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Karl Lagerfeld

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ロレンツォ・デ・メディチとスフォルツァ家
メディチ家 Medici / SAI



レオナルド・ダ・ヴィンチによるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」の反対側にあるジョヴァンニ・ドナート・モントルファーノの「磔刑図」(キリストの磔刑)に描かれたミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァとその妻ベアトリーチェ・デステ。


おなじみの構図。スフォルツァ家もトルナブオーニ家も、モンテフェルトロ家も、みーんな御揃いのスタイル。200年後のルーベンスも聖イルデフォンソ祭壇画にこのスタイルでご依頼主様を描いている。

ルドヴィーコ・スフォルツァは、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの妻バッティスタの従兄弟である。


通称イル・モーロことルドヴィーコ・スフォルツァはこの二人、フランチェスコ・スフォルツァとビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの次男。

この二人には8人の子供かいる。長男ガレアッツォ・マリーア(Galeazzo Maria)、だがフランチェスコ・スフォルツァは35人の子供を設けたという。

Chiesa di S. Sigismondo, Cremona

Chiesa di S. Sigismondo, Cremona


クレモナのサン・ シジスモンド教会には、フランチェスコ・スフォルツァ(Francesco Sforza)とビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ(Bianca Maria Visconti)とその息子たちが描かれた聖母子の集団肖像画。



サン・ シジスモンド教会の聖セシリアと聖カタリナ


フランチェスコ・スフォルツァ(Francesco Sforza)とビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ(Bianca Maria Visconti)の結婚式はここで行われた。

フランチェスコ・スフォルツァの政権はニッコロ・マキャヴェッリの君主論にも取り上げられている。

要約
フランチェスコ・スフォルツァは適切な手段とみごとな力量によってミラノ公になった。(略)ミラノの城を築いたが、これがスフォルツァ家にとって国内のどんな騒乱にましても、戦争の火種になったのである。

フランチェスコ・スフォルツァ(1401-1466)とロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)の祖父であるコジモ・デ・メディチ(1389-1464)とは盟友であり、その強固の結託は、メディチ家への財政的支援であり、メディチ家は軍事的保護を約束された。



Francesco Sforza & Cosimo de' Medici


フランチェスコ・スフォルツァの亡き後は長男のガレアッツォ・マリーア(1444-1476)である。ボナ・ディ・サヴォイアと結婚。

スフォルツァ家が統治するミラノで、チッコ・シモネッタはフランチェスコ・スフォルツァ、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ、そしてジャン・ガレアッツォ、イル・モーロと、長くその歴代ミラノ公に仕える。

歴代といっても決して長くはないけど。ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァと母親ボナの時代の事実上の摂政はチッコである。

宮廷詩人アントーニオ・コルナッツアーノは「統治の技法」で、父フランチェスコとガレアッツォの暗殺を述べている。

善良なるフランチェスコ公は 今や亡き者となった息子をいくたびとがめことだろう

「ジョヴァンニ公の魂がおまえに舞いおりて、はらわたの奥底に根付いているのだ。」

彼は叫び、そしてその予言は現実となった。

Galeazzo Maria Sforza by Zanetto Bugatto, 1475, Sforza Castle Museum-2

Galeazzo Maria Sforza & Bona of Savoy
left:ザネット・バガット(Zanetto Bugatto 1458-1476)


左のガレアッツォの肖像画は暗殺される前年の肖像画。1475年のザネット・バガット(Zanetto Bugatto)によるもの。 Sforza Castle Museum所蔵。

記事 レオナルド・ダ・ヴィンチの「美しき姫君」でも紹介したけれど、父ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが暗殺され、7歳でミラノ公となったジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ。叔父ルドヴィーコが実権を握る。

兄ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァに追放されていた裏切り者のルドヴィーコは、ボーナ・ディ・サヴォイアの摂政と幼いジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの統治に反対し、後見人の地位を得た。

ガレアッツォ・マリーアとは不和だった従兄弟ロベルト・ダ・サンセヴェリーノと手を組み、チッコを脇へ追いやるが。ロレンツォ・デ・メディチはガレアッツォ・マリーア・スフォルツァを慕っていた。彼亡きあと、チッコとの関係を続けるべきと判断はしていた。だがロベルト・ダ・サンセヴェリーノはロレンツォの親友でもあった。

