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Karl Lagerfeld

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Karl×Lenôtre
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FENDI
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ドンペリ Rose Vintage 1996
Dom Perignon Oenotheque 1993
Moët & Chandon×Karl Lagerfeld

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ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

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2010年 Karl Lagerfeld, parcours de travail

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ルソーの妄想・空想・瞑想
作家 / SAI

明けましておめでとうございます。新年の書初めは「ルソー」から。

ルソーは自然賛美者だ。だがそれは「自然に帰れ」、「自然回帰」というものと違う。 彼の自然とは「自然人」、「自然状態」を指す思想で、ルソーの「人間不平等起源論」を読めば理解できる。

つまりその自然とは簡略化して平等と自由のことだ。自然賛美とは異なる思想なんだ。

ルソーが「ジュリ、あるいは新エロイーズ」を1761年に発表した。当時は田舎や山については全く知られていなかった。 でも17世紀の田園の家は貴族や上流社会の別荘であり、隠居の場所でもあった。

ここにルソーの「自然趣味」が顔を出すわけ。

ルソーの「新エロイーズ」以降、人々はこうした自然とめぐり合うための「旅」をはじめた。つまり旅行記なんかが出版されたから。

「新エロイーズ」は「エミール」と同じく小説だ。「エミール」のほうが読みやすかった僕は、「新エロイーズ」がなかなか進まず学生時代から、同じところまでしか読んでいなかった。

La Nouvelle Heloise, Duchesne 1764 front1

新エロイーズの序文の扉絵 
パリのデュシェーヌ(たぶん正規の出版元となった)


ところが、楓が面白いところだけ教えてくれと言う(自分の記事のために、ヒドイよね!)。長編なんだよ、コレ。

「えっ!これいつの話?」と繰り返しページをパラパラめくる作業。そしてさらに邦訳されているもののほかに、原作を読まないといけない。

こんな馬鹿馬鹿しい読書がどこにあるんだ!4巻を読破した人はいるのだろうか。僕は決してこの「新エロイーズ」には、そんな読み方はしない。

それで誰か面白くなる山場を教えてくれないかとネットで検索した。残念な結果だった。
それでクリスマスから新年になってとばし読みをした。ホント、書簡形式がイラッとさせる。

このルソーの新エロイーズはその人の教養で読み方は変わるだろう。恋愛小説で読む人、経済思想で読む人、哲学で読む人、フランス文学として読む人で違うから。僕は物語も思想も教養も関係なく、ルソーの「自然趣味」だけで遊んだ。

もともと論理学者ピエール・アベラール(1079-1142)とエロイーズ・アルジャントゥイユ(1101-64)の実話のロマンスを平民のサン=プルーと貴族の娘ジュリに置き換えたものだ。このアベラール、エロイーズとの恋愛で、彼女の叔父に局部を切り取られている。恐ろしい。

Sophie dHoudetot et Madame dEpinay à lErmitage

エピネー夫人とウードト夫人


ここにルソーとヴァラン夫人(ヴィラン男爵夫人と同じ)を重ねてしまう。ルソーの家庭教師時代、ヴァラン夫人との生活を終わりにして、パリに向かったルソーとサン=プルーが重なる。そしてラルナージュ夫人との官能的愛、ウードト夫人への恋。

「告白」によれば哲学者グリムがルソーの庇護者であるエピネー夫人の愛を獲得するために、ルソーを陥れたとあるが、妄想の告白かもしれない。だがそれとともにエピネー夫人ともその義妹ウードト夫人との恋も終わる。

それでとにかく「新エロイーズ」の「メーユリ巡礼」までようやくたどり着いた。ルソーの論文や社会契約論の方がマシ。

長編だから、「自然」でよく引用されている3つの部分だけをトピックした。恋愛小説だけれど恋愛抜き。欲望についても無視。物語のあらすじや人物像もなしで。

まず「シャレー」(酪農小屋)での逢引の失敗、ジュリの部屋での快楽の一夜を経て、ジュリはヴォルマールと結婚することになり、サン=プルーは旅に出る。

そして後半は、7年ぶりに帰ってきたサン=プルーは、ヴォルマール夫妻の子供たちの家庭教師となる。まるでフランス革命時のカミーユ・デムーランとリシュルみたいだ。

結婚したジュリとヴォルマールが営むクラランの農場。サン=プルーがそこで感じたことは何か。


クラランの農園  Clarens




Julie embrasse Saint-Preux (Nouvelle Heloise, Londres [1781] fig1) - Marillier

サン=プルーを抱擁するジュリ


「庭園が菜園となって、樹墻に取揃え、雄鶏のときの声、家畜は鳴き、荷車の音、田園の食事、農園の労働者たち、それからあらゆる農具、それらがこの田舎の家を今までよりも歓喜と安楽に溢れている。」(引用、要約)

