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「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫
Studio studiolo / SAI



ディプティク(二連画) 「ウルビーノ公夫妻の肖像」
 by ピエロ・デラ・フランチェスカ
(フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像)1472-74年頃 
ウフィツィ美術館所蔵


フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(1422-1482)はあのイタリア・ルネサンス期のウルビーノ公。もっとも本好きな人ならダンテの神曲 地獄編で、炎に焼かれているグイド・ダ・モンテフェルトロの子孫だと思い出す方もいるだろう。



ディプティク(二連画)
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとバッティスタ・スフォルツァ
1472年 by ピエロ・デラ・フランチェスカ ウフィツィ美術館所蔵


1200年頃、街はモンテフェルトロ近くの貴族の所有に帰した。これらの貴族は直接ウルビーノを支配しようとはしなかったが、市民が彼らを podestà (potestas, 権力の意味)に推挙するように圧力を掛けられた。その例は1213年のボンコンテ・ディ・モンテフェルトロ(ボンコンテ1世)に伺える。

その結果、ウルビーノ市民は反乱を起こし、他の自治都市と同盟し、1234年には再び市の支配権を回復した。ゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)の争いにおいては、ホーエンシュタウフェン家の皇帝や教皇と同盟するよりは、個々の家族や都市と同盟することが多かった。13世紀から14世紀にかけては、ウルビーノのモンテフェルトロ家の領主たちは、マルケとロマーニャにおけるギベリン党の指導者であった。




フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの先祖
ダンテ「神曲地獄編」グイド・ダ・モンテフェルトロ
by ジョン・フラックスマン(John Flaxman)


神曲 地獄編 第27歌
グイド・ダ・モンテフェルトロがいうには「わが行いは力のある獅子(ライオンとも)よりも狐とよばれた奸智狡計であった。」そうだ。

記事「ダンテの神曲 地獄編トピック」からどうぞ。 



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの先祖
神曲 煉獄編 グイドの息子 ボンコンテ・ダ・モンテフェルトル
by ギュスターヴ・ドレ


このグイド・デ・モンテフェルトロ(1223-1298)の息子、ブオンコンテ・モンテフェルトロ(Bonconte da Montefeltro 1250-1289)は神曲 煉獄編 第5歌の主人公。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの先祖グイド・ダ・モンテフェルトは、残念なことにダンテに嫌われていたらしい。地獄編にでてくる人物は概ねそういう傾向がある。

そしてフェデリーコ・ダ・モンテフェルトは「パッツイ家の陰謀」(1478年)といわれた「ロレンツォ・デ・メディチと弟ジュリアーノの暗殺」の首謀者として名があがった。2004年のことだ。

記事 ロレンツォ・デ・メディチとフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ

2008年に日本では「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎」(Federico da Montefeltro e lo Studiolo)のが開催され、グッビオのドゥカーレ宮殿に持っていた彼の「ストゥディオーロ」(小書斎)のレプリカが公開された。



フェデリーコと息子グイドバルド 1475年
by ヨース・ファン・ワッセンホフ


最近になって暗殺首謀者と名があがったこの人物のストゥディオーロ。ウルビーノのドゥカーレ宮殿とメトロポリタン美術館に売却されたグッピオのドゥカーレ宮殿の小書斎は、レプリカがグッビオに設置されるまえに公開された。

 
(C)Prontoitalia
ピエロ・デラ・フランチェスカの記した「遠近法論」ほか


ここウルビーノは建築家ルチアーノ・ラウラーナが1464年〜1472年に着工し、グッビオも手がけたフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニに引き継がれる。


まずはウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎を組み立ててみた。結構寄木細工はカットしているが、あまり部屋のつくりに凹凸が少ないのでわかりやすいと思います。



Studiolo from the Ducal Palace in Urbino


左の部分が北壁になる。右側が東の壁、寄木細工の上部には自由七学芸の肖像画が飾られている。一部はルーブル美術館やナショナルギャラリーにある。

自由七学芸については 
サンドロ・ボッティチェリ ヴィラ・レンミ」から 
ヨース・ファン・ワッセンホフ(へントのユストゥス又はゲントのユストゥス )による北側の作品はこんなかんじです。