Gian Galeazzo Maria Sforza

長男 ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
Gian Galeazzo Maria Sforza
by Leonardo da Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ



作者不詳 次男 エルメス・マリーア・スフォルツァ
Ermes Maria Sforza


ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ(Gian Galeazzo Maria Sforza)は、ナポリ王女イザベラ・ダラゴナと結婚した。25歳で亡くなった。5年間の結婚生活で3人の子供が誕生するが、成人したのはボナだけ。

イザベラはナポリ王アルフォンソ2世とイッポーリタ・マリーア・スフォルツァの娘。イッポーリタはフランチェスコ・スフォルツァとビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの娘であるから、二人はいとこ同士の結婚。

ジャン・ガレアッツォは、叔父ルドヴィーコ・イル・モーロにパヴィーア城に監禁され、毒殺された。

エルメス・マリーア・スフォルツァは、ユリウス2世に抱き込まれた叔父アスカニオ・スフォルツァ枢機卿(Ascagnio Sforza)によって、ユリウス2世、叔父イル・モーロの思惑にのったシャルル8世のナポリ侵攻(イタリア侵攻)の巻き添えで、スフォルツァ家が支配していたノヴァーラに投獄されて亡くなった。

Bianca Maria Sforz by Leonardo da Vinci

長女 ビアンカ・マリーア・スフォルツァ
Bianca Maria Sforz
 by Leonardo da Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ

Anna Maria Sforza

一角獣を抱く貴婦人 Ritratto di dama con liocorno
(Portrait de Madalena Strozzi マッダレーナ・ドーニ)
(Bona Sforza ボナ・スフォルツァ)
次女 アンナ・マリーア・スフォルツァ  Anna Maria Sforza ?
by Raffaello Santi ラファエロ


ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」がアンナ・マリーア・スフォルツァという可能性があるらしく、さっそく引用してみた。だけどバルトロメオ・ヴェネトのベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este)っぽいなと思った。

ジュリア・ファルネーゼ(Giulia Farnese)の肖像画とも言われているけど、僕が鑑賞したスフォルツァ家の女性たちと同じ首飾りをしている。この件は記事後半で。

長女 ビアンカ・マリーア・スフォルツァは、2歳で最初の結婚をしている。2歳・・・。そして死別。普通の年齢になってマクシミリアン1世の後妻に。 亡くなった最愛の妻マリー・ド・ブルゴーニュのあとだから厳しかっただろう結婚生活。7年ののちにビアンカは死去。

アンナ・マリーア・スフォルツァは21歳で亡くなっている。アルフォンソ1世・デステに嫁ぐが1年後に出産時に死亡。ルクレツィア・ボルジアと再婚した。アルフォンソ1世・デステの姉ベアトリーチェが叔父ルドヴィーコ・イル・モーロと結婚。


愛人ルクレーツィア・ランドリアーニ(Lucrezia Landriani)との間に3人。一人はボッティチェッリの作品にも多数描かれているカテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)がいる。ロレンツォの暗殺未遂に終わったパッツィ家の陰謀の黒幕ジローラモ・リアリオ(Girolamo Riario)に嫁ぐ。カテリーナ・スフォルツァは親メディチ。微妙な家系。

パッツィ家の陰謀に、ルドヴィーコ・イル・モーロの名があがっていないのが不思議だ。

記事 Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ
記事 中世イタリア ルネッサンスの美女
記事 カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)の謎 ボッティチェッリ プリマヴェーラから
記事 サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli システィーナ礼拝堂
記事 パッツイ家の陰謀 モンテフェルトロの陰謀 ジュリアーノ・デ・メディチの血の日曜日


ロレンツォ・デ・メディチの寝室に飾っていたガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの肖像画。1471年にガレアッツォがフィレンツェを訪問した際、ピエロ・ポライウォーロ(ピエロ・デル・ポッライオーロ  Piero Pollaiuolo)が描いた。

