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今日は20年くらい前のハッピーエンドの映画の紹介。
最近、僕はファンタジックなものが好きになった。(ダークな素材に風刺が効いて、ユーモアがあってこそのファンタジックに限る。)
たとえばジュネ&キャロの「デリカテッセン」だ。
Delicatessen(1991) Jeunet & Caro
ジェリーの部屋 →Cello y sierra en Delicatessen
Dominique Pinon and Marie-Laure Dougnac
左のチェロを弾くジェリーを演じるのが、マリー=ロール・ドゥーニャ。右がジャン・ピエール・ジュネ監督の作品でおなじみのドミニク・ピノン。たぶん彼にとって最初のジュネの作品で初主演。
それがとってもコミック的で、文学に対する漫画文化、古典絵画に対するポスター文化のような映画。つまり一流にも三流にも属さない独特なシネマ文化の作品だと思う。
ジュネ&キャロ、そしてドミニク・ピノンの3人のショートフィルムがある。デリカテッセンを彷彿させる冒頭から、古いアニメーションやジャン・ギャバンの作品まで、昼のランチ・プレートのように一皿に数種の料理がのせられているようなフィルム。
こちらから
Court métrage de Jeunet-Caro-Pinon "Foutaises"
このシーンは、ドミニク・ピノンが見ている方角から一人の盲人が歩いてくる。ところが反対側からもう一人の盲人が歩いてくる。二人ともそっくり。その二人がドミニク・ピノンの目の前でぶつかるというオチ。
とってもナンセンスだ・・・。
さて本題のデリカテッセン。僕は基本、ホラーが嫌い。でも、この映画なら安心して見られる。時々の不気味さはコミカルな前兆だし、不快な恐ろしい場面はない。
物語は核戦争から15年後のパリ。そこにはたった一軒の精肉屋があった。こんなところ。
Delicatessen intro
こうしてデリカテッセンの物語ははじまる。映画のクレジットはこんな感じ。
Delicatessen Credits
タピオカ家 突然お祖母さんがサヨナラする。
デリカテッセンの人々。アパルトマンの住人たち。お祖母さん(エディット・ケール)は、途中で肉になり、タピオカの妻(アンヌ・マリー・ピザニ)は泣きながらもその肉を手に入れる。食べるために。
おわかりのように精肉屋「デリカテッセン」は、人の肉を売るところ。
周の文王は、殷の紂王に自分の息子を殺され、その肉を食わせられるという歴史がある。文王は肉が何であるかを知っていたが、下賜を拒むことを避け、断腸の思いで口にした。
だが、タピオカ家の面々は、とってもコミカルだ。
Delicatessen
音楽はカルロス・ダレッシオ(Carlos d'Alessio)。
デリカテッセン(オープニング・テーマ)
Delicatessen soundtrack - 01 - Delicatessen
ティカ・ティカ・ウォーク
Delicatessen soundtrack - 02 - Tika Tika Walk
泡のような回想
Delicatessen soundtrack - 03 - Baiser Sous L'eau
水中キッス
Delicatessen soundtrack - 04 - Circus Delire
ひとつの鞄
Delicatessen soundtrack - 06 - Les Bulles
精神錯乱のサーカス
Delicatessen soundtrack - 07 - La Valise
デュオ(屋根の上の二人)
Delicatessen soundtrack - 08 - Duo
アコーディオンのワルツ
Delicatessen soundtrack - 09 - Valse Accordeon
あなたの涙
Delicatessen soundtrack - 10 - Una Lagrima Tuya
ボンゴ・ボレロ
Delicatessen soundtrack - 11 - Bongo Bolero
オールド・ハワイの夢
Delicatessen soundtrack - 12 - Dreams of Old Hawaii
パイ焼き職人
Delicatessen soundtrack - 13 - Patty Cake Bakerman
パリの舗道
Delicatessen soundtrack - 14 - The Streets of Paris
名誉の勲章
Delicatessen soundtrack - 15 - Medaille D'honneur
闘技士の入場
Delicatessen soundtrack - 05 - Entry Of The Gladiators
デリカテッセン(エンディング・テーマ)
Delicatessen soundtrack - 16 - Delicatessen (Generique)
ハワード・ヴァーノンは、すごい。蛙とカタツムリ。カタツムリはなめくじのようで、よくこんな役を演じられたと感心。交響曲を聴きながらイビキと蛙の声。そしてタピオカ家の悪童リュシアンとレミがのぞいている。
snails, frogs and fanfare.avi
