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Karl Lagerfeld

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カール・ラガーフェルドの略歴 career
1950年代から現在のカール・ラガーフェルドの写真、スタインウェイのピアノ、H&Mとのコラボ、アウディ・フォーラムの写真展、VOLVO(ボルボ)の広告などはこちらから。
コラボ collaboration
マイセン×カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルド コラボのモデル
ここではCoca Cola Lightのボトル、tokidokiのミニ・カール、Steiffのカールのティディベア、フォトグラファーのカールのフィギュアが紹介されている。

Karl×Lenôtre
デザイナー× 「ブッシュ・ド・ノエル」
FENDI
インタビュー
ハーパース・バザー誌 2009年
写真家カール・ラガーフェルド

Karl×Dom Perignon
Dom Pérignon Vintage 1998
ドンペリ Rose Vintage 1996
Dom Perignon Oenotheque 1993
Moët & Chandon×Karl Lagerfeld

Numero ヌメロ
ヌメロ誌 カール・ラガーフェルド

写真展
2010年 Karl Lagerfeld, parcours de travail

2008年 ア・ロンブル・デュ・ソレイユ A l’ombre du soleil(太陽の陰で)

シャネル CHANEL
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シャネル 宮廷の威光と王家の儀式
CHANEL Paris Fashion Week
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画家 リューボフ・ポポーワとシャネル

CHANEL 2009「パリ−上海」
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ヴォルテールの哲学辞典
book / SAI

前記事ではヴォルテールの哲学辞典から「」をご紹介したが、ヴォルテールがその愛に続いて書き上げたのが「食人者 ANTHROPOPHAGES」だ。

「嘗めあう人(愛の章)から食べあう人々へうつるのはつらい。」とあるが。

1725年、ミシシッピーから4人の未開人がフォンテーヌブローに連れてこられた際に、ヴォルテールは会って話しをしたらしい。(未開人が連れてこられたというのは、植民地化されたフランス領ルイジアナからの人間戦利品か?)

その中の女性にヴォルテールは問う。「人間を食べたことがあるか?」と。どちらもデリカシーのない人だ。

死んだ敵を野獣にむさぼらせるより、勝者の優先権として食べるほうがよいと人間を食べたことを素直に認めていたそうだ。

ヴォルテールは戦争で隣国の人間を殺害する行いが、鳥獣や虫の餌をつくることに働いていると述べている。



ヴォルテールの肖像画
by ジャン・ミシェル・モロー(Jean-Michel Moreau )
通称モロー・ル・ジュンヌ Moreau le Jeune


われわれは生者よりも死者を尊敬する。だが両者とも尊敬すべきであろう。」

続いて、「レビ記」の第27章をを紹介している。

「少女や少年を食べた例よりも、有名な国民のほとんどすべてが、少年や少女を犠牲にしている。・・・(略)・・・呪詛と称する本当の犠牲であった。”レビ記”の第27章には神に捧げた人間を生かしてはならないと命じられているが、それを食べろとはどこにも書いていない。」

(呪詛での生贄は、ヴォルテールのフランスの歴史に登場する、人の子を喰う鬼カトリーヌ・ド・メディシスルイ14世の公妾モンテスパン侯爵夫人の黒ミサも有名だ。)

さらに

「私がクロムウェル時代の英国史の中で読んだ奇談だが、ダブリンの女蝋燭屋がイギリス人の脂肪でつくった蝋燭を売っていたそうである。ある一人の客が、蝋燭がよくなかったと文句をつけたときに、彼女は”イギリス人が不足していたからですよ”。私は尋ねたい。イギリス人を殺した連中とその脂肪で蝋燭をつくった女と、いずれが罪深いか、と。」

これが邦訳での「食人者」だ。

あるとき原文を見る機会があり、フランス語を理解できない僕でも「食人者」はセクション1〜3に分けられていることを知った。

セクション1で語っているのは、古代ローマのユウェナリスが見たタンチラ人の人を食らう場面を引き合いに出し、ガスコーニャ人やサゴント人も同胞の肉を食べたことを指摘している。そしてミシシッピーの女性の話にうつる。戦争のためその土地に重なる死体、迷信のための生贄で殺された人を食らうことに、どちらが罪があるのかと問う。そしてレビ記からモーゼの言葉にいたる。僕の記事の80%の部分がセクション1だ。

僕が読んだ邦訳にはなかったセクション2はセクション1の倍以上の長さ。僕は哲学辞典のすべてを読んでいない。「世界の名著」にあるのは30ほど。邦訳には完全訳されたものもあるのかもしれないが、僕はこのセクション2の邦訳されたものを読んでいない。簡単に僕的解釈で筋を紹介すると、飢饉や敵への復讐で人を食らう話から、マルコ・ポーロ、アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニが引き合いに出されていた。




