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Karl Lagerfeld

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サド侯爵 マルキ・ド・サド
book / SAI
ボードレールが「悪を明らかにしようと思ったら常にサドを、ということはつまり自然人にたちもどらなければならない」と述べている。

この当時のジャン・ジャック・ルソーによる「自然状態、自然人」を「自然に帰れ」と、サドはを誇示し、それを捩る。

ルソーとサドの「自然に帰れ(ルソーは提唱していない)」と一般的に言われている言葉は、実際の「自然状態、自然人」だが、僕的な解釈で伝えると、ルソーを善であり道徳的であるとすれば、サドのそれは悪であり、不道徳だ。

けれど人間には善と悪、道徳と不道徳がある。

サド(1740-1814)は残酷で、負荷で、いわゆるアブノーマル。18世紀のフランスで、サドが書いたものは禁書で、19世紀の世紀末から20世紀のジャン・コクトーや、アポリネール、ボードレールが彼の禁書を読んだ。「サドは、エゴイズムと不正と不幸の時を、どん底まで生きた。」とボーヴォワールは言う。

LŒuvre du marquis de Sade, Guillaume Appolinaire

ギョーム・アポリネール「サド侯爵の作品」から
「サド侯爵、王政復古の幻想画」1909年


アポリネールは「サド侯爵の作品」(1909年)で「サドの粗相の多くは当時の人々を驚かしショックを与えたが、それは今でも新しい。19世紀には全然その価値を認められなかったが、この人は20世紀を支配するだろう。」と述べている。

何の知識も教養もない僕が、彼の小説を通して発見する彼や彼の作品は、「シュール」だ。

自己愛、偏屈、他人を顧みない自己中毒者。性の倒錯者。

僕にとってのサドは不愉快な人物で、その作品も不愉快だ。けれど、無知な好奇心での読書歴がある。

美徳が決して幸せを運んでくるのではない。悪徳こそ、幸せを運んでくるんだ!というサドの大義名分が作品になったんだ。

だから彼の作品を、いまの日本人が読んでも、「心が折れる」わけじゃない。

だって、サドがしてきた性倒錯は、小説の話ではなく、現代ではお金を出して性の娯楽として存在し続けているし、ポルノグラフティーが溢れているでしょ。サディズムの語源も知らない人もいない。

だが、それはサドからはじまった性倒錯ではなく、サドが生きていた時代、ルイ15世からフランス革命時代の性の華やかさと人の残虐な死を知っているからだ。残虐な死、そして性はあまりにも原始的な時代から変わらない。

ジル・ド・レイ(Gilles de Rais)、シャルル・ド・ブルボン=コンデ(シャロレー伯)などの命を犠牲にした趣味は多くある。

その当時の人間の汚れと穢れ、残虐性に比べれば、どうってことないとサドは思ったろう。そしてフランスの国自体が腐敗していたし。

Leonore retiree de son faux cercueil

サド 「アリーヌとヴァルクールあるいは哲学小説」


集団の残虐性の時代だ。

しかも生活も進歩していない時代。MAKI さんの言葉を借りれば、フランスは不衛生で室内に排泄物があるのが当たり前でヴェルサイユでさえ排他施設がなく、入浴の習慣もなく、ノミやシラミを身につけ、垢や汗にまみれた悪臭を放っていた。

記事
マリー・アントワネットの子ども達 18世紀の子供達

金のある貴族や王族は、そんな身体に鬘や髪粉、香水に、豪華な服を着込み誤魔化していた。

この当時、清潔に入浴していたのは
マリー・アントワネットくらいだろうか。薬湯はマラーだね。

そんな暮らしの中からの民衆が広場で切られた首に歓声をあげる姿や、その処刑台の下の首を切られた死体が積み重なる光景をみれば、それこそ「人かと見紛う衝撃」を受けるだろう。サドも革命下でこの光景を見て、集団サディズムを学んだのだ。

僕はサドの「ジュリエット物語 あるいは悪徳の栄え」で、いきり立った男性性器を切り落とす場面に衝撃を受けている。大学生の頃だが、その場面は二度と読んではいない。あー、恐ろしい。