人肉を売り、人肉を食べるデリカテッセンの店主クラペ(ジャン=クロード・ドレフュス)。セックスで肉をただでもらうマドモアゼル・プリュス(カリン・ヴィアール)。二人の情事のベッドの軋みが音楽のリズムになる。
Bande-Annonce DELICATESSEN de Marc Caro, Jean-Pierre Jeunet (Lauréat 1990)
アンテリガトゥール夫妻の浴室
浴室で3度目?の自殺を図るジョルジュの妻オーロール。キューヴ兄弟のロベールが彼女に好意を持っている。ルイゾンがベッドスプリングを修理していたために、コンセントが抜けて自殺は未遂に。
Delicatessen escena original
別な自殺失敗のシーン
Delicatessen - Suicide scene ITA
タバコを吸う子供の前でシャボン玉で芸を披露しながら、さりげなく煙草をとりあげるルイゾン。この階段のシーンで、ジェリーと会う。
Delicatessen Bubble Scene
マドモアゼル・プリュスのベッドスプリングを直しにきたルイゾン。TVからDreams of Old Hawaii が流れ、二人はスプリングのリズムをとる。
Delicatessen - Bed Springs
お茶に招かれたルイゾン。山高帽をかぶれば、不思議の国のアリスの「気狂い帽子屋」も演じられそうなドミニク・ピノンだ。
delicatessen - una lágrima tuya
侵入してきた地底人
床から侵入してきた地底人。マルク・キャロもその一人を演じている。
Delicatessen Handshake
この映画を短絡的に、「羊たちの沈黙」にあるカニバリズムだとかをテーマにしているとは、僕は思っていない。
それはひとつのエッセンスであって、もしかするとシュルレアリスム(Surréalisme)の作品かもしれない。なぜなら普段気付かない現実(超現実)がここにあるから。
デリカテッセンの人々
ロベール(リュフュス)とロジェ(ジャック・マトゥ)のキューブ兄弟
そしてシュルレアリスムにおける集団の意識。菜食主義者の「地底人」と、彼らを餌食にする地上人の肉食主義の人々。
シュルレアリスムにおける集合的無意識は、個人的経験に属さないもので、ここでは人食いと食われる者の属性の違いが、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)から発生している気がする。
人類の太古の歴史や種族の記憶がここに描かれていると思う。
ベジタリアンの奇妙な男たち(アニメーションっぽいキャラクター)は、もしかするとある決まったイメージを想い起こさせる「元型」を象徴しているのかもしれない。
人類共通の無意識にひそむ「現実」とは、きっとない。なぜなら民族によって食事も作法も違うからだ。
だからこそ、ここには菜食主義者=人肉を食べない人と、肉食主義者=人肉を食べる人を歴史と種族の「元型」をあらわしたのではないか。
デリカテッセンの住人たちは、求人広告でやってきたドミニク・ピノン演じるルイゾンの肉を楽しみにしている。
もちろん、ドミニク・ピノン演じるルイゾンは、画像のように餌食になったわけではない。精肉屋の店主の娘ジェリー(マリー=ロール・ドゥーニャ)がルイゾン(ドミニク・ピノン)に恋するわけで、菜食主義者の「地底人」に彼を父親から助けてもらうように頼むわけだ。
結局ジェリーは、人類に共通する古態的でいえば、身内殺し(父親殺し)になってしまうだろう。
僕は過去記事「ヴォルテールの哲学辞典」で、植民地化されたフランス領から未開人が連れてこられ、ヴォルテールがその中の一人に「人間を食べたことがあるか?」と聞き、「死んだ敵を食べた」と答えたことに対し、二人ともデリカシーがないと書いた。
列王記でも書かれているように、戦争で包囲された国は大飢饉になり、「昨日はわたしの子、今日は彼女の子、それなのに彼女は自分の子を隠した」という訴えも書かれていた。
つまり子殺しで、人食いの人間たちは、古くから語り継がれ、聖書にも神話にもある。
ジュネとキャロ、そしてドミニク・ピノンはもっともナンセンスで、悪趣味で、なによりそれをファンタジーに置き換えた。
Delicatessen(1991) Jeunet & Caro
DUO の場面 → Duo - Delicatessen
Dominique Pinon and Marie-Laure Dougnac
このデリカテッセンの場面で時々連想するのが、フランスの画家バルテュス(Balthus)の作品だ。
バルテュスが描く世界の装飾や配色は、ジュネ&キャロの「デリカテッセン」の映像に重なるんだ、僕には。
たぶん、それはサーカス的な要素だと思う。ジュネが「デリカテッセン」の10年後に「アメリ」を制作したが、カフェ・ド・ムーランのマダムはサーカスの曲芸師だったし、ルイゾンはピエロだった。
サーカスは華やかで楽しくて、また痛々しい人間が演じるんだけど、「さらわれたり買われたりした子供」という伝説や社会的に「余所者」というイメージがある。
そうした不可解な部分を謎めいたように描いたり、映し出したりできるのが、バルテュスとジュネ&キャロなのかも。
ルネ・マグリットを引き合いに出している記事があったけど、全然っ、ルネ・マグリットじゃない!って思った。