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 28枚の肖像画
by ヨース・ファン・ワッセンホフ


左上から.廛薀肇鵝修辞学を象徴していると思われる。▲▲螢好肇謄譽后↓ルッカ・ド・トロメオ、ぅ▲縫ウス・マンリウス・セベリウス・ボエティウス、左下からゥ蹇璽淤_Ε哀譽乾螢Ε弘貔ぁ↓聖ヒエロニムス、Ю札▲鵐屮蹇璽此↓┘▲Ε譽螢Ε后Ε▲Ε哀好謄ヌス


この8枚の肖像画はこの寄木細工の上に飾られていた。1501年、フェデリーコの亡きあとだが、チェーザレ・ボルジア(カエサル)がウルビーノ征服のときに滞在していたのがここだ。

ニッコロ・マキャヴェッリ(1469−1527)、
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)もここを訪れている。

マキャヴェッリの「君主論」では、ダンテの神曲地獄編に登場したフェデリーコの先祖、グイド・ダ・モンテフェルトロの言葉をいくつかの章で引用している。

「わが行いはライオンの暴力ではなく、狐の奸智のように」を比喩にしている。

ご存知のとおり1516年にウルビーノ公となったロレンツォ2世・デ・メディチ(ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ)に「君主論」(Il Principe)を献上したのはマキャヴェッリだ。彼が「戦術論」 (Dell'arte della guerra)のなかでは、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに触れているという。


Adoration of the Magi 1478 by Botticelli-2

ボッティチェリ 「東方三博士の礼拝」の部分
サンタ・マリア・ノヴェッラのラーマ家祭壇画に描かれたメディチ家
パッツイ家の陰謀のあとにメディチ派を象徴するための祭壇画


ちなみにロレンツォ・デ・メディチは
カトリーヌ・ドメディシスの曾祖父だ。ロレンツォの子ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(の子になるロレンツォ2世・デ・メディチ(ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ)がカトリーヌ・ド・メディシスの父。ロレンツォ・デ・メディチの子レオ10世が教皇につくと、ロレンツォ2世がウルビーノ公になる。

レオ10世の肖像画はこちら
画廊画 ウフィツィ美術館の特別展示室
フェデリーコの子孫は、デッラ・ローヴェレ家から養子を迎えたが、このレオ10世のときにウルビーノ公領を獲得。ウルビーノ戦争がはじまり、ロレンツォ2世が亡くなると、ウルビーノは再びデッラ・ロヴェレ家が獲得する。



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 28枚の肖像画
by ヨース・ファン・ワッセンホフ


南の壁の作品。左上から.罅璽リッド、▲凜ットリーノ・ダ・フェルトレ、ソロン、ぅ丱襯肇襯后∈顕爾らゥ團Ε2世、Ε戰奪汽螢ン、Д▲襯戰襯肇ゥ后Ε泪哀魅后↓╋宜張轡ストゥス4世(当時存命していたシクストゥス4世)







ご覧のとおり遠近法とトロンプ・ルイユで描かれた古楽器や書物、エンブレムや寓意画、そして天空儀など学者肌で人文主義といわれているフェデリーコを象徴するものを描いており、ガーター勲章、記念品や祭に使われるものなども描かれている。

また傭兵隊長としての「武具甲冑」、ウルビーノ公としての富や権力を象徴する「インコ」など、ステータスシンボルも描かれている。


周囲に多くの芸術家や文化人を集めて、ルネサンス文化を栄えさせたフェデリーコだが、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコは
サンドロ・ボッティチェッリ。ボッティチェッリと同じ工房にいたレオナルド・ダ・ヴィンチはフェデリーコの妻の従兄妹にあたるイル・モーロがパトロンだ。

記事 美しき姫君 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ピエロ・デラ・フランチェスカ(ピエーロ・デッラ・フランチェスカ)、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、ルチアーノ・ラウラーナ、パオロ・ウッチェッロをフェデリーコが擁護していた。




フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 28枚の肖像画
by ヨース・ファン・ワッセンホフ




西側 (C)Soprintendenza del Mare


自由七学芸を象徴する学者や詩人たち。ほとんどがダンテの神曲に描かれている人物だ。なんと最後の4枚のうち1枚の肖像画は、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの先祖グイド・ダ・モンテフェルトロを「神曲 地獄編」で火炙りにした「ダンテの肖像画」だ。

ヴェネツィアのアカデミア美術館には28枚の肖像画のラファエロの模写が所蔵されている。


ウルビーノにはラファエロの生家がある。正面の聖母子は父ジョバンニ、あるいは息子のラファエロの作品(Giovanni Santi or Raphael) とされているもの。父ジョヴァンニ・サンティはウルビーノの宮廷画家であり、文人でもありフェデリーコとの関係も深い。

フェデリーコの生涯を長編叙事詩として「ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの生涯とその業績(La vita e le gesta di Federico di Montefeltro, Duca d'Urbino)」をジョバンニ・サンティは歌っている。

「寛容で輝かしいキリスト教徒 長年にわたり多くの民と州に君臨し 不道徳を正す人よ」

Justus of Ghent Federico da Montefeltro, his son Guidobaldo and others listening to a discourse

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ一族


というような読み物でした。余談ですが、ジョバンニ・サンティはここで偉大な画家27名をトピックして賞賛している。興味のある方はぜひ入手して読んでみてください。(西洋国立美術館にもある)ちなみに27名の画家は以下の人物。


フラ・アンジェリコ、ギルランダイオ(ギルダンダイヨ)、ピエロとアントニオ・デル・ポッライウオーロ(兄弟)、サンドロ ボッティチェリ(楓が泣いて喜びますね)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フィリッピーノ・リッピ、ピエトロ・ペルジーノ、ルカ・シニョレッリ(ダンテ・神曲をテーマに描いている)、ジェンティーレ・ベッリーニ、ジョヴァンニ・ベリーニ、アンドレア・マンテーニャ、アンドレア・デル・カスターニョ、コズメ・トゥーラ(コジメ・トゥーラ)、ピエロ・デラ・フランチェスカ、エルコレ・デ・ロベルティ、フランチェスコ・ディ・ペセッロ(ペセリーノ)、マサッチオ、パオロ・ウッチェロ(記事サンタ・マリア・ノヴェッラからどうぞ)、ピサネロ、ドメニコ・ヴェネツィアーノ、メロッツォ・ダ・フォルリ(短縮遠近法の)、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、アントネロ・ダ・メッシーナ、ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンでした。



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 28枚の肖像画
by ヨース・ファン・ワッセンホフ


東の壁の作品。左上から.ケロ、▲札優、ホメーロス、ぅΕД襯リウス、左下からゥ癲璽察↓Ε愁蹈皀鵝↓Д肇泪后Ε▲ィナス、┘茱魯優后Ε疋ゥ鵐后Ε好灰肇ゥ

下の寄木細工の上に装飾されていた肖像画の8枚は自由七学芸の象徴する人物たち。

ところがこの肖像画の下の羽目板に、フェデリーコの肖像画があったのだ。マルチェロ・シモネッタは軍神マルスが平和を求めるふりをした姿を思わせると著作で述べていた。

白のローマ風のチュニックを身につけて、槍を逆さまに持っている。南側の一枚ではないか。

Studiolo of Federico da Montefeltro, Urbino

ウルビーノの小書斎 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画


モーセの肖像画の下にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロがいた。気がつかなかった。



Federigo da Montefeltro


これ以上大きくできなかったのが残念。顔は描かれているフェデリーコにそっくり。



(C)Soprintendenza del Mare


28人の肖像画を寄木細工と組み合わせて紹介していくが、肖像画は写本を手にしている人物が多い。フェデリーコは写本を収集し、その数はヴァチカン図書館を上回ったらしい。

YOU TUBE 
The "Studiolo" of Federico da Montefeltro in Virtual Reality
Il segreto di Federico da Montefeltro
Patronage and Vendetta in Renaissance Italy