使用人には楽しみを与えるために、ジュリはいくらかの報酬も時々に与える。「自然の意図」だ。これは主従関係の信頼と尊敬が生まれる。だからこそ、陽気で歓喜に溢れ、安楽がある。

ここにルソーの思想の何があるかというと「自然の秩序」である。

たとえば葡萄の収穫と祝祭での音楽と歌声は、ジュリの夫ヴォルマールが考える「労働こそが人間のためにできている」という表われだ。だからこそ祝祭で喜び合うことができる。

つまりクラランの田舎の田園生活は、人の労働の喜びと自然が一致しているからこそ何もかも美しく見えるんだ。ここでは自然と人間と労働が論じられている。

ヴォルマール夫妻の農園では労働者は平等でありながら、身分をわきまえているところが面白い。これは「社会契約論」の人民の一般意思であり、ルソーの理想郷(ユートピア)だ。


ジュリの果樹園 「エリゼの庭」 L’Elisée


Jean-Frédéric Schall (1752 ? 1825) et sculptée par Augustin Claude Simon Legrand (1765 - 1815). Elle est intitulée :  L’Elisée  et illustre la Lettre XI De St Preux à Milord Edouard de la Nouvelle Héloise de J. J. Rousseau

エリゼの庭のヴォルマール一家、クレール、サン=プルー


そして次。楓の知りたかったところだと思うけど、彼女の記事に間に合わなかった。(笑)

野趣溢れるジュリの果樹園。これがイギリス式庭園の「ありのままの自然」とされる「エリゼの庭園」だけれど、「ありのままの自然に見える庭園」なんだ。

「究極の人工による自然の回復」で、人工の庭を人工で自然に回復するということだ。

サン=プルーが「ありのままの自然」の美しさと見間違えるのは、その人為的なものがすっかり消えるまで人為的につくられたからだ。いわゆるピトレスク趣味。

面白いのがサン=プルーは、この「エリゼの庭」の賞賛を自然そのものへ奉じるのだけど、ジュリはその庭園の賞賛はジュリ自身にあると言う。しかも「エリゼ」と名づけたのもジュリだしね。

このルソーの「ありのままの自然」に批判も多い。

一見自然に見えるものの、そこに生息しない植物や、土地柄あるわけがない洞窟や岩、森はもっとも不自然だという見解だ。「自然の秩序」が不自然だということだ。

物語的には、ここでサン=プルーは心地よい夢想にひたるわけだ。この「エリゼの瞑想」を、サン=プルーは「正しい瞑想をすることは悪人の決して知ることのない幸福だ」という言葉を残した。これは「一人でいるのは悪人だけ」というディドロへの答えになる。


 ラ・メーユリー (ラ・メイユリー) la Meillerie



Claire console Julie (La Nouvelle Heloise, OC Furne 1837 fig3) - Deveria

ジュリとクレール


ジュリとサン=プルーはヴォルマールによって統治された。自由意志の名のもとに。

つまり、ジュリとヴォルマール、クラランの農場の主従関係は「エリゼ庭」のように、人為的な統治が人為的に見えずに成立している。

ジュリには平和で幸せな家庭という報酬、使用人には楽しみのための報酬だ。その報酬とはジュリの場合は過去の情熱から貞淑な妻という義務を覚え、母性を覚える。

彼女の自由意志による貞淑な妻、母性はヴォルマールの家庭を統治している力のためだ。だからサン=プルーとの「肉欲」は「理性」に変わる。これもヴォルマールの統治の秘訣だ。

ヴォルマールの次の統治は、ジュリとサン=プルーの思い出に場所メーユリー(メイユリ)で、二人の過去と現在の違いを認識させる。

Julie et Saint-Preux a Meillerie - Wheatley 1788

ラ・メイユリーの岩に刻まれたイニシャル


氷のような険しい岸壁と深淵。この湖上で嵐にあうサン=プルー。ラ・メーユリーの岸での一息するところに、岩陰の隠れ家が再び肉欲を蘇らせる。

岩にはジュリとイニシャルがあった。

ヴォルマールの統治は、「過去と現在の相違の認識」だったはずが、二人は「変化」を認識する。

一方、ジュリはクレールがサン=プルーに恋心を抱いていることを知り、二人を結婚させようと考えていた。

ところでサン=プルーはジュリの死の夢をみる。ジュリは湖に落ちた子供を救ったあと病になり、結末の死を暗示し、その床でジュリはサン=プルーを愛していると告げ、ヴォルマールの統治に至らなかった。