地底人をルネ・マグリットの「Golconde」(ゴルコンダ)で有名な山高帽の男たちが描かれている「葡萄摘みの月」あたりに当てはめてもいいけどさっ。
地中と空の反対、そしてみんな同じ姿ってところで。
さて、この「デリカテッセン」を大人の童話のような映画だとか。どういう意味で使ってんの?でも僕も本当の意味での童話だと思っているけど。
フリッツ・ハールマン(Friedrich Haarmann)の部屋
この部屋は、フリッツ・ハールマン(Friedrich Haarmann)の部屋だ。左端のテーブルにはコーヒーポットなんかの日用品がある。
Delicatessen (Jeunet & Caro)
デリカテッセンの時代は、核戦争から15年後。ドイツのフリッツ・ハールマン(Friedrich Haarmann)の時代は、 第一次世界大戦後で、深刻な食糧不足に陥っていた。
映画デリカテッセンの設定も核戦争から15年ということは、容易に食料不足が理解できる。
ドイツの1919年から1924年には、ハノーファーではフリッツ・ハールマンが、ベルリンではゲオルク・グロスマン、シュレージエンではカール・デンケが人肉を売り、人肉を食べていた。
三人の共通点は肉卸業者だったこと。
店主クラペとルイゾン
Delicatessen (Jeunet & Caro)
それぞれが違うのは、フリッツ・ハールマンは同性愛者で、男色行為中に喉を噛み、殺害。若い浮浪者や男娼が犠牲者だった。そこで彼らを肉の缶詰として、売り出した。ゲオルク・グロスマンは、もともと変質者だったらしい。獣姦、しかも最初の相手は鶏だという。娼婦を殺し、その肉を卸し、ホットドックで売る。
デンケは唯一の富豪で、「パパ・デンケ」と呼ばれるくらい尊敬された名士だったという。だが、食料不足で富を失わないように、浮浪者を殺害。肉を売り、食費を切り詰めるために自分でも食べた。
カニバリズムという定義のなかで、民族や人類の社会的行為としてのカニバリズムがあるが、彼らは性的なもの、デンケの場合は経済的((特殊な心理)なもので、社会的行為ではない。
ハールマンのアパルトメンのガスオーブンは、この「デリカテッセンの画像のガスオーブン?によく似ている。wikiによると死体の一部を燃やしたとあった。
Friedrich Haarmann
もっともこの3人のなかで、「デリカテッセン」の店主クラペと同じ「斧」を頭に振り下ろすのは、デンケである。
Karl Denke Bloody knives and axes (斧の展示写真)
こうした歴史的な食料不足や飢饉でのカニバリズムは日本も例外ではない。古代日本、江戸時代、太平洋戦争、そして明治時代だ。
作家トマス・ハリスの小説に登場するハンニバル・レクター(Hannibal Lecter)は悲惨だ。
幼少期のレクター。第二次世界大戦のなかで、溺愛する妹ミーシャが食料となってしまった。
ハンニバル・ライジング(Hannibal Rising)では、その一件からレクターの性格付けとその復讐が描かれている。
Delicatessen (Jeunet & Caro)
こちらはデリカテッセンのリュシアンとレミ。食料となった祖母への悲しみや復讐などはまったく持たず、ひたすら悪戯に命をかける。まさか、「アメリ」の八百屋の店主にやられてるリュシアンは、君じゃないよね?
アメリはこちら、ジュネのアメリもティルセンの音楽も全部見れて、全部聴ける記事。
記事 映画 アメリ Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain 音楽のヤン・ティルセン
ちなみにalei はジュネの映画に参加してくれなかった。嫌いなんだってっ!
ryoくん、ソウル・キッチンのTB、どうも。
デリカテッセンのセックス・シーンは控えめながら、ソウル・キッチンのセックス・シーンは、何あれ!すっごくリアルすぎて、演じているようにはみえませんでした。
兎穴さん、TBありがとうございます。
フライド・グリーン・トマトという映画自体知りませんでした。とても美しい映像で、あれがカニバリズムを暗示している映画にはみえませんでした。
コメント:人肉を売り、人肉を食べるデリカテッセンの店主クラペ(ジャン=クロード・ドレフュス)。セックスで肉をただでもらうマドモアゼル・プリュス(カリン・ヴィアール)。二人の情事のベッドの軋みが音楽のリズムになる。
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>もしもこの物語をひっくり返せば、ジュリーがサロメになる可能性も。皿にのったルイゾンの頭。ルイゾンが彼女を拒んだら、父親に彼の首をくれと頼んだかもしれないな。
自分で気がついて、記事にしたかったコメント。やられた。
記事はご遠慮させてもらいましたので、コメントを。まずはデリカテッセンは嫌いじゃないです。それにエイリアンも、君のように怖がらず観れるし。というか、この「デリカテッセン」は、楽に観られる。そしてsaiの記事のほうが怖い。わざわざ、フリッツ・ハールマンの住んでいた部屋の画像を引用して・・・。なんかリアルで不気味。もしもこの物語をひっくり返せば、ジュリーがサロメになる可能性も。皿にのったルイゾンの頭。ルイゾンが彼女を拒んだら、父親に彼の首をくれと頼んだかもしれないな。