ジュリエットの犠牲となる貧しい幼児たちは、18世紀のフランスでは、奴隷商人に売られ、運がよければ奴隷として使用人、あるいは見世物小屋、あるいは陵辱の対象、あるいは儀式の生贄となった。

運良く奴隷商人の元へ送られなかった子ども達は、男子は戦争へ駆り立てられ、女子は娼婦となる。

そうした幼い娼婦と交わることができるのは、金を持っている身分のものだ。

Initiation de Juliette au couvent de Panthemont

サド ジュリエット物語 悪徳の栄え
パンテモン女子修道院の挿絵


さらに聖職者同士の交わりや、告解にくる女性達との交わり。

何もサドの小説が、ことさらアブノーマルではなく、誰でもこっそりと隠していた趣味や、死罪になるであろう行為を、神に対しては後ろめたさを感じていた。それをマルキ・ド・サドは堂々と罪を暴かれ、それを正当化し、神に対してその神を殺したいと思っていた。

つまり彼のアブノーマルな点は、「神を殺す」という信念だ。

同じことをしている貴族達からの獄中への支援もないサドの性倒錯の罪に、サドは憤慨するのが当たり前なのだ。

サドのプロヴァンスの居城で、15歳の未成熟な少女たちの「性のバッカス祭」がおこなわれた。このとき司直の手にわたった「ジュスティーヌ」と呼ばれた少女は、サドを崇拝していたらしい。

1768年の4月、アルクイユのスキャンダル(ケレル事件、あるいはアルクイユ事件)は、サドの妾宅でおこなわれた。引き裂かれた服を着たローズ・ケレルは、侯爵に数回、鞭で打たれたという。殺されると思ったこのローズ・ケレルは告解をすませたいと哀願したが、サド侯爵はそれは自分が受けてやると言ったそうだ。

サドは5つの妾宅で、娼婦達を鞭打っていた。ローズ・ケレルは娼婦の習慣を知らなかった。当たり前だけど。そうして告訴したのである。

ポンパドゥール夫人が牛耳ったという鹿の園に手引きされた女達と放蕩三昧のルイ15世も、このサドの鞭打ち事件には怒りをあらわした。なんといっても復活祭の日曜日の出来事だ。

モーリス・エーヌによれば「近代の娼家の拷問室ではこの記録にあるような(当時の公式記述書のこと)光景は日常見られるもので、告訴などを考えない。」と指摘している。

サドはソーミュールの城に拘留、ピエール・アンシーズ要塞からパリのコンシェルジェリー、ピエール・アンシーズ要塞と転々し、事件から半年後に釈放。


Anne-Prospère de Launey, chanoinesse séculière chez les bénédictines, jeune belle-sœur de dix-neuf ans du marquis de Sade avec lequel elle aura une liaison violente et passionnée


ルネの妹 修道院当時のアンヌ、サドの愛人



1771年からラ・コストの居城で過ごす。ここでは、贅沢な食事、祝宴、舞踏会、芝居、妻ルネの妹アンヌとの恋愛と優雅な絹服で、謳歌していた。マリー・アントワネットとルイ16世の結婚式の翌年だ。

この官能の饗宴の日々の浪費が重なり、金の都合をつけるため、サドは翌年の1772年にマルセイユに行く。

ここでマルセイユ事件が起きた。

4人の娼婦に九尾の猫鞭。さらにサド自身が打たれる。そして水晶の器から班猫を取り出した。性欲の媚薬だ。サドと従僕のソドミーがはじまる。死罪になる男色行為。娼婦らはヴァユーズとしてそれを観る。