ロレンツォがこの肖像画を飾っていたのは、親愛のためか、あるいは教訓のためだろうか。

1476年6月、弟のルドヴィーコ・イル・モーロとスフォルツァ・マリーア・スフォルツァは、ガレアッツォの暗殺を企てて追放された。

それから半年後。三羽のカラスが頭上を飛ぶのをみて、これを凶兆ととらえたガレアッツォは弓矢を引く。その数日後にミラノに戻る。



Sforza Triptych
by Rogier van der Weyden



スフォルツァ家の三連画中央にガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
父フランチェスコと母ボナ、キリストの十字架下に頭蓋骨


ガレアッツォの圧制、品行不良は、おぞましいほどの暴君で性の略奪者と伝えられているが・・・。

そして12月26日。

ジュリアーノ・デ・メディチと同じように、ガレアッツォは教会に行った。公爵聖歌隊の歌を楽しみにしていたというが、チッコ・シモネッタは思いとどまらせようとした。ほかの助言者たちと一緒に反対したらしい。

サンテ・ステファーノ教会にガレアッツォと同行したのはマントヴァ大使サッジ、弟フィリッポとオッタヴィアーノ、チッコの弟ジョヴァンニ・シモネッタ、軍事顧問のオルフェーオ・ダ・リカーヴォ。

family of Francesco Sforza

フランチェスコ・スフォルツァ一族
まだ幼い7人の子どもたちが描かれている


そうして教会の中央で、ガレアッツォの廷臣だったジョヴァンニ・アンドレーア・ランプニャーニ(Giovanni Andrea Lampugnani)の短剣が刺さった。おなじくカルロ・ヴィウコンティ(Carlo Visconti)の剣。そしてあの人文主義者のコーラ・モンターノに師事していたジローラモ・オルジャーティ(Gerolamo Olgiati)の3人の手によって。

三羽のカラスだったんだ・・・。

強姦罪で、ガレアッツォの命で鞭打ちされた人文主義者のコーラ・モンターノ。ジローラモ・オルジャーティは彼の教えにより自由政体のために殺害したというが。

ジュリアーノ・デ・メディチが暗殺されたパッツィ家の陰謀では、メディチのプラトン・アカデミー筆頭のマルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino )の教え子ヤーコポ・ブラッチョリーニ( Jacopo Bracciolini)が加担した。

記事 パッツイ家の陰謀 モンテフェルトロの陰謀 ジュリアーノ・デ・メディチの血の日曜日


一人逃げたジローラモ・オルジャーティは、結局捕まり、八つ裂きになる直前に「この行いの記憶は永遠に永く残るのだ。死は苦きものだが、名声は永久に続く。」と自分に言い聞かせたというが、サルティウスの「カティリナの陰謀」の影響。

コーラ・モンターノ(Cola Montano、本名Nicola Capponi da Gaggio)が信棒させたのだろうか。このガレアッツォの暗殺後は、彼はつつがなく暮らしたことだろう。

だがロレンツォ・デ・メディチはつつがなく暮らすことができなくなった。ガレアッツォは重要な味方だったからだ。

記事 ロレンツォ・デ・メディチとフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ

ガレアッツォの肖像画は鷹狩の鷹が主人の素手に戻ってくることを自慢する仕草だという。



玉座のガレアッツォと右のチッコ・シモネッタ 1475年頃


1477年2月17日の月曜日。ミラノから4羽の鷹が届けた緊急の件に対し、ロレンツォはチッコに判断を仰ぐ判断を下す。ガレアッツォが死んで、スフォルツァ兄弟よりもチッコ・シモネッタとの絆を選んだのである。

さて、
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのところにもその報せは届いた。フェデリーコの宮廷画家で詩人でもあるラファエロの父ジョヴァンニ・サンティは、「フェデリーコがガレアッツォの死に遺憾に思うのは、全面休戦に向けたフェデリーコの美しきビジョンが殺されていまったからだ」と述べた。

ロレンツォはチッコとは見解が相違して、ミラノの情勢を保障する役目をフェデリーコではなく、マントヴァのルドヴィーコ・ゴンガーザを提案する。

ミラノのチッコは、スフォルツァ兄弟、そしてロベルト・ダ・サンセヴェリーノ(Roberto da Sanseverino)の陰謀から身を守りつつ、政権支配を掌握していた。