ローマ、ギリシャの神話からアリストテレスやリヴィウス、プルタルコスなどの古典、楽譜などあらゆる系統の写本を集めたという。

ちなみに当時の表紙でレプリカも売られている。ヨース・ファン・ワッセンホフが描いた「フェデリーコと息子グイドバルド」で、フェデリーコが手にしているものだと思われる。



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの図書(写本)



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの写本をもつ小書斎の肖像画


この「写本」をめぐり敵同士のフェデリーコとロレンツォだが、その間柄にも関わらず、ロレンツォがフェデリーコに援助をしているのだ。フェデリーコはロレンツォの寛容さと美徳に相当な感激を覚えたはずだ。どちらも人文主義者。

記事 ロレンツォ・デ・メディチとフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ

ところが襲われたロレンツォの弟ジュリアーノは暗殺された。暗殺したパッツイ家の者が処刑された。

記事 パッツイ家の陰謀 モンテフェルトロの陰謀 ジュリアーノ・デ・メディチの血の日曜日



左の寄木細工「武具甲冑」を再現したもの。肖像画にも描かれている。


ロレンツォ、ジュリアーノ暗殺は、今世紀になってフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの陰謀と指摘された。このパッツィ家の陰謀者たちの処刑をレオナルドとボッティチェリが描いていた。ボッティチェリはメディチ家がパトロン。その彼のスケッチはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎の寄木細工にある武具甲冑だといわれている。




寄木細工「武具甲冑」


サンドロ・ボッティチェッリのスケッチ。あるいはフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニのスケッチによるものといわれているフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎の寄木細工。バッチョ・ポンテッリ( Baccio Pontelli )の作。フェデリーコの肖像画にもよく登場する。


フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと武具甲冑、駝鳥の関係は深い。




画像は大きくなります。1472-1474年
「ブレラ祭壇画(聖母子とby ピエロ・デラ・フランチェスカ


この祭壇画はモンテフェルトロ家の墓所に奉げられたのもだという。

この作品は「モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ祭壇画)」で、人物についてはいろいろ説はあるが、中央の聖母に左から洗礼者聖ヨハネ、聖ベルナルディーノ、聖ヒエロニムスに、聖母のすぐ右から聖フランチェスコ、殉教者聖ペトルス、福音書記者聖ヨハネとされる人物。

ひざまづいているのがフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ。ウルビーノのフェデリーコの小書斎にある寄木細工の「武具甲冑」(ボッティチェッリのスケッチという)を身につけている。そして聖母の頭上にあるのが駝鳥の卵だ。

駝鳥の卵はモンテフェルトロ家の紋章であり、死と再生を意味するという。これは妻バッティスタに捧げたものではないだろうか。




Studiolo from the Ducal Palace in Gubbio
ウルビーノ公フェデリーコの紋章


ヨブ記から引用 「駝鳥は愚かなのか」
駝鳥は勢いよく羽ばたくが こうのとりのような羽毛を持っているだろうか。
駝鳥は卵を地面に置き去りにし 砂の上で暖まるにまかせ
獣の足がこれを踏みつけ 野の獣が踏みにじることも忘れている。
その雛を 自分のものではないかのようにあしらい
自分の産んだものが無に帰しても 平然としている。
神が知恵を貸し与えず 分別を分け与えなかったからだ。」

聖会話だけの作品なのだろうか。後世になってフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの手が他の画家によって描き加えられた



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎には、メッセージがはいった寄木細工がある。ドイツ語だとあったが、古ドイツ語なので綴りが違うようだ。

エンブレムのひとつで当時は美徳を象徴していたという。ここでは戦場で陣頭指揮をとる姿らしい。このエンブレムはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ自身にとっても古くから使用されていたようで、逆境に抵抗する象徴だともいう。

La finezza intellettuale con cui i concetti divengono rappresentazione la si nota anche negli stemmi personali di Federico, quelli che alludono alle sue virtù ed alle sue aspirazioni. C'è uno struzzo che tiene nel becco una punta di lancia ed una scritta (in tedesco) che dice: “Posso inghiottire un grande ferro”. La resistenza alle avversità, quindi, virtù fondamentale di Federico, che riuscì a governare per trentotto anni avendo rapporti spesso difficili con Roma, Napoli, Firenze, Venezia e Milano, oltre che con i signorotti dell'Italia centrale.