この性欲の媚薬を取りすぎた娼婦が衰弱し、医者を呼ぶハメになった。これが毒殺未遂と扱われる。そしてソドミーの一件も明るみになる。

さて逃亡したサドが不在のまま、死刑判決が言い渡される。義母モントルイユ夫人によってサルディニア王に交渉。サドはここでミオラン要塞に送られた。

1773年に脱獄し、ラ・コストに戻り、1775年にあの性のバッカス祭、「少女のスキャンダル」を起こしたわけだ。ちょうどルイ16世の即位した年になる。

義理妹アンヌとの逃避行はイタリアだった。W.レニッヒ著、飯塚信雄訳 「サド」では、この逃避行が当時のイタリアの地理、風俗、そして美術品がよく描かれているというのが、「ジュリエット物語」だという。

紀行文学の形式のように、イタリア諸国のスキャンダルや犯罪もこの作品に織り込まれている。

さて、三島由紀夫の作品にもなったサド侯爵夫人。アンヌの姉ルネはどういう女だったのだろう。→ 記事 「
サド侯爵夫人ルネ・ペラジー

Manuscrit original des 120 journées de Sodome de Sade

サド 「ソドム百二十日」のオリジナル原稿 (C)wiki


バスティーユ監獄に投獄されたサド。サドはどの監獄でも優雅だったにちがいない。バスティーユでも、みな、その地位に応じた待遇を受ける。

絹のタペストリー、上等のベッド、飾られる装飾品に家具。贅沢な食事に2400リーヴル(¥240,000→¥24,000,000ほど)の支給金。屋上の散歩つきの待遇。(1 リーブルについての換算は¥1000説、¥10,000説、¥12,000とあり)

サドともあろう者が孤独を感じていたという。それは性倒錯の相手がいないからだろうか。それが妄想になり、「ジュスティーヌ」、「アリーヌとヴァルクール」、「閨房の哲学」、「司祭と臨終者の哲学」、「ソドムの百二十日、または放蕩者の学校」を書いた。

その著作が彼にとって幸福感を与えた。喜びと陶酔。

彼はバスティーユ襲撃の10日前にシャラントン精神病院に移されている。

このシャントラン精神病院には、後年にナポレオンにも「狂人」とされて、もう一度押し込まれることになる。

「ジュスティーヌ、または美徳の不幸」では、ことごとく善行のたび罠に落ちる、ジュリエットの妹ジュスティーヌ。

恐ろしい犯罪を犯そうとする医者を思いとどまらせようとすれば、逆に泥棒女の烙印を押され、秘蹟を受ければ司祭に処女を奪われ、何かを恵もうとすれば盗まれる。

なんとも不運な美徳をつむ女の話だ。

このジュスティーヌの敬虔な部分を、自分の妻ルネでも思い描いていたのではないか。その絶対的愛情をサドに注いだ献身的な妻ルネは、バスティーユ襲撃で釈放されたサドに離婚を告げる。侯爵の財産はできるだけ自分の私財にしておいたのだった。

Retrato do Marqués de Sade por Charles-Amédée-Philippe vão Loo (c. 1761)

ドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド
(Donatien Alphonse François de Sade)
チャールズ・アメデ・フィリップ・ヴァンロー


小説のなかでサド侯爵は、ヴォルテールの友人でもあった伯父ジャック・フランソワ・ポール・アルドンス(Jacques-Francois-Paul-Aldonse,1705〜1778)と5歳から5年間をともに暮らす。

放蕩と文学。この伯父の血が禍したのか、ヴォルテールの影響が強かったのか。

楓の読んでいた小説にでてくるジャック・フランソワ・ポール・アルドンスのサドの幼児期の回想では、「昆虫採集に興味を持ち、針で昆虫を刺す前に自分の手首を指していたのを何度も見た。書斎に飾っている奴隷女を鞭打つ絵を恍惚と見ていた。そして私は愛人と暮らしていたのだ。」とあったそうだ。