Die Hochzeit von Roberto da Sanseverino und seiner dritten Gattin Lucrezia Malavoiti

ロベルト・ダ・サンセヴェリーノ(Roberto da Sanseverino)
三度目式の図


ロレンツォは親友ロベルト・ダ・サンセヴェリーノが、何かたくらんでいるのを察していた。ロベルトがチッコに対しての敵意も。

ロレンツォは友人でもありプラトン・アカデミーのメンバーのルイージ・プルチを派遣した。ロベルトと気が合うからだ。だがチッコはプルチの外交を快くは歓迎しなかった。

ロレンツォとチッコは傭兵契約こそ意見は一致していたが、当のロベルトは俸給をフェデリーコと同じくいてほしいという要求。

その最中、スフォルツァ家からジェノヴァが独立する騒ぎがあった。討伐に成功したロベルトとスフォルツァ兄弟たちは、チッコに対するクーデターを計画したが、その陰謀にチッコは先制攻撃にでる。



聖ルシアのイッポーリタ・マリーア・スフォルツァ
中央 マグダラのマリアのボナ公爵夫人



ボナ公爵夫人(Bona of Savoy) すごい変わりよう


公爵夫人ボナは4人のスフォルツァ兄弟を追放する。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは、チッコの思慮深さと鋭い洞察力をたたえ、ロレンツォは、プルチの抒情詩、レオナルド・ダ・ヴィンチも所有いていた「モルガンテ」の一説のようなメッセージを送る。

「人間に関する事柄は変わりうるもので、すべては運命に左右される。」と。

プルチの「モルガンテ」より
「だが運命は常に待ち伏せをして、我々のあらゆる目論みを打ち砕こうとしている。」

ロレンツォはイタリア勢力の均衡に安堵していたが、「誰かがこの均衡を打ち砕こうとしている。」ことに気がついていなかった。

これから数ヶ月もたたないうちに、フェデリーコはチッコに暗号の手紙を送る。チッコが生き延びたいのであれば、フィレンツェを断ち切りナポリと手を組むことを。

Ludovico ilMoro

ルドヴィーコ・スフォルツァ (Ludovico Sforza)


ルドヴィーコ・イル・モーロは1477年に再び追放された。ピサで監禁されていた。1479年、スフォルツァ・マリーア・スフォルツァがアラゴン家の後ろ盾を得て、ロベルト・ダ・サンセヴェリーノらと再会した。だがロベルトの軍隊での生活に疲労したスフォルツァ・マリーア・スフォルツァは死んだ。

公爵未亡人ボナの愛人アントーニオ・タッシーノはチッコの政治権力に嫉妬し、ルドヴィーコの再入国をすすめた。

当然、チッコは投獄される。1479年の秋だった。

ルドヴィーコ・スフォルツァ (Ludovico Sforza)は、1491年1月にベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este)と結婚をした。第1子マッシミリアーノ、第2子フランチェスコ2世はいずれもミラノ公となっている。

Beatrice dEste by Leonardo da Vinci and Giovanni Ambrogio de Predis

ベアトリーチェ・デステ (Beatrice d'Este ?) 1490
by Giovanni Ambrogio de Predis


元レオナルド・ダ・ヴィンチ、いまはジョヴァンニ・ アンブロージオ・デ・ プレディスといわれているベアトリーチェ・デステの肖像画(Ritratto di una dama)は、レオナルド・ダ・ヴィンチ派の作者不詳の作品でアンナ・スフォルツァ?と述べているものもある。

Leonardo School

アンナ・マリーア・スフォルツァ Anna Maria Sforza?
Leonardo School


アンブロジアーナ絵画館(Pinacoteca Ambrosiana)にあるんだけど・・・。もしもアンナ・マリア・スフォルツァ(Anna Maria Sforza)なら・・・。


左がラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」(次女 アンナ・マリーア・スフォルツァ)のペンダント。右がレオナルドか誰だかがの「貴婦人の肖像画」(ベアトリーチェ・デステ)なんだけど、ペンダントが似ていない?