駝鳥がくわえた鉄の鏃。「わたしはとてつもなく大きな鉄を飲み込むことができるだろう」という一文らしいが、何かの諺からの引用なのか?


白貂のエンブレムは、七つの大罪の一つである情欲を象徴する。つまり「純潔と貞節」のシンボルでもあるわけだ。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの愛妻バッティスタ・スフォルツァには従兄妹ルドヴィーコ・マリーア (通称イル・モーロ)がいる。

記事ロレンツォ・メディチとスフォルツァ家

この白貂は、イル・モーロが1488年にアーミン勲章(Order of the Ermine)を受勲したルドヴィーコ個人を表す私的意匠となっている。ヨース・ファン・ワッセンホフが描いた「フェデリーコと息子グイドバルド」では、フェデリーコは白貂騎士団の首飾り章を身につけている。

さらにイル・モーロの愛妾チェチーリア・ガッレラーニを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人(Dama con l'ermellino)」がある。

この白貂のメッセージには古ドイツ語の「NO MAI」となっている。「NO NEVER」のことで、「決して」という意になる。

このウルビーノとグッピオにある二つの「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」は、秘められた場所での会合のためにつくられたと思う。

1478年2月14日、ロレンツォに信頼されていない男ジュスティーニとの会合がドゥカーレ宮殿の小書斎で行われた。

ここでロレンツォとジュリアーノの暗殺の暗号の文章を書き上げた。皮肉なことにチッコ・シモネッタの「見本のない暗号書簡を解読するルール」が2001年に暴かれる。

フェデリーコの寝室からはわずかな距離。このどちらの「小書斎」にも、フェデリーコ自身が刻み込めさせた言葉がある。

「嘘をついて勝つよりも真実を述べて負ける方がよい」

その北の壁には
「人は善行によって天国にいたる」

まったくもって、ダンテの神曲地獄編で炎に焼かれるグイド・ダ・モンテフェルトロの子孫であることは間違いない。

狐のフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロなのだ。

僕はこの二つの小書斎が、人の皮を被った狐の所有していたものなので、大嫌いだ。



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 グッビオ・ストゥディオーロ



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 グッビオ・ストゥディオーロ



フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 グッビオ・ストゥディオーロ



上段には短剣やマゾッチオ(置物)、下段にはウルビーノとグッビオでしばしば開催されたフェスティバルに使用されたテイバー・パイプ(小太鼓と縦笛)が下段にある。





左側には権標捧、シンガード(すねあて)やグローブなどの武具が置かれている。ウルビーノ同様にここでも象徴されている。上段には鷲の紋章のヘルメットが置かれている。式典用ではないだろうか。

この寄木細工で右側の上段にあるコンパスに似ているディバイダ注目してほしい。ウルビーノの「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ の小書斎」にあった28枚の肖像画のユークリッドが手にしているものだ。


楽器のシターン、象限儀(四分儀)、砂時計、そしてディバイダーだ。ディバイダーはコンパスの一種。フェルメールの地理学者にも描かれている。記事「フェルメールはお好き」からどうぞ。


ヨース・ファン・ワッセンホフのユークリッドの肖像画。ウルビーノの小書斎の1枚。

記事「
ルイス・キャロル アニー・リーボヴィッツからユークリッドへ」から、ラファエロの「アテナイの学堂」に描かれているユークリッドと比較してみてください。

 ピュタゴラス、ユークリッド、アルキメデスと数学の創造者たちは、数学の公式や定理、原理を数学だけに用いたわけではない。

ピュタゴラス(ピタゴラス)は弦楽器の弦の長さと振動数の比率を利用して考案したピュタゴラス音律がある。シターンがここにあるのはその象徴と思われる。





下段にあるのはガーター勲章。英国のエドワード3世が「アーサー王と円卓の騎士」の故事に基づいてガーター騎士団を設立したともいわれている。

アーサー王の騎士 ランスロットの騎士の叙任の場面は記事「
ダンテの神曲 地獄編トピック」にあります。

英国の最高勲章で日本では明治天皇が贈られている。フェデリーコはエドワード4世から贈られている。いまのガーター勲章は下の部分が短くなっているが、同じく“Honi soit qui mal y pense”(邪なる者に災いあれ)と記されている。