ジャン=ジャック・ルソー とマルキ・ド・サド 美徳と悪徳



ルソーは実に美しい筆使いで、花々、湖、木々、荒々しさ、岩山なんかを書いている、というより描いている。引用要約はやめたので、実際に興味のある人は自分で読んで。

ちなみに、「ジュリ、あるいは新エロイーズ」という題名だけど、このルソーの「新エロイーズ」をパロディにしているのが、ラクロの危険な関係。

サド侯爵の場合は「ジュリエット物語 あるいは悪徳の栄え」、「ジュスティーヌ物語、あるいは美徳の不幸」の縮小版みたいな「悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル(ウジェニー・ド・フランヴァル)」がパロディかもと思った。

フランヴァルは若く夫人と結婚し、その間に誕生したのがユージェニー(ウジェニー)で、近親相姦をするために特別な教育をする。

SADE, Marquis de - Eugenie de Franval -Valentine Hugo 1948

悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル(ウジェニー・ド・フランヴァル)
マルキ・ド・サド サド侯爵


ユージェニーが16歳くらいで、はじめて夫人はその事実を知る。このフランヴァルとユージェニーは、フランヴァル夫人に恋人をけしかけるが、夫人の美徳で思うようにならない。

結末は夫人の死である。そうして司教の前でわざと自殺をするフランヴァル。その血をわざと夫人の遺体だったか棺だったかに浴びせるように。自殺と美徳の夫人に対する冒涜の結末だ。

死んでから一緒になるというひとつの美談が「アベラールとエロイーズ」の結末で、「新エロイーズ」の結末はジュリの最後の愛の告白に死後に結ばれるような暗示、そしてサドの「悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル」はフランヴァル夫人の遺体に向けてフランヴァルの自殺。

サドの記事でも書いたが、悪徳や美徳を中心に二人は書いている。対極の二人だ。もっともサドはサディズムの語源、ルソーはマゾヒズムな趣味を持っていたからね、ちょうどいい対極になった。


 サドのサディズムとルソーのマゾヒズム



さて究極の対極。サドのサディズムとルソーのマゾヒズム。どちらも性倒錯者でよいと思う。

サド侯爵については過去記事を読んでください。
過去記事 「サド侯爵 マルキ・ド・サド

サド侯爵の場合もルソーの場合も事実である。僕はサド侯爵では程度の問題で、これはやはり有罪となるべきようなものだと書いた。死刑判決は二度。どちらも悪運が強く免れている。ただ、死刑になるかどうかは別問題。

ルソーはシトワイヤン(市民)に属していたが下層市民である。

母の死、父の失踪で、ルソーははじめて田園生活を経験する。告白では自然の趣味にめざめた。

「村ですごした二年間にわたしのローマかぶれしたいかめしさはやわらぎ、ふたたび幼児の状態にかえった。」

1722年、10歳から1724年の12歳の頃だ。

この少年時代にルソーはまったくの無実でとがめられたことがあった。はじめて他人を、そして社会を意識したのは、その怒りだろう。壊した櫛はルソーではない。だが彼は怒りを昇華に置き換えることができなかった。

従兄弟と新教のランベルシエ牧師に預けられた頃で、ランベルシエ嬢の櫛が壊れていた。彼女はルソーを激しく折檻する。これがルソーのマゾヒズムのはじまりで、露出すれば誰かに折檻してもらえるという説がある。

僕的にみれば、牧師もランベルシエも、ルソーを大切にしてくれていたのではないかと思う。だからまさか、自分が櫛を壊したと疑われるとは思っていなかったのだろう。

Rousseau With Madame Dupin Confessions Aldus-Maurice Leloir

ルソーとデュパン夫人


父性と母性を二人に感じていたのではないか。それがこの仕打ちに対しての復讐が、露出癖に発展したのかとも考えた。

1725年の13歳から時計彫刻師アベル・デュコマンの弟子入りが決まった。酷使は虐待の恐怖を植えつけたのかもしれない。(折檻にマゾヒズムを感じるのは女性だけだったのか?)

