廷に迎えたのが女優マリア・カルデロンの間に誕生したフアン・ホセ・デ・アウストリア(1629-1679)だ。




庶子 フアン・ホセ・デ・アウストリア


皇太子バルタザール・カルロスと同じ年に生まれた庶子のフアン・ホセ・デ・アウストリア(Juan José de Austria)は、王位継承権を与えられなかったものの王族と認められたものの、自ら歪んだ真珠を手にしようと、フェリペ4世の激怒を買う。

異母妹のマルガリータ・テレサとの結婚を申し入れたからだ。

その後、相応の地位を保証されながら宮廷からは姿を消したものの、政治的手腕が必要になる事態には、このフアン・ホセを呼び戻そうとするところから、かなりの実力者だったにちがいない。

宮廷にもどるも政治的に対立する王妃マリアナ一派の廷臣に再び追われるが、民衆や反王妃派には絶大な支持で、即位を求められるほどだったらしいが、王位の継承は辞退している。

1677年、カルロス2世が王宮を出てファン・ホセの城にうつる。フアン・ホセはカルロス2世の教育とこの王への助言を死ぬまで続けたらしい。

もしも、ファン・ホセが即位していたなら、あるいは・・・。


■青い血を絶やさない王妃




喪服のスペイン女王マリアナ 1669年
ファン・カレーニョ・デ・ミランダ(Juan Carreño de Miranda)



マリアナ・デ・アウストリア 1685-1693
クラウディオ・コエーリョ (Claudio Coello)


フェリペ4世亡き後は、マリアナが摂政を務めた。「青い血を絶やさない王妃」としてだけ迎えられたマリアナは、フェリペ4世にも嫡子のフアン・ホセにも憤りを感じていただろう。

カルロス2世にフアン・ホセを近づけさせないよう仕組んだり、アラゴン総督に任じサラゴサへ赴任させるなどをしたものの、結局は国民と国王自らが求めてしまった。

1676年12月、親政の開始にともない王母マリアナの摂政の役目はなくなり、マリアナはトレドへ逃亡。フアン・ホセが亡くなると王宮へ戻る。

その後のスペイン継承については、再度こちらの記事から。

スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言


■ スペイン継承戦争 スペイン・ハプスブルグ家の落日




Margarita Teresa de España
王女マルガリータ 年代・作者不詳


さて継承戦争には、マルガリータの嫁いだレオポルド1世が絡む。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝であり、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王だ。

平和を愛する人物だったらしい。

甥のカルロス2世が逝去すると、3人目の妻との子である次男のカール(のちのカール6世)をスペイン王に擁立しようとルイ14世と再び戦うことになる。

さて、レオポルド1世の家系はというと、あの「
マリア・テレジア」と血は続いていくのだ。

こうして長年にわたるフランスとの確執は、ルイ15世の時代に
ポンパドゥール夫人との「3枚のペチコート作戦」で手を組み、そのよしみでマリー・アントワネットをルイ16世に嫁がせて、ブルボン家の落日を狙ったというわけかな?

戦争はせずに結婚政策で・・・、長年の決着は
マリー・アントワネットが引き受けたのだ。
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ルイ13世 王妃 アンヌ・ドートリッシュ1622-25バロック・スタイルのルイ14世の母、マリー・テレーズの叔母by ピーテル・パウル・ルーベンスルーベンスとベラスケスは親しい仲だったようですね。ルーベンスがこのスペイン・ハプスブルグ家をどうみていたのかを、ベラス
| Life Style Concierge | 2010/05/10 7:59 PM |
過去記事でルイ14世の「スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言」で、妃マリー・テレーズの持参金云々で、義理の妹にあたるマルガリータ王女の「ラス・メニーナス」を紹介した。登場人物はこちら。過去記事「スペイン敬称戦争 フェリペ5世への箴言」今回は、この作品に描
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