ウルビーノ、グッビオのどちらのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎書では、プラトン的概念を中心に装飾された。天文学、幾何学や音楽、鳥(インコ)をはじめ政治、武具、写本などが共通している。


書見台には「神曲」のなかでダンテ(1265-1321)を導くウェルギリウス(前70年–前19年)の「アエネーイス」が開かれている。

Every man's last day is fixed.
Lifetimes are brief and not to be regained,
For all mankind. But by their deeds to make
Their fame last: that is labor for the brave.

全ての人の最期の日は定められている。
全人類の生は短く、再び手にすることは叶わない。
しかし彼らの望みはその名声を永久に持続することだ。
そしてこれこそが勇士の仕事なのだ。



(C)Robert Kirkbride


書見台の「アエネーイス」は、ローマのアウグストゥスの治世をアエネアースに投影したもので、後世まで褒め称えるに及ぶものだ。つまりフェデリーコの治世を重ねさせているわけだ。

ちなみにシモーネ・マルティーニの挿絵でウェルギリウスの写本をフェデリーコは取り寄せしているらしい。

ウルビーノの小書斎ではリベラル・アーツ(自由七科と哲学)を象徴する肖像画の28枚のうち、フェデリーコの先祖を地獄や煉獄に行かせたダンテの肖像画を飾るところなど、洒落のつもりかと思ってしまう。

ここグッビオの小書斎にも自由七学芸(セブン・リベラル・アーツ)を主題にした絵画が飾られていた。ほとんどがなく、美術館の所蔵や画像に残っているものは少ない。



セブン・リベラル・アーツ ミュージック(七自由学芸 音楽)
ヨース・ファン・ワッセンホフ
ロンドン ナショナル ギャラリー




セブン・リベラル・アーツ レトリック(七自由学芸 修辞学)
ヨース・ファン・ワッセンホフ
ロンドン ナショナル ギャラリー



セブン・リベラル・アーツ アストロノミー(七自由学芸 天文学)
ヨース・ファン・ワッセンホフ



セブン・リベラル・アーツ ディアレクティーク
(七自由学芸 弁証法あるいは論理学)
ヨース・ファン・ワッセンホフ ( Joos van Ghent )
(ヘントのユストゥス、ゲントのユストゥス)


弁証法の本を渡す人物がフェデリーコに似ている気がするんだけど。この七自由学芸(自由七学芸)の連作は、文法学、幾何学、数論、そして哲学があるはずだ。




 バッティスタ・スフォルツァ彫像 1477年頃
バルジェッロ国立美術館(フィレンツェ) デス・マスクから制作
ラフランチェスコ・ウラーナ作(LAURANA, Francesco 1430-1502)
















キリスト誕生(Nativity) 1470年頃(1460-1475)
ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)
ロンドン ナショナル ギャラリー



バッティスタ・スフォルツァ (Battista Sforza、1446年 - 1472年)はグイドバルドを生んだ1472年に死去。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ とのディプティク(二連画)もバッティスタの死後の作品になる。

先に紹介したブレラ祭壇画の聖母も、キリスト誕生の聖母もバッティスタの面影を重ねて描いたという説がある。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロくらいの人なら、もっとたくさんの肖像画が残っていても不思議じゃない。1460年に結婚したバッティスタも死後のほうが多い。1度目の政略結婚でのお相手ジェンティレ・ブランカレオニの肖像画。イル・モーロのように愛妾が一人いたがその肖像画もない。槍試合前のフェデリーコの肖像画もみたことない。

ところが1444年にフェデリーコの異母弟で、暗殺された当時のウルビーノ公オダントニオ・ダ・モンテフェルトロ(1428-1444)の肖像画を描かせてるフェデリーコ。「結びつく」という意味のラテン語の書かれた額に入れられていたという「キリストの鞭打ち」だ。