アベ・ド・サドといったほうがわかりやすい。実際の彼はやはり放蕩家で、イタリアの詩人、「フランチェスコ・ペトラルカの生涯」の著作がある。

小説には母親のこともあったという。望まない結婚で、ドナスィヤン(サド)が生まれたばかりに離婚ができないと嘆くところを、幼かったサドに聞かれたというストーリー。

実際にサドはフランスの一般的な家庭で育っている。つまり生んだら、また父親も母親も自分の人生を優先するということだ。

とくに王族や上流家庭では、乳母から親族、あるいは修道院などに送りこまれ、そこで育てられ教育を受けるのだ。サドは、巨大なコンデ家の城で、ルイ=ジョゼフ・ド・ブルボン、コンデ公(1736−1818年)と育てられた。(このコンデ公は、マリー・アントワネットがプロセイン国に懇願したところから「ブラウンシュヴァイクの宣言」(パリ民衆への威嚇)が発せられたが、この内容には、コンデ公も関わっている→記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月

「私は有名な王子の館に生まれ、そこに住み、その王子の家柄に私の母が属するという名誉を持っていた。」

手元に置くというのは、手元で育てるのではなく、乳母や家庭教師に育てられるのだ。だから、現代の家族関係とはまったく違う時代だということも考えなければならない。

サドは両親とほとんど会うことなく、またサドが不名誉な時期には我関せずで、妻ルネの母モントルイユ夫人が介入することになる。

Les mains libres 1937 Paul Éluard (1895-1952)  Man Ray (1890-1976)

詩画集 自由な手(Les Mains libres)のサド
ポール・エリュアール(Paul Éluard)、マン・レイ(Man Ray)共著


僕はまったくサドの趣味は理解できない。性的倒錯には個人の趣味があるので一概に僕の見解を披露するのは憚るが、それも受付ない。

サドの作品の正当な評価とはなんだろう。これを正当に評価する必要があるのだろうか。

高い評価とするならば、博学と文章力だけではないか。こうした作品をわざわざ知的な好奇心に値するという押し付けが嫌いだ。その人並みはずれた偉大さは認めるが。

彼の作品は、歴史や政治に宗教、そして当時の腐敗した趣味や、様々な伝承を知っているなら、さらに面白く読める作品だ。

澁澤龍彦の訳は、かなり自己流で、要約している。佐藤晴夫氏が全訳しているので、今度はそっちを読んでみたい。

サドはナポレオンの退位とルイ18世の即位の年に亡くなった。

恋愛の相手は数多く、ルネに三行半をたたきつけられたサドは、ケネーと暮らす。現代の中高年離婚の先駆者だったんだ、ルネ。最後の愛人マドレーヌとケネー、サドの3人で新家庭を営むことを夢見ていたという。

サディズムのわりにはロマンチストだ。

遺言には「私の死体が解剖されることを禁ずる。」とある。「神を殺す」というこのサディストは、教会と和解し、司祭も呼んだ。人間なんてこんなもん。そして、半世紀後には、サドの遺骸から頭蓋骨は転々する。遺書のなかでの望みも叶わなかった。

今回僕がこの記事を書くにあたっては、W.レニッヒ著、飯塚信雄訳 「サド」を参考にした。


僕の不思議  フランス革命とサド侯爵

 
1790年、国王一家が、昨年の10月行進で、ヴェルサイユからチュイルリー宮殿に移っている頃に、サド侯爵は釈放された。

8月と9月にコメディー・フランセーズで朗読と「ゾフィーとデフラン」が上演されたが、それっきり。1791年に「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」を初出版している。

さて貴族たちはフランス革命が起こると亡命をはじめた。ブルボン家の血筋を引くものも。

サドの母親の家系がブルボン家の血をひくため、ルイ=ジョゼフ・ド・ブルボン、コンデ公(1736−1818年)と幼い時代に過ごしたが、このルイ5世ジョゼフ (コンデ公)は1789年に亡命した。

サドは釈放されたばかりだけれど、十分に逮捕される理由がある。ブルボンの血をひく貴族だから。

でも、1792年にジャコバン派に戯曲「誘惑者」を中止させられた。この年の9月虐殺では、サドのラ・コストの城も略奪される。

9月虐殺は
記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王
記事 フランス革命 革命裁判所 検察官 フーキエ=タンヴィル