1726年14歳のルソーは雑書の乱読、孤独癖、空想癖が根付いていた。

このあたりがルソーの露出癖、強姦未遂で逮捕という時代ではないだろうか。

1728年頃、ルソー16歳の「リボン事件」のことだ。「薔薇色と銀のリボン」はヴェルチェリス夫人の遺品だった。それを女の関心を引こうと盗んでいる。

ルソーは女性だけではなく、人との関わりがお粗末だ。

彼は悪習や程度の悪い書物、そしてプルタルコス、プラトンを読み、放浪の生活、自己陶冶、生活体験を積んだ準備期間をへて思想家になった人物である。

浮浪者のルソーを拾ったのはヴァラン夫人だった。「リボン事件」が起こる少し前のことだ。彼女に修道院に入れられ、洗礼を受ける。修道院を出たあといくつかの職を転々とし、ヴェルチェリス夫人、そしてグーヴォン伯爵の息子の司祭の秘書を努める。

この1728年16歳から1732年の20歳までの4年間に、神学校、聖歌隊の音楽学校、放浪、音楽教師、山師(詐欺師)の秘書などを経験した。

浪費家で淫蕩家で野心家であったヴァラン夫人のもとで、ロック、デカルト、マールブランシュ、キケロ、カトー、モンテーニュ、パスカル。フェヌロン、そしてヴォルテールに及んでいく。

Francoise-Louise de Warens (1699-1762)

ヴァラン(ヴァランス)夫人


のちにこのヴォルテールと競うことになるとは思ってもいなかっただろう。

このルソーもヴァラン夫人に幻想を抱いてしまう。「ヴァラン夫人の果樹園」がそうだ。美化された生活と、美と知恵、詩と徳、高雅な趣味、悦楽。これが僕的に「新エロイーズ」の「エリゼの庭」を連想させるのだが。

1733年、21歳のルソーはヴァラン夫人の愛人の一人となる。

1735、あるいは1736年にヴァラン夫人とシャルメットに滞在し、哲学、数学、ラテン語などを教育される。

1737年 ラルナージュ夫人と官能的な恋をする。

30を過ぎてルソーはヴァラン夫人の元を去り、パリの社交界を目指した。1742年のことだ。こうしてディドロダランベールとも知り合うようになる。

2011年 ディドロの新記事 remove 「フランス革命200年 河野健二

さてルソーだが、彼のマゾヒズムは野暮である。サドのサディズムは洗練されている。

ルソーは山々に囲まれた酪農小屋や岩陰のあるその田舎のとある中庭で露出してきたのだろう。それが「新エロイーズ」のシャレー、 ラ・メーユリーの逢引場所になったのかも。

そしてサドの方は城館にバッカス祭と称して、演出を凝らし、まるで戯曲の場面のように鞭打ったのだろう。

貴族と下層の市民の違いである。そして貴族のサドは、その事件性とスケールの大きさから告発され、下層市民は言い逃れで済む小事件として逮捕にも至らなかった。


ヴォルテール ルソーの誹謗

Voltaire with Frederick the Great of Prussia

フリードリッヒ2世とヴォルテール


フランス革命時の人物伝には「中傷と迫害」はつきものである。とサド侯爵のところでも書いた。当のルソーはというと、あの宿敵ヴォルテールの暴露だ。

ホント、ヴォルテールはデリカシーがないよ。揶揄のセンスよりも意地悪で品がない。ルソーの「自然状態、自然人」をヴォルテールは「自然に帰れ」といわれるもとネタを知っている人も多いでしょ。

◆「あなたの本を読むと四つ足で歩きたくなったが、残念ながらその習慣は50年来廃止している。」

◆「新聞はルソーを王の像、王妃のしま馬と思うだろう。信徒とともに草飼いし、森でどんぐりを食べさせよ。」

ルソーは「森へ帰って熊といっしょに生活せよ、というのが論法だと思っている」と苦言を呈した。

◆「誰も理解できないルソーだけの宗教をつくるがいい。」

これさ、ルソーかぶれのロベスピエールがやっちゃったね。今度、別記事で。

◆「ルソーはディオゲネスの犬と不協和音の蛇との間に生まれた、彼らの直系子孫である。」

◆「餌をくれる人に噛み付く猿の方が、ルソーよりはるかに人間的で理性的である。」

◆「ルソーのフュームへの手紙をみると、イギリスで精神病院のベッドラムが病室を用意してくれなかったと嘆いている。あそこに暮らせるなら、さぞかし喜んだことだろうに。」

◆「ルソーは哲学者として叙級を受けたが直ちに下品に格下げするべきだ。」

◆「ロンドンのバーソロミュー フェアにでも出品して、ルソーを1シリングで売りとばせばよい。」

フュームとルソーの仲たがいから、ずっとこんな調子だ。こんなことを言うヴォルテールも下品に格下げだね。風刺が効いた揶揄が思い浮かばなかったんだ。

僕ならアリストテレスの「国家は自然によるものの一つであり、そして人間は自然によって国家的動物(ポリス的動物)である。」をもじるかも。

Jean-Jacques Rousseau with Therese Levasseur in Paris

テレーズとルソー


さて、ここまでは中傷の数々を紹介した。次は。

1745年、下宿の女中テレーズを愛人とし、10年間で5人の子供を産ませ、5人とも孤児院に送った。(wiki)