バルトロメオ・ヴェネト(Bartolomeo Veneto)の作品、クリストフォロ・ソラーリ(Cristoforo Solari)の描いたベアトリーチェ・デステ (Beatrice d'Este)は、ラファエロ(Raffaello Santi)の「一角獣を抱く貴婦人」に似ている気も・・・。



Jewelry Of Sforza 
Ruby Emerald tear-drop-shaped pearl


ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」(次女 アンナ・マリーア・スフォルツァ)のペンダントと誰だかがの「貴婦人の肖像画」(ベアトリーチェ・デステ)の首飾りは同じものに見えるが、「一角獣を抱く貴婦人」には小さなエメラルド(サファイアっぽい)がついている。

フランチェスコの妻でアンナの母が首飾りを身に着けて描かれている肖像画はない。だが娘のビアンカ・マリアには、アンナの首飾りのうえにさらにはっきりとわかる大きさのエメラルド(サファイアっぽい)がついている。


この2枚の作品はジョヴァンニ・アンブロージオ・デ・ プレディス(Giovanni Ambrogio de Predis )の作品。左がベアトリーチェ・デステ (Beatrice d'Este)、右が義姉になるビアンカ・マリーア・スフォルツァ(Bianca Maria Sforz)。二人とも同じ首飾り。そして髪飾りにも。

婚約時代にルドヴィーコがベアトリーチェへの贈り物として、「大きな真珠が黄金の花弁から顔をのぞかせる美しい首飾りで、そこかしこにまばゆい宝石がちりばめられている。美しいエメラルドとルビー、洋梨型の真珠も目を惹く」とあった。(引用:美しき姫君より)



アンナ・マリーア・スフォルツァ(Anna Maria Sforza)
ベアトリーチェ・デステ (Beatrice d'Este)


エメラルドってあるけどサファイアに見えるけど。この宝石の緑と赤と白はスフォルツァ家のカラーでもある。

この二人は、1491年1月に同時に結婚式を挙げた。アンナ・マリーア・スフォルツァはベアトリーチェ・デステのの弟アルフォンソ、ベアトリーチェ・デステはアンナ・マリーア・スフォルツァの叔父ルドヴィーコ・スフォルツァと。

この肖像画は結婚前の前年の作品。「一角獣を抱く貴婦人」は、1505-06年の作品。ジュリア・ファルネーゼ(Giulia Farnese)の肖像という説もあるが、スフォルツァの宝飾を身に付けているので、アンナ・マリーア・スフォルツァかと。

記事 スフォルツァ家の首飾り
TB ありがとうございます。

そしてなぜか二人とも1497年に亡くなっている。そうするとラファエロの作品は、アンナ・マリーア・スフォルツァの死後の作品ということになる。追悼?

Cristoforo Solari, Funerary statues of Ludovico il Moro and Beatrice d’Este, begun 1497

スフォルツァ家の祭壇画 「聖母子とスフォルツァ家の人々」
クリストフォロ・ソラーリ(Cristoforo Solari) ブレラ美術館所蔵


ルドヴィーコ・スフォルツァの4人が描かれている。ルドヴィーコ・スフォルツァ、ベアトリーチェ・デステ、第1子マッシミリアーノ、第2子フランチェスコ2世だ。

ここに描かれたベアトリーチェ・デステにもっとも似ていると思ったのがバルトロメオ・ヴェネト(Bartolomeo Veneto)の作品。

1500 ca. Beatrice dEste by Bartolomeo Veneto

ベアトリーチェ・デステ (Beatrice d'Este) 1500
by Bartolomeo Veneto


この作品も、死後の肖像画になる。第3子を死産しその後亡くなった。ベアトリーチェもアンナも暗殺されたのだろうか。偶然の早い死なのだろうか。


Massimiliano Sforza, c. 1513

Massimiliano Sforza
by Bartolomeo Veneto


Francesco II Sforza

Francesco II Sforza
by Bartolomeo Veneto


マッシミリアーノ、フランチェスコ2世も、フランチェスコ・スフォルツァの残したものをフランスに奪われてしまった。

フランソワ1世の時代。のちのカトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世に嫁ぐ。スフォルツァ家ではなくメディチ家と婚姻を結んだ。

ご存知のように、ルドヴィーコ・イル・モーロはレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519)の初期のパトロンでもある。