それから、なぜかピック地区の委員なんかをやるようになる。恐怖政治がピークになる1973年だ。

その年の12月に逮捕された。理由はピック地区への請願書だった。

それはロベスピエールが創り出そうとしている偶像。「徳(美徳)の礼拝」への一件らしい。翌年、ロベスピエールは最高存在の礼拝を準備し「最高存在の祭典(Etre Supreme)」を開催する。

サドは反革命派か革命派かと問うなら、革命の結果、サドの無神論が自由に表現できるわけだったから当然革命派。

だが、ロベスピエールは、無神論を貴族主義とみなして断罪する。その神にかわるものが美徳としたわけだ。アホらしい。

だからこそ、サドは革命を支持する必要がなくなった。

ここで不思議なのは、ブルボン家の血をひいて、数々のスキャンダルで騒がせたサド侯爵が、翌年の7月まで死刑が行われなかったことだ。せいぜい3〜4ヶ月。あるいは即効処刑でしょ。

マドロネット修道院に監禁だ。この時期、「レ・マドロネット監獄」は一般法の囚人用にあけられ、被拘禁者(反革命派)の一部はポール=リーブル監獄に移送された。

記事 フランス革命下の囚人たち
レ・マドロネットの囚人たちも記事にしています。

サドは悪辣な監獄には入れられなかった。ここレ・マドロネットは、王党派の俳優や作家、貴族が投獄されていた。だがすでに処刑、移送されている。

ということはサドは反革命ではなく一般法の囚人として投獄されたのだろうか。これが不思議なことである。

1794年1月レ・カルム僧院、サン・ラザール監獄と移送され、3月には療養のためピクピュス療養所に移送。裁判のやりとりがわからないが7月26日の死刑判決は病気のため延期になった。

どうして、この人死刑からは免れるのだろう。2度目の死刑宣告なのに。しかもロベスピエールの礼拝に物申したわけだから。

そのロベスピエールが先に処刑され、命拾いしたわけだ。

ルソーの思想となにかと結びつけるロベスピエール、ルソーの思想を自由自在に引用するサド侯爵。

この二人比べたら、サド侯爵のほうがいいかも。


 中傷と迫害

フランス革命時の人物伝には「中傷と迫害」はつきものである。

現実の侯爵が残忍な怪物でありえなかったことが理解される。とあるが、過度な悪ふざけを何度か演じただけで済まされるのかな?

サドの中傷はこうである。

女を丸焼きにさせて打ち興じる。・・・つまり豚の丸焼きを鞭打ちするっていうようなこと。こんな中傷を現代に再び持ち出すのが専門家や歴史家、小説家だ。

まるで新しい発見のように、実はそうではないと。

だが、アルクセイユ事件、マルセイユ事件は事実であり真実である。その事件がそうでなかった、濡れ衣だというなら新しい発見で、本当の意味での中傷と迫害となり、贖罪の山羊といえるだろう。

この時代にわざわざ誰もがデマだと思うようなことから、人物評価を研究するなんて、よっぽどネタがないのではないか。

マリー・アントワネットと比較をすると、サド侯爵は不愉快だろうと思うけど、彼女もそうした一人。決して「本来の罪」の中傷回復ではないのだ。

「オーストリアへの戦争回避における賠償金による財政圧迫」、「国王の拒否権行使と逃亡」、「諸外国の干渉による王政の復活」、「亡命貴族との共謀」、「牢獄での脱出計画」は決して消えない事実である。

王妃の中傷回復も、サドのような突拍子のないデマや、母子相姦などである。「王妃の本来の罪」は濡れ衣でも中傷でもない。そのことが全くのつくり話なら納得するけど。

ちなみに同時代のルソーの中傷は別の記事にまとめた。

記事 ルソーの妄想・空想・瞑想

上の記事では、サドの「悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル(ウジェニー・ド・フランヴァル)」もルソーと比較している。

それではサドは怪物か。

人間に決まってるじゃない。何度も言うけど、貴族的な趣味が高じて事件が発覚した。つまり被害者が告訴したからだ。内容が内容だもん、告訴するよ、普通。

もし現代にサドの起こした事件が起こったら、無実にはならないでしょ。


 迫害される美徳 フランス文学史より引用、要約

「司祭と臨終の男との対話」、「ソドム120日」、「アリーヌとヴァルクール」、「恋の罪」、「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」、は何よりも孤独によって肥大させられた想像力の結実である。