キリストの鞭打ち 1444-1469
ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)


2007年に「パッツィ家陰謀事件」から「モンテフェルトロの陰謀」としてフェデリーコがロレンツォの暗殺の暗号文書が発見された。同じ年、このフランチェスカの「キリストの鞭打ち」からも15世紀のアストロラーベ(古代の天文観測儀)に残された銘文から始まる歴史学的・数学的な推理から謎解きの新しい発見があったというが。

フェデリーコが「キリストの鞭打ち」を依頼したのは何のためなのか?
「キリストの鞭打ち」は、罪のない犠牲者としてオダントニオ(Oddantonio)の死が、キリストの受難として扱われ、弔いの作品になるからだろうか。



キリストの鞭打ち 部分 1444-69年


暗殺者セラフィニとリッチャレルリ (Serafini &Ricciarelli)とフェデリーコの異母弟オダントニオ(Oddantonio)。あるいはフェデリーコの異母弟ウルビーノ公オダントニオ(Oddantonio)の顧問だった Manfredo dei Pio & Tommaso di Guido dell'Agnelloだという説がある。

そしてフェデリコの依頼によるものが、異母弟の暗殺とモンテフェルトロ家の統治・繁栄を称させるものを描かせるとしたものなら右の三人はフェデリコの前任者たちであるという説が有力だが、暗殺された異母弟を描かせて、モンテフェルトロの繁栄を知るものになるのだろうか。

フェデリーコは1444年にウルビーノ伯を継いだのちに1474年にウルビーノ公となった。

フェデリーコ(1422-1482)はウルビーノ伯グイダントニオの庶子としてグッビオで生まれる。母親はルドヴィカ・デグリ・ウバルディニ。べネツィア、マントヴァのゴンザーガ家で過ごしたが、15歳で傭兵隊長となったあと、21歳(1443年)に父グイダントニオ・ダ・モンテフェルトロを亡くす。このとき嫡子が継ぐが、翌年に貴族・民衆の支持を得て、フェデリーコ自身が当主となりウルビーノ公になったのだ。これは擁立されたということなのだろうか。

オッダントニオ(1427-1444)は二人目の正妻の子で、庶子にはピエトロ(1410-1479)がいた。つまり暗殺されたオッダントニオのあとに支持を得てということか?



キリストの鞭打ち 部分 1444-69年


陥落したコンスタンティノープルを象徴した場面だという説がある。「この人を見よ(Ecce Homo)」で有名なポンティウス・ピラトゥスのかわりに皇帝のシンボルとして座ったビザンチン皇帝ヨハネス8 世パレオロゴス(ヨハネス8世パレオロゴスのメダルとそっくり)、その台座の下に銘文かサインがある。←それがわからない。

そして鞭打ちの場面で後ろ向きのスルタン人こそ、「征服者(ファーティフ Fatih)」と呼ばれ、1451年に父が死ぬと兄弟を殺して即位し、コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世(II. Mehmet 1432-1481)ではないだろうか。

古代から続いたローマ帝国を滅亡させたメフメト2世だが、陥落したのは1453年のことだ。

キリストはコンスタンティノス11世となるだろうか。玉座に座るヨハネス8世パレオロゴスの弟だ。

依頼をされて1444年からフランチェスコは描き、25年もかかって出来上がったもの。

僕の不思議は作品の謎なんかじゃない。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロがどういう依頼をし、世界史がかわるほどの25年の歳月を費やさせたのか、それが僕の七不思議である。

ただこの作品の共通点は継承者の擁立だ。

オスマンのメフメト2世とその父ムラト2世と二代にわたり、コンスタンティノス11世、ヨハネス8世パレオゴロスはオスマン帝国にほかの継承者を擁立しようとした。そしてモンテフェルトロ家にも。

鞭打たれるキリストとオダントニオの立ち方が似ているが、別な意味でメフメト2世とフェデリーコも似ているところがあるかもしれない。

そしてフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとロレンツォ・デ・メディチの二人。とても似ている気がする。暗殺された兄弟がいて、その肖像画が描きこまれた作品を二人とも残している。

僕の考えすぎかな。
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