最後の晩餐(1495-98)は、ルドヴィーコ・イル・モーロの依頼。なんと中央のキリストがルドヴィーコ・イル・モーロ。ユダじゃないんだ。ここには従兄弟ロベルト・ダ・サンセヴェリーノの身内も描かれているらしい。



白貂を抱く貴婦人 la Dama con l'ermellino
チェチーリア・ガッレラーニ (Cecilia Gallerani)
by Leonardo da Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ


ルドヴィーコ・イル・モーロの愛人。1491年チェーザレ(Cesare)を産んだあと、ベルガミーノ伯ルドヴィーコ・ディ・ブランビッラと結婚。チェーザレ(Cesare)は1512年に21歳で亡くなり、ルドヴィーコ・ディ・ブランビッラは、それから数年ののちに死亡。

そのあとの愛人ルクレツィア・クリヴェッリは三人産んでいる。

La Belle Ferroniere

ミラノの貴婦人の肖像画 La Belle Ferroniere
ルクレツィア・クリヴェッリ(Lucrezia Crivelli)
by Leonardo da Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ



ラファエロの作品で有名な「 マッダレーナ・ドーニの肖像」と「アーニョロ・ドーニの肖像」だが、妻マッダレーナ・ドーニが身に着けている首飾りはスフォルツァ家の女性がつけるあの「大きな真珠が黄金の花弁から顔をのぞかせる美しい首飾りで、そこかしこにまばゆい宝石がちりばめられている。美しいエメラルドとルビー、洋梨型の真珠も目を惹く」ものだ。



気になるのは石原宏氏の解説に、「純潔の象徴である一角獣のついたブローチ」とある。それはこのペンダントヘッドを指すんだろうか?よく見るとそんなモチーフに見える。


さて、ルクレツィア・クリヴェッリの娘ボナは、このラファエロとの肖像画と縁がある。

Anna Maria Sforza

一角獣を抱く貴婦人 Ritratto di dama con liocorno
(Portrait de Madalena Strozzi マッダレーナ・ドーニのこと)
(Bona Sforza ボナ・スフォルツァ)
次女 アンナ・マリーア・スフォルツァ  Anna Maria Sforza ?
by Raffaello Santi ラファエロ


マッダレーナ・ドーニは、マッダレーナ・ストロッツィ(Maddalena Strozzi)とも、ルクレツィア・クリヴェッリ(Lucrezia Crivelli)とルドヴィーコ・スフォルツァ (Ludovico Sforza)の娘のボナ・スフォルツァ(Bona Sforza)がマッダレーナと呼ばれていたともいう。

注意 ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの娘ボナ・スフォルツァではありません。

アーニョロ・ドーニ(Agnolo Doni)は、チェチーリア・ガッレラーニ (Cecilia Gallerani)とルドヴィーコ・ディ・ブランビッラ(Lodovico Bergamini)の息子とも言われている。

Gian Paolo Sforza

ジャン・パウロ・スフォルツァ(Gian Paolo Sforza)
by Bartolomeo Veneto


ルクレツィアの息子ジャン・パウロ・スフォルツァはガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの息子カルロ・スフォルツァとビアンカ・シモネッタの子イッポーリタ(Ippolita Sforza)とアレッサンドロ・ベンティヴォーリオ(Alessandro Bentivoglio)の娘で、ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ(Violante Bentivoglio)と結婚。



ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ(Violante Bentivoglio)


彼女の母イッポーリタ(Ippolita Sforza)の肖像画はアンナ・マリーア・スフォルツァかベアトリーチェ・デステ かわからない肖像画にそっくり。



ヴィオランテの母イッポーリタ・スフォルツァ
注:イッポーリタ・マリーア・スフォルツァではない


彼女もスフォルツァ家の宝石、首飾りを身に付けている。さてルクレツィアとルドヴィーコ・イル・モーロの三人目は娘。ちょっと可哀想な顔だちだ。父親似というところか。




イサベラ・スフォルツァ(Isabella Sforza)


ルドヴィーコ・イル・モーロの愛人だったチェチーリアとルドヴィーコ・ディ・ブランビッラの息子フランチェスコ(Francesco Carminati Bergamini )に嫁入りした。
 