マリー・ド・メディシスとコンチーノ・コンチーニ 1880年


マルコ・ポーロのジパングの東方見聞録のことではない。アンクル元帥(アンクル侯爵)は、王妃マルゴのあとにアンリ4世の后となったマリー・ド・メディシスの寵臣。ルイ13世によって暗殺され、その死体はパリ中を引き回され冒涜された人物。この元帥の妻は魔女として火あぶり。

ヴォルテールは「冒涜された」とは書いていないし、はっきりと「食べられた」とも書かれていないが(僕が読み取れなかったのかも)、アンクル元帥は墓から掘り返されて死体を引きづりまわされてバラバラにされ焼かれたと言われているので、市民が元帥の死体を食べたという話がフランスには伝わっているのかもしれない。そういう話を前提に、ヴォルテールは引き合いに出したではないかと考えている。

マルコ・ポーロによる「はタタール人の聖職者らは有罪と判決された罪人の肉を食べる権利があった」ことに触れている。ヴォルテールの時代のタタール人は啓蒙宣専制君主のエカチェリーナ2世(エカテリーナ2世)にイスラム信仰を保護されて、マルコ・ポーロの時代とは少々違うようだ。

セクション2ではセクション1でユウェナリスの「風刺詩集 (Satvrae)」の第15編83行を引き合いに出し、ガスコーニュ人とスペイン人がこの野蛮性を犯したことを書いている。

ほかには北アメリカで布教したイエズス会士(ジェズイット)のシャルルボア(フランスの宣教師)などの話を引き合いに出し食人者が稀ではなかったことを述べている。

さてつぎは聖書からヴォルテールは人食の話を続けていく。

« Sauve-moi, seigneur roi; » il lui répondit: « Ton Dieu ne te sauvera pas, comment pourrais-je te sauver? serait-ce de l’aire ou du pressoir? » Et le roi ajouta: « Que veux-tu? » et elle répondit: « O roi! voici une femme qui m’a dit: « Donnez-moi votre fils, nous le mangerons aujourd’hui, et demain nous mangerons le mien. » Nous avons donc fait cuire mon fils, et nous l’avons mangé; je lui ai dit aujourd’hui: « Donnez-moi votre fils afin que nous le mangions, et elle a caché son fils. »

これは、創世記出エジプト記レビ記民数記申命記26章29節を言わんとしている。戒めを守らないものへの最終的な罰に、「我が子を食べる」ということだ。


我が子を食らうサトゥルヌス
1636 by ルーベンス
Saturn, Jupiter's father,
devours one of his sons, Poseidon
by Peter Paul Rubens


列王記で語られている話をヴォルテールは引用した。王ベン・ハダドは全軍でイスラエルのサマリアを包囲する。サマリアは大飢饉に陥り、「我が子を食べた」母親がイスラエルの王に訴える。「昨日はわたしの子、今日は彼女の子、それなのに彼女は自分の子を隠した」と。

ヴォルテールは、王がその訴えに叫びをあげ預言者エリシャを責めるところまでは書いていない。だが「我が子を食らう」ことは申命記で予言されたことになる。

エルサレムを破壊したバビロニアの王ナビュコドノゾール(残念ながらシャンパーニュではなく)にも同様に預言者エゼキエルは予言することが書かれていた。

ヴォルテールは延々と引き合いの事例をあげていく。そしてマルコ・ポーロ時代のタタール人に話しが戻る。ここでは中国領に住むタタール人だけを指しているわけではない。マルコ・ポーロの見聞録からの引き合いにヴォルテールは中国人としている。

とにかくヴォルテールはこの人食者からモンテーニュのエセーにある「人食い人種について」でセクション2を終える。ヴォルテールはまたモンテーニュをおちょくりたかったわけ?

セクション3 これはセクション1同様に短い。

ここでは各国の国が登場し、そして最後があのダブリンの蝋燭の話で終わる。つまり僕が読んだ翻訳の哲学辞典の「食人者」は、セクション1とセクション3のダブリンの蝋燭の話に要約されていたのである。

さて、ヴォルテールが書いたのは「人食い人種」ではない。人食い人種はカニバリズム(Cannibalisme)だ。戦争や飢饉による飢えからではない。

ヴォルテールはアントロポファジー(ANTHROPOPHAGES)とわざわざ「食人者」としたのは罪深きもののほうを揶揄したかったのだと思っている。

シェークスピアの「イタス・アンドロニカス」、紂王と文王はもっとも罪深い「食人者」の関係だ。

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