同じくwikiにあるのが「知的障害者に性的虐待を行い妊娠させ次々に捨てるなど」と重複されて書かれている。僕が知っているのはテレーズの子供たちだが、それと同じことを指しているのだろうか。

百科全書のダランベールも孤児院に捨てられた一人だ。

当時は乳母の時代で、捨て子ではないけれど、修道院なんかで養育させる貴族達も多い。この部分でルソーを正常な精神構造ではないとは断定できない。

乳母を雇い、乳母の子も別な乳母の元で暮らすなどの親子関係だった。貧しいものだけではなく貴族や市民の望まれない子も捨て子になる時代だった。

ヨーロッパが現代の日本のような家族団欒、子育ては母乳でという時代はもっとずっとあとだ。

日本もそうだ。森や野原に捨て動物に食べられる場合もあるし、寺や神社の境内に捨て子する時代があった。しかも年老いた親を捨てる「姥捨て山」もあったでしょ。どちらも貧しくて。

だが、ルソーの場合はそんなに貧しいわけでもない。最初の子が捨て子にされたのはルソーが不在の時である。

これはテレーズと産婆の間で取り決めたことかもしれない。それにしても第3子以降も続くとは、なんと不注意な男だろう、ルソーってさ。

ヴォルテール曰く
「孤児院に捨て子をしたのは、かの有名な子育ての書(エミール)を書いたものだとは。」

こういうときこそヴォルテール、もっと粋に言えば?「捨て子の理由は、四つ足で育て、自然に帰すためである」とかさ。

過去記事 
ヴォルテールの遺骸


ルソーの迫害と中傷、妄想の年表史


Jean-Jacques Rousseau, Genève 1712 ? Ermenonville 1778 (Vitam Impendere Vero) by Henri Gréber 1908

ジャン=ジャック・ルソー、
ジュネーヴ1712年−エルムノンヴィル1778年


1762年 ソルボンヌ神学部から告発され、エミールが焚書。ジュネーヴではこれに社会契約論も焚書。逮捕令が下る。プロシア大公領ヌーシャテルのモチェで、スコットランド貴族の庇護を受け、プロシアのフリードリッヒ2世の領内で隠居。

1764年 ヴォルテールの匿名の「市民の見解」で、ルソーの捨て子事件を暴露。

1765年 ジュネーヴで「山からの手紙」が禁書。パリで焚書。モチェで不和があり投石を受け、サン・ピエール島(孤独な散歩者の夢想がここ)へ移る。

1766年 哲学者フュームとイギリスに向かう。フュームと不和。フュームはこの一件を「争論に関する簡潔な報告」を発表。ヴォルテールはルソー誹謗の「パンソフ博士の手紙」を公表。この頃ルソーは迫害の妄想。

1767年 ミラボーのムードンの城館、コンチ公のトリーの城館に住む。女中テレーズを妹として暮らす。

1768年 被害妄想で逃走先のブールゴアンでテレーズと正式に結婚。

1769年 モンカンの農場で暮らす。

1770年 パリ オテル・ド・サン・テスプリに住居を定める。

1771年 エピネー夫人の策動で警察に干渉される。

1772年 迫害の偏執観念に悩まされる。

1774年 「対話」の原稿を神の手に委ねるためノートル・ダム聖堂に置くことを企てるが失敗。

1777年 生活苦。

1778年 エルムノンヴィルのジラルダン侯爵の領地で隠居。この年7月ルソー、66歳で死亡。5ヶ月前の2月、83歳でヴォルテール死亡。ルソーはジラルダン侯爵の庭園ポプラ島に埋葬された。この写真は楓の「
プチ・トリアノン」から。

そして1794年。


Un

パンテオンの偉人の墓に行くルソーとヴォルテール


1794年、フランス革命後にパリのパンテオンに移される。ヴォルテールの隣に並んで埋葬。


記事 パンテオンにおけるマラーとジャン=ジャック・ルソーとの大論争

 

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新年あけましておめでとうございます。今年はプチ・トリアノンが書初めです。 プチ・トリアノン宮  (Petit Trianon)私の憧れるプチ・トリアノンは、王妃が「ルソーの思想」を反映したという説があり、少し驚いています。「ルソーの思想」ではなく、「ピトレスク趣味
| Life Style Concierge | 2011/01/06 10:17 PM |

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