そして三人目の愛人ベルナルディーナ・デ・コラデス(Bernardina de Corradis)との間にビアンカ・スフォルツァ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「美しき姫君」のモデル ビアンカ・スフォルツァ(Bianca Sforza)。


右のビアンカ (1482-1496)の肖像画はジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ(Giovanni Antonio Boltraffio)だった。「若い女性の肖像画 Portrait of a Young Woman」(ca. 1490.)にあたる。結婚前の肖像画?手袋を握っている。愛人ルクレツィアの娘イサベラの肖像画も同様だ。愛人の子には手袋を?なのか・・・。

アンブロジアーナ美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ作「音楽家の肖像 Ritoratto di musico」(left)は未完成。1490年頃に描かれたらしい。

1490年はガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの息子ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ(Gian Galeazzo Sforza)とイザベラ・ダラゴーナ(Isabella d'Aragona)の結婚の年。レオナルドはこの結婚式の演出を手がけた。だから未完成?

イル・モーロだとか、手に楽譜を持っているから聖歌楽隊長フランキーノ・ガッフリオと言われてきたが、この「音楽家の肖像 Ritoratto di musico」をガレアッツォ・サンセヴェリーノ(Galeazzo Sanseverino)の肖像画としてみると、彼が30歳の頃。



Ritratto di una Sforza Bella principessa
注:ビアンカ・マリーアと混同しないでください


ガレアッツォ・サンセヴェリーノ(Galeazzo Sanseverino 1460 - 1525)は、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの従兄弟ロベルト・ダ・サンセヴェリーノ(Roberto da Sanseverino)の息子であり、父はイル・モーロと手を結んでいたためが、息子とイル・モーロと愛人の子ビアンカを結婚させた。

ビアンカは結婚して数ヶ月後に亡くなった。イル・モーロが縁組させたアンナ・マリーア・スフォルツァ、ベアトリーチェ・デステ、そしてこのビアンカ・スフォルツァは、1496-97年の間に三人とも亡くなっている。

過去記事  美しき姫君 レオナルド・ダ・ヴィンチ

長くなったので、続きはまた別の日に。

イル・モーロと愛人(名前不明)の子にマッダレーナ・スフォルツァ(Maddalena Sforza)がいる。1480年に生まれ、1520年に亡くなった。その彼女の肖像画がラファエロの作品だった。一応モデルは不明とされている作品だけど。

だが、手に描かれた指輪は、マッダレーナ・ドーニ(Maddalena Doni)の肖像画に良く似ている。

Raffaello Sanzio Santi : The Mute Woman 1507, Oil on wood, 64 x 48 cm. Galleria Nazionale delle Marche

若い婦人の肖像(ラ・ムータ la muta) 1507年
マッダレーナ・スフォルツァ(Maddalena Sforza)
マルケ国立美術館所蔵(ウルビーノ)
by Raffaello Santi ラファエロ

La Donna Gravida

妊婦の肖像(ラ・グラーヴィダ La Gravida) 1505-06
マッダレーナ・スフォルツァ Maddalena Sforza
(マッダレーナ・ドーニ Maddalena Doni)
ピッティ美術館所蔵(フィレンツェ)
by Raffaello Santi ラファエロ



マッダレーナ・スフォルツァ Maddalena Sforza 1513


ラファエロは、ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ(Gian Galeazzo Sforza)と結婚したイザベラ・ダラゴーナ(Isabella d'Aragona)も描いているので、スフォルツァ家の肖像画を描いていてもおかしくない。ただ1509年からローマに長期滞在していた。

なによりマッダレーナ・ドーニって誰なんだろう。イタリアではマッダレーナ・ストロッツィ(Maddalena Strozzi)としている「ラ・グラーヴィダ La Gravida」だけど。

調べてみたけど、ストロッツィ家(Strozzi)に、生年に該当するマッダレーナっていないんだけどね。

The Strozzi family tree

もしかして庶子?
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ジョヴァンニ・アンブロージオ・デ・ プレディス(Giovanni Ambrogio de Predis )の描いたビアンカ・マリーア・スフォルツァ(Bianca Maria Sforz)です。sai さんの記事「ロレンツォ・メディチとスフォルツァ家」を読んで、感動しました。画家の違う作品から同じ宝
| KOBAKO | 2011/05/12 7:03 PM |

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