サドと「異常性欲のニュートン」(G・ピコーン)としてのみ捉えるのは適当ではない。

彼は体系的思想の持ち主ではないが、百科全書派の無神論と唯物論を徹底させる異議申し立て者、狂暴な論争家である。サドは神の存在と自然の善性という2つの原理を激しく攻撃する。

「わたしのもっとも不快とするところは、現実に神が存在しないということ、それゆえにいっそう積極的に神を侮辱する楽しみを、私が奪われているということです。」(ジュリエット物語悪徳の栄え)

こうしてサドは18世紀の作家のお気に入りの美徳と幸福の結合という主題に対して、悪徳の勝利を対置させる。

「恋の罪」や「アリーヌとヴァルクール」は作家サドに並ならぬ文学的野心があったことを物語っている。彼は挑発的仕方で、人間の心に隠された地獄をあばく。

人間の尊厳を傷つけ、人間の偉大さの陰に隠れた深部をあらわにすることによって、彼はわれわれを恐怖させる。

サドは、否定の精神を支えとするモラリストであったといえなくもない。

僕がサドの小説の内容や人物像にはこれっぽちも興味はない。

サドが偉大な詩人ぺトラルカに絶賛された美女ラウラ・デ・ノヴェスの血をひくことも関心はない。

ただ、引用した「人間の尊厳を傷つけ、人間の偉大さの陰に隠れた深部をあらわにすることによって、彼はわれわれを恐怖させる。」というサドが好きなのだ。
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Saiさん、こんにちは。

記事にある「少女のスキャンダル」は、サドの「性のバッカス祭り」だったんですか。ラ・コストで戯曲を演出するために舞台をつくった人ですから、とってもファンタジーな「少女のスキャンダル」だと思います。芝居の演出がかった強姦事件。よくいえばサドの性に対する知的好奇心の表れだといえます。

小説なので真偽はわかりませんが、サドはキリストを踏み、そこで自慰するなどしていた人らしいです。現代で「変態」の枠にはいるものってなにかなと考えたら、やっぱり性にいきつくのですが。あと排泄物を壁になすりつけるとかも変態の枠に入ると思う。排泄物を好んで食べる人も。肉食を好む人は原始的に入ると思うけど、死肉を食べる人は変態で、そう考えると、サドは「変態」ではないですか。記事にあるジル・ド・レイは少年への凌辱と虐殺に性的興奮を覚えたというこの人は、変態を通り越して異常者でしょう。

サドを考えるにあたり、変態と異常とされる定義がなにかと考えさせられます。
wanko (2010/12/15 2:10 PM)
久しぶりです。サドは僕にとってはどうでもいい人物なんだけど、才能があって変態で、最近になって評価されてという人だけど、20世紀って、人と変わっていて、驚かされて、革新的と思われるような絵や文学が好まれたと思う。その作者が知性と家柄が高ければ、それが高く評価され、20世紀の文化人の思想の象徴に利用されたのかもって思ったり。

それがもし、教養も金もないところの男が書いたものだったり、日記だったりしたら、どう扱われたのかってこと。そうなると、18世紀にこんな変態小説があった、変態日記があったで終わりそうじゃないですか。

あのサド侯爵夫人が、もしも普通の娘で、職人の家に嫁に行って、亭主がそういう男だったと知ったら、そういう趣味があればいい夫婦になったかもしれないけど、そうじゃなかったら、普通は逃げ出すね。ただもう、ルネさんの場合はサドの嫁が知れ渡っているから、どうにもならないしょっ。再婚も。楓とコラボした記事だから、ルネの話は彼女へのコメントとしておいて。

普通に考えて、自分はサド侯爵の身内になるのは名誉だと考える人は、それでいいよね。でも僕が息子だったとすれば、変態趣味のオヤジの事件には、相当悩むだろう。それが普通の感覚だよね。

Saiが言っている無知の好奇心で読むというのが当たり前と思うしね。

>僕はまったくサドの趣味は理解できない。性的倒錯には個人の趣味があるので一概に僕の見解を披露するのは憚るが、それも受付ない。

普通はインテリぶって評価するところ、さすが、自己主張の強い奴とあらためて感じました!
inoue (2010/12/15 3:17 PM)
Sai、記事リンク、どうも!inoue君のコメント大笑いした。サドじゃなくて無教養で金のない人の書いた作品あるいは日記だったら「そういうのがあった」でお終いになるかもしれないってとこ。でも風俗史で生き残るかもよ。

楓とのコラボ記事、両方読んだ。

でね、サドもルネも友人がいなかったみたいだね。どちらも行き場所がないんだよね。

たださ、裁判制度でさ、私達がサドの陪審員だとしたら、殺人はしていないけれど、有罪が無罪がといったら、3つの事件は有罪だと思うんだけどね。

刑の重さ、軽さは別として、やっぱり有罪になるようなことをしているという人物評価。それと作品は関係ないかもしれないけどね。作品は個人の好みだからね。学識者が認めればみんな認めるし。私は彼の作品は読んだことないから、あえて。

Saiは、お利巧だからさ、オブラートだよね。でも、ほぼ私の思っていることを、チラチラ書いている。憎いね!
maki (2010/12/15 3:56 PM)
wanko さん、どうも。

>サドを考えるにあたり、変態と異常とされる定義がなにかと考えさせられます。

サドを考える必要はないと思います。変態も異常も変質も、他の人の生命や傷(身体、精神)を与えず、刑法にも民法にもかからない趣味や性癖であれば、他人に受け入れがたいものでもよいとおもいます。さらにその趣味を押し付けない。

定義とすればそういうことだと僕は思います。
sai (2010/12/15 6:13 PM)
inoue、珍しいね。真面目に答えましょう。

>それがもし、教養も金もないところの男が書いたものだったり、日記だったりしたら、どう扱われたのかってこと。そうなると、18世紀にこんな変態小説があった、変態日記があったで終わりそうじゃないですか。

ウケた。まぁ、ほら内容が内容だから、案外出版されるんじゃないですか。ポルノ小説として。評価はどうかわからないけど。

>無知の好奇心

一般人だから、僕は。これがたとえばフランス文学を専攻しているとか、専門家や職業的に関わる人だったら、がんばれ!と応援します。

>普通はインテリぶって評価するところ、さすが、自己主張の強い奴とあらためて感じました!

僕、インテリ嫌いだし。一応、ひかえめに書いてるつもりだけど。
sai (2010/12/15 6:22 PM)
MAKIさん、どうも。僕のほうも記事リンクして頂いてありがとうございます。

>楓とのコラボ記事、両方読んだ。でね、サドもルネも友人がいなかったみたいだね。どちらも行き場所がないんだよね。

唯一、サドの友人とよべる公証人が最後には侯爵夫人に寝返った形になっていますね。恋愛もあまり長続きしない。たぶん自己中だからでしょう。

>私達がサドの陪審員だとしたら、

そうですね。個人の価値観、感情などの障害物を取り去って、事実から真実を知ることが大切だと思います。
sai (2010/12/15 6:32 PM)
こんばんは。ちくわと申します。サド侯爵のことを調べていてSAIさんのサイトにたどり着きました。サド侯爵のことだけでなく当時のフランスの様子もわかり、嬉しかったです。SAIさんは藤本ひとみさんのサド侯爵は読みましたか?あの作品にはサド侯爵の愛人ナノンとその間で生まれた娘ダニエル・サブロニエールが出て来るんですが、この二人のことを調べても出てきません(汗)この二人は実在するんでしょうか?何か知っていることがあれば教えて下さい。お願いします!
ちくわ (2011/05/30 11:37 PM)
始めまして。小説は読んでいません。サドの作品、オイゲンやポーヴェール、専門家の著書は読んでるのですか。サドの思考に関心がある僕は、ちくわさんの嗜好のお役には立てないと思います。すいません。
sai (2011/06/02 12:46 PM)
ご無沙汰。すべて回復し、ようやくパソコンを開ける状態になった!ついで、ようやく本の整理や処分にも時間を割ける事ができて。サドと同類の作家とくくられる、あのラクロの「危険な関係」がでてきた。これ、サドの「悲惨物語 ユージェニー・ド・フランヴァル」の誘惑を仕掛ける話と似ているよね。

1775年の性のバッカス祭、「少女のスキャンダル」では、この「危険な関係」のセシルと同じくらいの14歳から17-18歳の少女たちだったらしい。

この頃、サド家で雇っていた女小間使いの一人が、この少女たちを斡旋したのでしょう?ポンパドゥール夫人のような女衒。この事件を含めて、サドの伝説化が決定したようなもの。

前のコメント者がフランス史、フランス文学やサドの専門書を読んでいたら、この事件との関連もわかったいたかもしれないと思うと、藤本さんの小説にはドラマティックに書かれていたのかも。

小説の内容から考える嗜好と、専門書から考えられる思考への関連性と、大きな隔たりがあるけど、本文中にどの書籍を引用しているかと書いてあるのだから、記事の内容をよく理解されて、嗜好的なコメントを避けるべきと僕は感じたわけ。ご機嫌直しなさい。
ryo (2011/06/08 2:31 AM)
ryo くん、コメントありがとう。

>すべて回復し、ようやくパソコンを開ける状態
ホント、よかった。という一言しか書けないよ。うれしい報告。さっそくの元気な便りがサド?(苦笑)

>この頃、サド家で雇っていた女小間使いの一人が、この少女たちを斡旋したのでしょう?

おしゃるとおり、前のコメント者が質問してきた「通称ナノン」です。アントワネット・サブロニエールのことで、「噂」では、サドの子供を産んだといわれているけれど、その子はたしかポーヴェールによると、乳児のときに亡くなっている。アントワネット・サブロニエール(通称ナノン)は、「少女のスキャンダル」で、無罪を主張し、サド公爵夫妻を脅迫し、サドの妻ルネ・ペルジーが見事にそのナノンの策略の裏をかいた。

前のコメント者は僕の記事を読んでいないようなので、(笑)。

サドの生涯の致命的な「少女のスキャンダル」とナノンの関係が当然でもあり、ただ小説の実在性をご質問を残されたわけで、本当に「サドを調べて」おられるなら、「少女のスキャンダル」と「ナノン」はご存知のはず。コメントに実在ですと返信してもよかったのだけれど、前のコメント者が小説からインターネットの世界だけで調べているなんて、びっくりしてためらった。(びくびくしたよ・・・)

どう解釈して、どう僕のコメントを引用されるのかにビクビクしたわけ。(笑)

だって三島由紀夫の「サド公爵夫人」が本当の話ですか?と聞かれているのといっしょでしょ?

>二人のことを調べても<とありますが、サドの文学やその思考に興味もなく、藤本さんの小説に興味から、あくまでも嗜好でお調べになられていると判断し、あたりさわりなく返信したつもりだったんだけど。不機嫌に思った?というかコメントへのフォローありがとう。
sai (2011/06/08 12:41 PM)
返信ありがとうございます。

三島由紀夫の「サド公爵夫人」→三島由紀夫の「サド侯爵夫人」ですが、saiのいうとおり、戯曲のストーリーが本当の話ですか?っていうのと同じだ!

おー、今度僕もサドの記事を書いたら、TBする。まずは本を読んでから(小説じゃなく)

返信無用。
ryo (2011/06/08 12:59 PM)









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「この野蛮人が生贄にしている小さな娘ほど、可憐なものはなく、陵辱者と犠牲者とのあいだに桁外れな不釣合いほど、おもしろいものはありませんでした。」久しぶりにサドの「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」を読んで、澁澤龍彦さんの訳だったことに気がつきました
| Life Style Concierge | 2010/12/15 5:15 AM |

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